トーキング・マイノリティ

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アーリア人 その①

2010-11-18 21:16:56 | 読書/東アジア・他史
アーリア人』(青木健著、講談社選書メチエ438)を先日読了した。アーリア人と言えば、一般にナチスを連想する日本人も少なくないだろうし、著者の青木氏もあとがきで、「そんな本を書いたら、ヒトラーの崇拝者と誤解されないかなぁ」と懸念したそうだ。しかし編集者・山崎比呂志氏から、「アーリア人は歴史上存在したのですから、実体概念としての彼らを書いたらよいのです」と励まされ、結局引き受けたという。
世界最大の「民族」二千年の壮大なドラマ」がこの本のコピーとなっているが、青木氏はゾロアスター教が専門のイラン学者であり、著書でもイラン系アーリア人を中心に取り上げている。

 そして著者はイラン系アーリア人を騎馬遊牧民と定住民とに分類する。前者がキンメリア人、スキタイ人サカ人、サルマタイ人、アラン人パルティア等で、メディア人、ペルシア人、バクトリア人、ソグド人ホラズム人、ホータン・サカ人が後者。これだけのイラン系アーリア人諸民族の興亡を列記して解説するという試みもスゴイと思った。同じアーリア人でもインド系や欧州系は定住したので分かり易いが、イラン系はユーラシア大陸を縦横無尽に活躍していたことが改めて伺える。

 騎馬遊牧品と言えば、日本人は匈奴やモンゴルをイメージするだろうし、彼らこそ遊牧民の本家と思われがちだが、実際にはイラン系アーリア人こそが遊牧民の元祖だった。現代の推定では、イラン系アーリア人の後塵を拝すること約4百年の前5世紀、モンゴル高原に居住していた匈奴がサカ人に影響され、遊牧を始めたと考えられているそうだ。従って世界で初の騎馬遊牧民という生活形態を生み出したのは、前9世紀頃に中央アジアにいたイラン系アーリア人ということになる。中世以降はテュルク系民族が住民の大半を占めるようになるが、それ以前の中央アジアはアーリア系民族が主流だった。

 古代の遊牧民なら、見事な黄金美術で知られるスキタイ人が有名だが、彼らより先に遊牧民として登場したのこそウクライナ平原に暮らしていたキンメリア人である。遊牧民の先駆者的存在でも、彼らに関する史料は実に乏しく、短期間に消えていった民族ゆえ詳しいことは分かっていない。そのために返って後世の人々の想像力を掻き立てる存在となり、アメリカのヒロイック・ファンタジー英雄コナンはキンメリア人の設定になっている。作者ロバート・E・ハワードは、俗説でケルト人の一部族のキンブリ族がキンメリア人の末裔とされていることに着目、主人公名に古代ケルト語の男性名コナンを冠したのだ。なお作者はアイルランド系だった。この小説は'80年代初め映画化されており、コナンを演じたのが“シュワちゃん”。欧米人にとってキンメリア人とは、ケルト系とドイツ系を混ぜたような、「高貴な野蛮人」のイメージだとか。

 この本を見て驚いたのは、露鵬白露山兄弟は四股名に「露」がついていたのでロシア人と誤解されるが、実際はカフカスに位置する北オセチア共和国出身のオセット人とあること。オセット人は古代のイラン系民族アラン人の末裔と考えられており、露鵬の本名ソスランは岩から生まれた太陽神、白露山の本名バトラズは聖杯の守護者に当たるという。青木氏によればイラン系アーリア人の宗教思想では実に由緒正しい名前だそうで、先祖伝来の武勇を披露してくれると思いきや、名前負けは外国人にもあるという結果になった。近代において、ロシア人もオセット人の臆病さを嘲笑することもあったらしい。

 アラン人は中国の史書にも「阿蘭」として登場しており、4世紀に東から来たフン族に追われ、欧州に逃避する。フランス僧による記録には「短軀で偏平鼻で細目のぞっとするような姿」のフン族に対し、アラン人は「長身、美形で金髪」となっている。容姿が醜悪、美形問わず、侵入してきての略奪と殺戮行為は変わりなかったが、同じ白人系には甘いのだ。アラン人は欧州に逃れた後、定住化、現地人に同化していく。フランスの男性名アラン(Alain)や英語の男性名アラン(Alan)は、このアラン人入植以前には確認されておらず、彼らに由来するものと考えられているそうだ。
その②に続く

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