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ゾロアスター教史 その①

2009-05-12 21:53:08 | 読書/ノンフィクション
 昨年、『ゾロアスター教』(青木健著、刀水歴史全書79)が出版され、本の帯にはこう紹介されている。
-日本語で書かれた初めての通史。謎の多い古代アーリア人の宗教から、超大国サーサーン朝の国教としての全盛期、ムスリム支配後のインドでの大財閥としての復活~現代の信仰のようすまでを圧縮して一気に読ませる。世界の諸宗教への影響、ペルシア語文献の解読、ソグド~中国の最新研究成果に注目。

 日本でゾロアスター教についての初めて通史という宣伝文にいささか驚いたが、そう言われれば私が見た日本人学者による通史はこれまでなかったはずだ。そもそも開祖ザラスシュトラ(英語名ゾロアスター、独語名ツァラトゥストラ)は未だに生年不詳で、もっとも早い紀元前7世紀説でも、完全な無文字社会の人物。彼が説いた教えは原始教団により代々口承で語り継がれ、文字化、聖典として成立したのは何と千五百年以上も経てしまい、さらに教典アヴェスターの大半は散逸、現存するのは当時の1/4程度という始末。資料文献が徹底的に乏しく、通史を執筆しにくい状況にある。しかし、著者の青木氏は序論で「本書では先行研究の助けを借りて、可能な限り通史の体裁をとって一貫したゾロアスター教史を語ろうと試みた」と抱負を述べられている。

 上記の画像は本の表紙で、画が小さくて恐縮だが、火を掲げ白衣をまとった長いあごひげの人物が見える。別名拝火教と呼ばれるに相応しい宗教の開祖のイメージそのものだが、これを描いたのはインドやイランのゾロアスター教徒ではなく、19世紀のドレスデンのドイツ人画家エドゥアルト・ベンデマン(1812-89)。縁もないドイツ人画家がこの画を描いたのは19世紀ドイツの社会背景もある。この世紀になると、比較言語学の発達で中欧・北欧のゲルマン民族とイラン高原のアーリア民族は、原始アーリア民族が東西に分岐した姉妹民族であると唱えられていたこともあり、「ザラスシュトラ症候群」は特にドイツ語圏で激しく燃え上がる。

 ルネサンス以降の欧州知識人たちはイエス・キリストに対抗できる権威として、虚像に満ちているにせよザラスシュトラをおいて他に無く、彼らは絶えずザラスシュトラを引き合いにして己の異端思想の権威付けを図った。セム族一神教に劣等感を抱いていたらしいゲルマン民族は、イエス・キリストをも凌ぐ宗教的権威を同祖の原始アーリア民族の中に発見、これはドイツ人を狂喜させた。この感激の中で「ドレスデンのザラスシュトラ」像が描かれたのだった。偉大な過去は民族意識を高揚させるものだが、ドイツ人がそれを見出そうとすれば、ザラスシュトラを持ってくる他なかっただろう。“世界に冠たるドイツ”の昔は蛮族だった…では格好がつかない。

 この絵画を見た際、私はまるで『指輪物語』のガンダルフだと思った。映画『ロード・オブ・ザ・リング』で、ガンダルフが怪物バルログ相手に、「わしは神秘の火に仕える者、アノールの炎の使い手じゃ」と言うシーンがある。原作者のイギリス人トールキンもまたゾロアスターを意識していたのは間違いないと私は思っている。
 意外にもこの絵は現代のゾロアスター教徒たちにさえ深い感銘を与えている。そのため何も歴史的根拠のない想像画ながら、彼らが公式に承認するゾロアスター像の1つとして採用した。ちなみにこの「ドレスデンのザラスシュトラ」像は、1945年のドレスデン爆撃で焼失、現代残っているのはこれまたドイツ人による複製版画である。

 ドイツの「ザラスシュトラ症候群」は日本にも影響を与えている。19世紀末から20世紀初め頃、日本人は欧州、しかもドイツ経由でゾロアスター教を知り、ドイツロマン主義は日本人がこの宗教を語る際に付きまとうことになった。他方のシルクロード経由でもこの宗教に触れるため、こちらもエキゾチズムを掻き立てられる。
 しかし、21世紀の現代は百年前に比べ比較言語学はさらに著しく向上し、考古学や年代測定法(これらも問題あり)まである。欧米人と違い非アーリア人の日本人に、もはやドイツロマン主義の影響は稀薄となっているだろう。教祖についても欧米人のような思い入れのない日本人学者の方が、より客観的、多面的な研究が可能だと私は考える。青木氏による通史はゾロアスター教に関心を持つ者でも、それまで知られなかった内容が満載で、とても読み応えのある書だった。

 20世紀のインドの神秘主義者ラージニーシュ・チャンドラ・モーハン・オショー(1931-90)は、プネー(インド西部)のアーシュラム(修道場)での説法で、「ザラスシュトラ-踊る神」(1987年3月26日-4月7日)、「ザラスシュトラ-笑う預言者」(1987年4月8日-4月19日)と題した講演を行っている。オショーが異教の教祖に自らの思想を仮託した意図は不明だが、パールシー(インドのゾロアスター教徒)を意識したのだろうか?現代ゾロアスター教徒の都ならイランの聖地ヤズドではなく、ムンバイを意味する。ゲルマン民族より遙かにインド人とイラン人の方が血縁的にちかいため、これもインド版「ザラスシュトラ症候群」なのだろうか。
その②に続く

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