本当なら、このカテゴリーを1番充実させたいところなんですが、なかなかうまくいきません。なんででしょうね? ある意味、当たり前って言えば当たり前。
その一つのわけは…
・・・・・・・・・・・
という前に、え~っと、突然ですが、次の英文を訳してみてください(^_^;)
〓I know of MATSUKEN.
〓I know about MATSUKEN.
〓I know MATSUKEN.
いかがでしたか?
日本語訳 1)はそれぞれ
〓マツケンのことを知っている(うわさなどで間接的に知っている)
〓マツケンのことを知っている(ofを使うよりは、もうちょい“知っている”。)
〓マツケンを知っている、というか、マツケンと知り合いだ、という意味。
…そういうわけで、もし、あなたが友達から「マツケン知っている?」って聞かれたときに「I know MATSUKEN.」なんて答えたら・・・うわぁ、すごい!!!ありえねぇ~~!!なんてことになってしまいます。(キャベツは平々凡々な一般市民ですので、少なくとも「ヘェ~」という反応くらいはするでしょう)
まぁ、ともかく、「知っている」って一言(ひとこと)言っても、その中身はさまざまなんですわ。
さてここで。誰かがどなたかクリスチャンに、もし「聖書をよく知っていますか? イエス・キリストのこと知っていますか?」と尋ねたら、
多分、相手は一呼吸おいて、いくらか逡巡(しゅんじゅん)しつつ、「えぇ、まぁ少しは」とか「あまり知っているとは言えないんですが」という、あまりかんばしくない返事が返ってくる鴨(かも)
でも、その言葉どおりだと、・・・あぁこの人わからないくせにクリスチャンなんぞになってる~・・・などと、思ってはいけません。
なぜなら、「イエス・キリスト? あ、知ってる知ってる~『貧しき者は幸いです』とかって言ったんでしょ」(←それを言うなら『心の貧しき者は幸いなり』だろ!)などという程度で「知っている」と言う人と、
イエス・キリストご自身の考えられたこと、苦しまれたこと全てを知り、全てを味わわなければ「知っている」なんて言えない!!という人に二分するならば、
…多分まともな神経と感覚を持ち合わせているクリスチャンなら、後者の方がほとんどかと思われます。2)
加えて、聖書にもこう書かれてあるんですよ。
『人がもし、何かを知っていると思ったら、
その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいない』
(第一コリント 8:2)
また、上っ面(うわっつら)な知識…誰かが書いた聖書の解説書から得た知識、神学校に行ったから<あ、これはびみょ~ですけど>~云々(うんぬん)の知識で「知っている!」ではないのです。たとえば、柔道にしろ剣道にしろ、確かにカラー付き解説書を見たり授業で軽くやったりしていたら、形はなんとなくわかります。それなりに強くなります。が、たいてい「~道」って付くスポーツは哲学っぽいものがあるらしく「道を究(きわ)める」という面があるんですが、そうそう究めた!っていう人、聞いたこと・・・ないなぁ<キャベツが知らないだけかもしれないけど>。逆に、「まだ途中だ」って感じるらしい、ですよ。
さて、ついでに、“道”といえば、イエス・キリストがおっしゃった有名なみことばがあります。
それは
『わたしが道であり、
真理(しんり)であり、
いのちなのです。
わたしを通してでなければ、
だれひとり父のみもとに来ることはありません』
(ヨハネの福音書 14:6)
というみことば。もし、このイエス・キリストがただのほら吹き人間であって神様ご自身でなかったら、これほど傲慢(ごうまん)な言葉はありません。
でも、もし本当にイエス・キリストが神の御子であったら…?
もしこのみことばが本当であるとしたら…?
キャベツは「知っている」なんて到底言うことが出来ない者ですし、失敗もよくするヤツですし、おバカな奴ですので、…そういうわけでなかなか更新されないかもしれません。でも、これらの小さなことも祝福されますように、と願っております。
というわけで、今後ともヨロシク(^-^)/
【注】
1)高校レベル? ちなみに“of”と“about”に関してはあまり区別なく使われる場合もあるようです
2)あと、当たり前なんですが、その人自身でなければ、その人が感じたこと思ったこと考えたことってわかりません。じゃあ、イエス・キリスト、神様が考えたことってどうやってわかるというんでしょう~?!→これについては、まぁ書く機会がありましたら…f^_^;
その一つのわけは…
・・・・・・・・・・・
という前に、え~っと、突然ですが、次の英文を訳してみてください(^_^;)
〓I know of MATSUKEN.
〓I know about MATSUKEN.
〓I know MATSUKEN.
いかがでしたか?
日本語訳 1)はそれぞれ
〓マツケンのことを知っている(うわさなどで間接的に知っている)
〓マツケンのことを知っている(ofを使うよりは、もうちょい“知っている”。)
〓マツケンを知っている、というか、マツケンと知り合いだ、という意味。
…そういうわけで、もし、あなたが友達から「マツケン知っている?」って聞かれたときに「I know MATSUKEN.」なんて答えたら・・・うわぁ、すごい!!!ありえねぇ~~!!なんてことになってしまいます。(キャベツは平々凡々な一般市民ですので、少なくとも「ヘェ~」という反応くらいはするでしょう)
まぁ、ともかく、「知っている」って一言(ひとこと)言っても、その中身はさまざまなんですわ。
さてここで。誰かがどなたかクリスチャンに、もし「聖書をよく知っていますか? イエス・キリストのこと知っていますか?」と尋ねたら、
多分、相手は一呼吸おいて、いくらか逡巡(しゅんじゅん)しつつ、「えぇ、まぁ少しは」とか「あまり知っているとは言えないんですが」という、あまりかんばしくない返事が返ってくる鴨(かも)
でも、その言葉どおりだと、・・・あぁこの人わからないくせにクリスチャンなんぞになってる~・・・などと、思ってはいけません。
なぜなら、「イエス・キリスト? あ、知ってる知ってる~『貧しき者は幸いです』とかって言ったんでしょ」(←それを言うなら『心の貧しき者は幸いなり』だろ!)などという程度で「知っている」と言う人と、
イエス・キリストご自身の考えられたこと、苦しまれたこと全てを知り、全てを味わわなければ「知っている」なんて言えない!!という人に二分するならば、
…多分まともな神経と感覚を持ち合わせているクリスチャンなら、後者の方がほとんどかと思われます。2)
加えて、聖書にもこう書かれてあるんですよ。
『人がもし、何かを知っていると思ったら、
その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいない』
(第一コリント 8:2)
また、上っ面(うわっつら)な知識…誰かが書いた聖書の解説書から得た知識、神学校に行ったから<あ、これはびみょ~ですけど>~云々(うんぬん)の知識で「知っている!」ではないのです。たとえば、柔道にしろ剣道にしろ、確かにカラー付き解説書を見たり授業で軽くやったりしていたら、形はなんとなくわかります。それなりに強くなります。が、たいてい「~道」って付くスポーツは哲学っぽいものがあるらしく「道を究(きわ)める」という面があるんですが、そうそう究めた!っていう人、聞いたこと・・・ないなぁ<キャベツが知らないだけかもしれないけど>。逆に、「まだ途中だ」って感じるらしい、ですよ。
さて、ついでに、“道”といえば、イエス・キリストがおっしゃった有名なみことばがあります。
それは
『わたしが道であり、
真理(しんり)であり、
いのちなのです。
わたしを通してでなければ、
だれひとり父のみもとに来ることはありません』
(ヨハネの福音書 14:6)
というみことば。もし、このイエス・キリストがただのほら吹き人間であって神様ご自身でなかったら、これほど傲慢(ごうまん)な言葉はありません。
でも、もし本当にイエス・キリストが神の御子であったら…?
もしこのみことばが本当であるとしたら…?
キャベツは「知っている」なんて到底言うことが出来ない者ですし、失敗もよくするヤツですし、おバカな奴ですので、…そういうわけでなかなか更新されないかもしれません。でも、これらの小さなことも祝福されますように、と願っております。
というわけで、今後ともヨロシク(^-^)/
【注】
1)高校レベル? ちなみに“of”と“about”に関してはあまり区別なく使われる場合もあるようです
2)あと、当たり前なんですが、その人自身でなければ、その人が感じたこと思ったこと考えたことってわかりません。じゃあ、イエス・キリスト、神様が考えたことってどうやってわかるというんでしょう~?!→これについては、まぁ書く機会がありましたら…f^_^;
漢字変換といえば・・・
東と打ったらなんじゃこりゃ~と思ったことを思い出したよ。(変漢は忘れちゃたけどね)
また、来るね
「知ってる」って簡単に言う人ほど、かじった程度、あるいは「知ったつもり」なんでしょうね。
神様の考えることは人知を超えてるし、「わかった」なんていう言葉は、簡単にいっちゃいけないんだと思いました!