さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

聖書以前に:知っている?って難しい

2006-02-12 23:58:18 | Sunday 聖書
本当なら、このカテゴリーを1番充実させたいところなんですが、なかなかうまくいきません。なんででしょうね? ある意味、当たり前って言えば当たり前。

 その一つのわけは…


      ・・・・・・・・・・・


 という前に、え~っと、突然ですが、次の英文を訳してみてください(^_^;)

〓I know of MATSUKEN.

〓I know about MATSUKEN.

〓I know MATSUKEN.



                           


いかがでしたか?


                                           


日本語訳 1)はそれぞれ
〓マツケンのことを知っている(うわさなどで間接的に知っている)

〓マツケンのことを知っている(ofを使うよりは、もうちょい“知っている”。)

〓マツケンを知っている、というか、マツケンと知り合いだ、という意味。




…そういうわけで、もし、あなたが友達から「マツケン知っている?」って聞かれたときに「I know MATSUKEN.」なんて答えたら・・・うわぁ、すごい!!!ありえねぇ~~!!なんてことになってしまいます。(キャベツは平々凡々な一般市民ですので、少なくとも「ヘェ~」という反応くらいはするでしょう)



 まぁ、ともかく、「知っている」って一言(ひとこと)言っても、その中身はさまざまなんですわ。


                                    

 さてここで。誰かがどなたかクリスチャンに、もし「聖書をよく知っていますか? イエス・キリストのこと知っていますか?」と尋ねたら、

     多分、相手は一呼吸おいて、いくらか逡巡(しゅんじゅん)しつつ、「えぇ、まぁ少しは」とか「あまり知っているとは言えないんですが」という、あまりかんばしくない返事が返ってくる鴨(かも)


   でも、その言葉どおりだと、・・・あぁこの人わからないくせにクリスチャンなんぞになってる~・・・などと、思ってはいけません。

なぜなら、「イエス・キリスト? あ、知ってる知ってる~『貧しき者は幸いです』とかって言ったんでしょ」(←それを言うなら『心の貧しき者は幸いなり』だろ!)などという程度で「知っている」と言う人と、

イエス・キリストご自身の考えられたこと、苦しまれたこと全てを知り、全てを味わわなければ「知っている」なんて言えない!!という人に二分するならば、
…多分まともな神経と感覚を持ち合わせているクリスチャンなら、後者の方がほとんどかと思われます。2)


加えて、聖書にもこう書かれてあるんですよ。

  『人がもし、何かを知っていると思ったら、
   その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいない』
                (第一コリント 8:2)


 

                   
    

 また、上っ面(うわっつら)な知識…誰かが書いた聖書の解説書から得た知識、神学校に行ったから<あ、これはびみょ~ですけど>~云々(うんぬん)の知識で「知っている!」ではないのです。たとえば、柔道にしろ剣道にしろ、確かにカラー付き解説書を見たり授業で軽くやったりしていたら、形はなんとなくわかります。それなりに強くなります。が、たいてい「~道」って付くスポーツは哲学っぽいものがあるらしく「道を究(きわ)める」という面があるんですが、そうそう究めた!っていう人、聞いたこと・・・ないなぁ<キャベツが知らないだけかもしれないけど>。逆に、「まだ途中だ」って感じるらしい、ですよ。




 さて、ついでに、“道”といえば、イエス・キリストがおっしゃった有名なみことばがあります。

 それは

      『わたしが道であり、
      真理(しんり)であり、
      いのちなのです。
      わたしを通してでなければ、
      だれひとり父のみもとに来ることはありません』
                (ヨハネの福音書 14:6)


というみことば。もし、このイエス・キリストがただのほら吹き人間であって神様ご自身でなかったら、これほど傲慢(ごうまん)な言葉はありません。

 でも、もし本当にイエス・キリストが神の御子であったら…?
 もしこのみことばが本当であるとしたら…?


 キャベツは「知っている」なんて到底言うことが出来ない者ですし、失敗もよくするヤツですし、おバカな奴ですので、…そういうわけでなかなか更新されないかもしれません。でも、これらの小さなことも祝福されますように、と願っております。



というわけで、今後ともヨロシク(^-^)/




【注】
1)高校レベル? ちなみに“of”と“about”に関してはあまり区別なく使われる場合もあるようです

2)あと、当たり前なんですが、その人自身でなければ、その人が感じたこと思ったこと考えたことってわかりません。じゃあ、イエス・キリスト、神様が考えたことってどうやってわかるというんでしょう~?!→これについては、まぁ書く機会がありましたら…f^_^;


                                          
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2 コメント

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Unknown (貝改めぴーなつ)
2006-02-14 08:58:11
久しぶりの投稿です。

漢字変換といえば・・・

東と打ったらなんじゃこりゃ~と思ったことを思い出したよ。(変漢は忘れちゃたけどね

また、来るね
返信する
Unknown (めぐ)
2006-02-17 17:31:36
キャベツさんの意見に納得&賛成です。

「知ってる」って簡単に言う人ほど、かじった程度、あるいは「知ったつもり」なんでしょうね。

神様の考えることは人知を超えてるし、「わかった」なんていう言葉は、簡単にいっちゃいけないんだと思いました!
返信する

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