1ヶ月ご無沙汰しました。
あっというまに9月から11月になりました。
話題が無く、また自分の体調と母の病気のことで頭がいっぱいで
ブログの更新もせずに時が過ぎました。
母は、すでに手術できる状況ではなく、
親戚から紹介された病院で、その道ではかなり高名な先生に
セカンドオピニオンも受けましたが
今できる効果的な治療は、残念ながら何も無く・・・
病巣が悪化していくまま、その日を待つしかないようです。
母と昼食をとった時に、ぼそっとつぶやいた母の言葉が
頭から離れず。
生きることしか考えてこなかった、戦前生まれの気丈な母が
似合わない弱音を、ふと漏らした瞬間、なんともいえない
哀しさが襲ってきました。
つらいですが、本当につらいのは母自身であって
支えなければいけない家族が、しっかりしなくては。
私の手術も来月半ば。
その頃まで母が少しでも元気でいてくれればいいのですが。
2011年は、日本にとっても、私にとっても
試練の1年になりました。
あっというまに9月から11月になりました。
話題が無く、また自分の体調と母の病気のことで頭がいっぱいで
ブログの更新もせずに時が過ぎました。
母は、すでに手術できる状況ではなく、
親戚から紹介された病院で、その道ではかなり高名な先生に
セカンドオピニオンも受けましたが
今できる効果的な治療は、残念ながら何も無く・・・
病巣が悪化していくまま、その日を待つしかないようです。
母と昼食をとった時に、ぼそっとつぶやいた母の言葉が
頭から離れず。
生きることしか考えてこなかった、戦前生まれの気丈な母が
似合わない弱音を、ふと漏らした瞬間、なんともいえない
哀しさが襲ってきました。
つらいですが、本当につらいのは母自身であって
支えなければいけない家族が、しっかりしなくては。
私の手術も来月半ば。
その頃まで母が少しでも元気でいてくれればいいのですが。
2011年は、日本にとっても、私にとっても
試練の1年になりました。