ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

日本人の家族の絆

2010-11-29 00:49:46 | Private・雑感
日本人は家族の中の、個と個のつながりが世界一弱い。
そんなことを、哲学者の内山節が書いていて、気になった。
先進国共通の現象ではないのだと。
アメリカ人も家族間の連絡は頻繁に取る、フランスだって
毎週兄弟が集まってホームパーティーをやったり。近くに住んでいることが多い、と。

確かに、デンマークでルームシェアしていたアメリカ人の子は、
私の10倍くらい親に電話していた。
イタリアの子は毎日していたけど、それはカトリックの文化かなと思っていた。
なんで、日本はそうなったのだろう。

それを「サラリーマン社会」だからだ、と書いていた。
けど、それ以上のことはあまり。
アメリカもフランスもサラリーマン社会じゃないか。
家長が求心力を持つという自営業の率は、日本の方が高い。
(・・・高齢の夫婦が自営業をして、息子達がサラリーマンをしてるのが
現状なら、高いままでもおかしくないのか。)

内山は、経済成長の中で「すべてのわずらわしさから解放される未来」を
誰もが描いた、と言う。
親たちが、「自分たちのことは気にするな、都会へ出て勉強しなさい」と言って
送り出したと。
急成長したおかげで、こういう意識が極端に根付き、
子ども達はサラリーマンになり、しかも転勤が多く、孫達ともなかなか会えず、
介護が必要になってから、親が何を望んでいるのかわからない、といった状態に
なった。

精神的な自立のつもりが、孤立になっていく。
指摘されてみれば、内山の書くような意識は、
けっこう当然と思っている自分が居る。
会社の同期の男の子は、地元の富山にしょっちゅう電話する。
妹には毎日する。仲が良いというか、そういうものらしい。
それを聞いて、「べたべたしすぎじゃない?」と思っていた。

自殺率も高いし、以上のことは考えてみれば当然のことだ。
ただ、他の先進国と比べたことがなかったので、「世界一」というのに反応してしまった。

どうすればよいのだろう。
私の家族は両親は千葉、子ども三人は東海地方にばらばらに住み、働く。
私自身は、結婚相手とさえ一緒に住んで居らず、彼の両親は愛知県。
まさに!といったモデルケースじゃないか。

なぜそうなったのか、という理由の仮説には、宗教の役割の弱さもあるかも、と
思っている。
これをヒントにすると、家族イベント、「~~の日」みたいに
集まるきっかけを増やせば良いのでは、と考えてみたり。
そんな対応策を考えながらお風呂を出ました。

メモ、石油化学業界

2010-11-29 00:13:16 | Private・雑感
最近、石油化学関連で気になっていること。

①石油石炭税を1.5倍にして、増額分を地球温暖化対策税にしようという。
 四日市のコンビナート企業への影響は?

②石油元売り会社が、精製能力を全体で25%削減すべく、経済産業省に
 「計画」を今月に提出しているらしい。どういうもの?
 四日市の石油精製、石油製品の生産はどのような影響を受けるのだろうか?

③三菱化学四日市事業所が、全国で(世界で?)初めてエチレンプラントを
 停止してから来年で10年。各企業の形はどう変化したのだろうか?

とりあえず、②について。

2009年7月、エネルギー供給構造高度化法が成立した。
化石燃料の精製能力は、需要に対し過剰にあるので、
非石化、もしくは再生可能なものになるよう推進するというような感じ。

一定規模の石油、ガス、電気の事業者には転換の計画を経済産業省に
出す必要があるらしい。

今年の10月末がひとつの締め切りだったらしいが、その内容は
ネットで探してもよく見つからなかった。
ちなみに、2月には昭和シェル石油が、川崎の精油所の閉鎖を発表。
http://www.showa-shell.co.jp/press_release/pr2010/021603.html
コスモ石油も同月、削減計画を公表している。(以下の通り)

製油所名   見直し後公称能力   削減量
千葉製油所  220,000バレル/日 20,000バレル/日
四日市製油所 125,000バレル/日 50,000バレル/日
堺製油所   100,000バレル/日 20,000バレル/日
坂出製油所  110,000バレル/日 30,000バレル/日
合計     555,000バレル/日 80,000バレル/日

エネルギー基本法というのもあって、まだ調べてない。

・・・
とにかく、石油業界というのは非常に規制の強い業界で、
発祥当時から国策と絡み合っている部分がある。
1996年まで、製品(原油の一段階あとのナフサとか?)輸入ができなかったらしいし。
2002年に石油業法が廃止されたらしい、とか、
まだ勉強途中で備忘録のために書いておきます。
あーよくわからん。というか勉強しようというのが続かない。

1日2回の登山

2010-11-09 00:44:35 | Private・雑感
初めて、1日に2回登山をした。
朝8時半集合の藤原岳清掃登山で1回。
夜から始まった近くの山での捜索隊参加で1回。
夜の捜索は入山が午後10時半ごろ。
夜間の登山自体も初めて。
寒くはなく、風もない。
ただ、ヘッドライト以外は真っ暗で、鹿の鳴き声と走り去る音しかしない。
超頼もしいベテランと一緒なので不安はなく、
いつもとは全く違う雰囲気で楽しかった。
夜空の星はきれいに瞬き、遠くの夜景も美しかった。
「おーい」という呼び声に反応があったときはどきっとして
心臓音が高まった気がする。
要救助者は体力のある元気なおばさんたちで、
明るくてよかった。

11月7日夜のこの事案では、
自分の上司との意見対立というか、齟齬があった。
最近、いらいらを収めるためにか「こういう上司にはならないようにしよう、と
教訓にするべし」と考えることが多い。
不満としても残るには残ってしまうのだが、
「結果を残して、何も言わせない距離感を築きたい」とも思う。
悪いことばかりではないが、日々の仕事はやりにくい。

対照的にか、山の人たちと一緒にいるのが
非常に居心地がよい。
久しぶりに、遭難対策本部で会った人とは、
「かっこいいスキンヘッドになりましたね」と声を掛け、
「おれ、がんやねん」と。
私「ちょっと聞いていました」
彼「そういえば不審な影がちらついとるらしいやないか」
私「不審じゃないですよ、れっきとした婚約者です」
・・・
つらつら。山という環境も良いのだろう。
来年の秋はここにはいないかもしれない、と最近思い始め、
できるだけこの場所に関わっていたいなと思う。
というわけで、今朝は午前5時前に帰宅。
のんびり、静かな休日の月曜日を過ごしました。

10月つれづれ

2010-11-09 00:31:26 | Private・雑感
◆藤本幸久監督
三重県四日市市出身のドキュメンタリー映画監督。
沖縄海兵隊に入校する若者達、多くは10代の彼らはどんな人たちで、
どんな訓練を受けてきたのか。

10月中旬、これを追った「ONE SHOT ONE KILL」の上映会へ。
場所はアメリカ本国のサウスカロライナ州。人生をどうにか切り開こうと
入隊し、「人の殺し方」を端的に教わる彼らを国防省の許可を経て
撮影している。
「また、また辺野古になるまで」という辺野古の人たちを撮ったものも。
辺野古の海のボーリング調査をする業者に対し、
スウェットスーツを着てカヌーに乗り、妨害するおばちゃんやおばあちゃんたち。
「ただ、共犯になりたくない、それだけなのよ」と笑い顔とも泣き顔とも
とれる顔をしたときに涙が出てしまった。感動した自分の自己満足に浸っているだけ、
という感じがして、自分自身がみっとものない気がした。
ドキュメンタリー映像の力ってすごい。

◆祝(ほおり)の島
名古屋駅近くの小さな単館上映の映画館「シネマスコーレ」でやっていたドキュメンタリー映画。
http://www.hourinoshima.com/
中国電力の原発建設用地の近く、瀬戸内海の小さな島「祝島」の記録。
この島も入る上関町の町議会では受け入れが決まっている。
原発で島民が分裂したりした過去はあまり描かれない。
島の、豊かな海だけを頼りに、小さな小さな田んぼの手入れをしながら
細々と手を取り合って暮らす、老人達の日常を描く。
毎月(だったかな)、はちまきをして「原発、いらなーい」と声を出して
島を一周する。そんな日常が28年続いているという。

もっと、原発は造るべきか、造るべきではない!というメッセージや
判断材料提供の映画かと思ったら、そうではなかった。
埋もれている日常の風景を出すというか。
「作品」としてきれいだなーという感じ。
マイケル・ムーアのように、弱者と強者をどちらも登場させ、戦わせ、軍配を上げる
ような映画、それで作品としても成功する映画というのはかなり
高度なモノなのだなと最近思う。映像作品は、弱者に寄り添って終わり、という印象が強い。

◆横浜JICA
ひょんなことから、JICA横浜にある移民資料館のようなところに寄った。
JICAの前身のひとつって、海外移住事業団ということ、知らなかった。
えらいきれいで立派な資料館で、人はほとんどおらず。
海外移住は広島県が突出して多かった。
資料館の人は「広島は明治時代、政府に参画したお偉いさんが多かった。だから
移住情報がすーっと入って、移住する人が多かった」と言っていたけど、
ほかの資料では、広島から移住し、大成功した人の報道がばんばんなされたためだ、
というのがあった。
海外移住事業団時代は、アマゾン勤務が3度もあった、という資料館のおじいさんの
話。誇らしげでもなく淡々と。もっと聞きたい気もしたが、話が前に進まないのでやめました。

9月には千葉、群馬と私の実家へ行き、10月には彼の実家と顔合わせ。
”家族行事”に少し忙しい秋。お金と時間がかかるが、充実した時間でもあった。