国会では「安保法案」に関わる衆議院特別委員会の審議において「違憲」「合憲」の、決して交わることの無い議論が依然として続いているが、時としてその本質的な部分より、語彙や言葉そのものに起因する表面的な応酬になり、ややもすると「言葉遊び」に終始しているのではないかとする傾向があるのも否めない。
例えば「武力の行使」と「武器の使用」との違いであるとか、また、「後方支援」といった言葉もそうである。
奇しくも安倍が吐露してしまった「日本独自」という表現に現れているように、当法案に使われている語句には、その他独特の言い回しが多い。しかも、その定義は極めて曖昧だ。「存立危機事態」や「重要影響事態」。まして「国際平和共同対処事態」に至っては字面からは到底意味が掴みにくい。
そのことから、確かに「日本独自」とは言い得て妙で、翻ってこれでグローバルだパワーバランスだと言っている方が聞いて呆れるし、滑稽に思えてくるというものだ。
とは言え、政府にとっては曖昧で複雑にしたほうが都合が良く、言い逃れの幅を持たせたほうがやり易い。しかしそうしたところで、今ではそれが仇となって、法案を作成した官僚までもが説明に苦慮するこれらの内容。さて、果たして的確に理解した上で、合憲の側に立って正論を語れる者は居るのだろうか。
ここで、今一度「事態」と「定義」について、おさらいも兼ねて。「言葉遊び」だと言っていられないその戦慄の実態を!
●存立危機事態 → 「日本の同盟国などが攻撃された」事態。
定義:「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」
〈具体的に〉
・集団的自衛権に基づいて自衛隊が米軍その他の外国軍隊と共に武力を行使する。← アメリカ軍やオーストラリア軍が(どこの場所であっても)攻撃されることで日本の存立が脅かされるような場合。(考えにくいが、時の政府の判断でそうなる。)
・「ペルシャ湾に機雷がまかれた場合」、機雷の掃海を行う。← 原油が日本に届かなくなり、日本の存立が脅かされるから。
○個別的自衛権の範囲を超えた武力行使を禁じている憲法9条に違反。
○「昭和47年政府見解」の要求質疑における吉國内閣法制局長官答弁(PDFファイル)では次のように述べている。
「非常に緊密な関係にありましても、その他国が侵されている状態は、わが国の国民が苦しんでいるというところまではいかない。その非常に緊密な関係に、かりにある国があるといたしましても、その国の侵略が行なわれて、さらにわが国が侵されようという段階になって、侵略が発生いたしましたならば、やむを得ず自衛の行動をとるということが、憲法の容認するぎりぎりのところだという説明をいたしておるわけでございます。」
●重要影響事態 → 「外国で戦争などが発生し日本も巻き込まれるかもしれない」事態。
定義:「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等、我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」
〈具体的に〉
・日本周辺の地域のみならず、世界中のどこでも、「現に戦闘行為を行っている現場ではない場所」においてなら、自衛隊が米軍その他の外国軍隊に対して後方支援として弾薬の提供や兵員の輸送、戦闘機等への給油・整備、船舶検査等を行う。(いわゆる兵站(へいたん)活動)
・ただし撃墜された米軍パイロットの捜索救助は戦闘地域でもできるとする。
○地理的制約が無く、世界各地で米軍などへの支援を可能とする。
○兵站なくしての継続的な戦闘行為はあり得ず、自衛隊と他国軍隊が行う武力行使の一体化は避けられない。
○兵站は戦闘と一体不可分であり(世界、軍事の常識)、攻撃対象となる。
○「現に戦闘行為を行っている現場ではない場所」は、活動する時に、「弾丸が飛び交っていなければいい」という理屈にもなり、例えば昼間は戦闘になるが夜間はなかったり、敵対武装勢力が潜伏しているが実際には戦闘中でないとなれば活動可能ということにもなる。『戦闘が始まればその場から撤退する』と言うが、現実には不可能。
○2008年、自衛隊イラク派遣差し止めなどを求める集団訴訟の控訴審判決のなかで、名古屋高裁(青山邦夫裁判長)は原告側の敗訴としたが、傍論として、航空自衛隊が首都バグダッドに多国籍軍を空輸していることについて“戦闘地域での活動”とし、「他国による武力行使と一体化した行動で、自らも武力の行使を行ったとの評価を受けざるを得ず、武力行使を禁じた日本国憲法第9条1項に違反する活動を含んでいる」とする判断を示している。
●国際平和共同対処事態 → 「例えばアフガニスタンのように国際的な重要事態だが日本に直接攻撃が来ることはなさそうな」事態。
定義:「国際社会の平和及び安全を脅かす事態であって、その脅威を除去するために国際社会が国際連合憲章の目的に従い共同して対処する活動を行い、かつ、我が国が国際社会の一員としてこれに主体的かつ積極的に寄与する必要があるもの」
〈具体的に〉
・自衛隊が戦争を遂行する他国の軍隊に対して弾薬の提供や兵員の輸送、戦闘機等への給油・整備等の後方支援活動を行う。
・2001年の米同時多発テロ後のアフガン戦争の際、インド洋で行った他国軍への給油活動のような場合を想定している。
○日本の平和と安全への影響すら要件としないで自衛隊の海外派遣が可能になるという問題があり、自衛隊の後方支援と他国軍隊が行う武力行使との一体化が避けられず、海外での武力行使に道を開くものとして、立派に憲法違反となる。
「存立危機事態」、「重要影響事態」、「国際平和共同対処事態」。それでもなかなか明確な区分けは難しい。
いずれにせよ政府は、「極めて限定的」で「しっかりした歯止めがある」と言う。だが、突き詰めれば「個別具体的に判断する」と言うに留め、そこに明確な基準というものはなく、結局そのときの政府判断に委ねるということになる。
また、つい先頃、安倍は党首討論において具体例を示せと迫った民主党の岡田代表に対して「手の内は晒さない」というようなことを述べたばかりである。そのことからも実際の実施段階において、更に、⇒「特定秘密保護法」により、実施理由や内容について、一切国民に明かされないまま秘密裏に進行する可能性も大いにあるのだ。これはもう尋常ではなく、この法律が施行されれば『戦争をする国』に向けて進むのは明らかである。
さて一方、安保法案の「言葉」に関して、「アゴラ」より一昨日、池田信夫と潮匡人のインタビュー動画がUPされた。
タイトルは「安保法案に「集団的自衛権」という言葉はない」という、やや挑発的なものだ。
【アゴラVlog】安保法案に「集団的自衛権」という言葉はない(6月18日)
(動画タイトルの話題は15:00くらいから。)
以下、該当部分のみ書き起こし。
潮:「今回の膨大な法案はですね、実は『集団的自衛権』とは書いてないんですね。それは去年の7月一日の閣議決定の中で、『国際法上、集団的自衛権と説明される』ということを認めただけなんですよ。今回の11本の法律のどの条文にも『集団的自衛権』とは書いてないんです。だから『集団的自衛権』が憲法違反だからこの法案は憲法違反だと、多くの何百人の憲法学者が、私に言わせれば読まずにあんな適当なこと言ってるんですよ。だから皆さんに答えてくださいって言ってるんです。『個別的自衛権』は合憲なんですかと・・・」
池田:「じゃぁ『個別的自衛権』と解釈すればいい」
潮:「すればいいことですよ。そうやって賛成してくださいと。民主党にも私ならそう切り替えしますけどね。」
潮:「法案に書いてあるのは、いわゆる『存立危機事態』の定義だけが書いてあるんですね。なので、その『存立危機事態』を『個別的自衛権』で説明できるという方がいても別にいいんじゃないですか?」
潮:「だからそういうこと(集団的自衛権云々)言う人たちはおかしいんですよ。つまり、『個別的自衛権』で説明できる程度のことなんです『存立危機事態』は。で、それを『集団的自衛権』を認めたと、あたかも無限定で認めたかのように非難し、地球の裏側まで行く、戦争ができる国になるとバカ騒ぎしてるわけですよ。言っていることが矛盾しています。」
潮:「私の立場から言えば、安倍さんにはがっかりしてるわけですよ。本来ならばフルスペックで認めるべきである。で、あるいは、過去の政府答弁は間違っていたと、はっきり認めずに、その延長線上ですと、いう説明でこの国会を乗り切ろうとされておられるからいろんなところを衝かれる。みんな聞いていても結局何なのかよく解らなくなる。質問する方もする方で、昨日の党首討論でまたつい徴兵制の話を民主党の代表が、党首討論で言ってましたけど、本気でそんなこと考えているんですかと、国民だって馬鹿じゃありませんからね、まぁいくらなんでもこの法案が通ったら徴兵制になるとか言われたら、それはそれでなんか嘘ついてるんじゃないかと、単に煽ってるだけじゃないかということにもなるでしょうから、結局どっちが本当のこと言ってるのかわかりませんということになる。それは何故そうなるのかと言えば、要は、中途半端な法案だからなんですね。」
ここで、池田氏や潮氏に対する批判は敢えて書かないが、乱暴であるも、ある意味随分と素直な話ではある。(苦笑)
確かに、「安全保障関連法制」の概要、案文等において、その文中には「集団的自衛権」はおろか、「集団的」という言葉さえ書かれてはいない。(一箇所、「国際法」を引用した部分に見られるのみ。)
だが当然、現行憲法下において「集団的自衛権」を条文に明記すれば、その時点でアウトであろう。従って法案はその条文において巧みに語句を摩り替えているだけに過ぎないのであって、実質的に「集団的自衛」を謳っているのは紛れもなく動かしがたい事実だ。
例えば、6月9日に政府が野党に示した文書 ⇒「安保法案に関する政府見解」と「自民党議員向け文書」にはその文中、頻繁に「集団的自衛権」の記載があり、具体的にそれを認めている。
いずれにせよ、安倍は何よりまずこの法案により、“日本独自”だろうが何だろうが勢い「集団的自衛」の既成事実化を謀ろうとしているのである。
《参照》
⇒内閣官房HP「平和安全法制等の整備について」(いずれもPDFファイル)
※記事内でリンクしたサイト、貼り付けた動画は時間経過と共に削除、更新される場合があります。ご了承ください。
例えば「武力の行使」と「武器の使用」との違いであるとか、また、「後方支援」といった言葉もそうである。
奇しくも安倍が吐露してしまった「日本独自」という表現に現れているように、当法案に使われている語句には、その他独特の言い回しが多い。しかも、その定義は極めて曖昧だ。「存立危機事態」や「重要影響事態」。まして「国際平和共同対処事態」に至っては字面からは到底意味が掴みにくい。
そのことから、確かに「日本独自」とは言い得て妙で、翻ってこれでグローバルだパワーバランスだと言っている方が聞いて呆れるし、滑稽に思えてくるというものだ。
とは言え、政府にとっては曖昧で複雑にしたほうが都合が良く、言い逃れの幅を持たせたほうがやり易い。しかしそうしたところで、今ではそれが仇となって、法案を作成した官僚までもが説明に苦慮するこれらの内容。さて、果たして的確に理解した上で、合憲の側に立って正論を語れる者は居るのだろうか。
ここで、今一度「事態」と「定義」について、おさらいも兼ねて。「言葉遊び」だと言っていられないその戦慄の実態を!
●存立危機事態 → 「日本の同盟国などが攻撃された」事態。
定義:「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」
〈具体的に〉
・集団的自衛権に基づいて自衛隊が米軍その他の外国軍隊と共に武力を行使する。← アメリカ軍やオーストラリア軍が(どこの場所であっても)攻撃されることで日本の存立が脅かされるような場合。(考えにくいが、時の政府の判断でそうなる。)
・「ペルシャ湾に機雷がまかれた場合」、機雷の掃海を行う。← 原油が日本に届かなくなり、日本の存立が脅かされるから。
○個別的自衛権の範囲を超えた武力行使を禁じている憲法9条に違反。
○「昭和47年政府見解」の要求質疑における吉國内閣法制局長官答弁(PDFファイル)では次のように述べている。
「非常に緊密な関係にありましても、その他国が侵されている状態は、わが国の国民が苦しんでいるというところまではいかない。その非常に緊密な関係に、かりにある国があるといたしましても、その国の侵略が行なわれて、さらにわが国が侵されようという段階になって、侵略が発生いたしましたならば、やむを得ず自衛の行動をとるということが、憲法の容認するぎりぎりのところだという説明をいたしておるわけでございます。」
●重要影響事態 → 「外国で戦争などが発生し日本も巻き込まれるかもしれない」事態。
定義:「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等、我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」
〈具体的に〉
・日本周辺の地域のみならず、世界中のどこでも、「現に戦闘行為を行っている現場ではない場所」においてなら、自衛隊が米軍その他の外国軍隊に対して後方支援として弾薬の提供や兵員の輸送、戦闘機等への給油・整備、船舶検査等を行う。(いわゆる兵站(へいたん)活動)
・ただし撃墜された米軍パイロットの捜索救助は戦闘地域でもできるとする。
○地理的制約が無く、世界各地で米軍などへの支援を可能とする。
○兵站なくしての継続的な戦闘行為はあり得ず、自衛隊と他国軍隊が行う武力行使の一体化は避けられない。
○兵站は戦闘と一体不可分であり(世界、軍事の常識)、攻撃対象となる。
○「現に戦闘行為を行っている現場ではない場所」は、活動する時に、「弾丸が飛び交っていなければいい」という理屈にもなり、例えば昼間は戦闘になるが夜間はなかったり、敵対武装勢力が潜伏しているが実際には戦闘中でないとなれば活動可能ということにもなる。『戦闘が始まればその場から撤退する』と言うが、現実には不可能。
○2008年、自衛隊イラク派遣差し止めなどを求める集団訴訟の控訴審判決のなかで、名古屋高裁(青山邦夫裁判長)は原告側の敗訴としたが、傍論として、航空自衛隊が首都バグダッドに多国籍軍を空輸していることについて“戦闘地域での活動”とし、「他国による武力行使と一体化した行動で、自らも武力の行使を行ったとの評価を受けざるを得ず、武力行使を禁じた日本国憲法第9条1項に違反する活動を含んでいる」とする判断を示している。
●国際平和共同対処事態 → 「例えばアフガニスタンのように国際的な重要事態だが日本に直接攻撃が来ることはなさそうな」事態。
定義:「国際社会の平和及び安全を脅かす事態であって、その脅威を除去するために国際社会が国際連合憲章の目的に従い共同して対処する活動を行い、かつ、我が国が国際社会の一員としてこれに主体的かつ積極的に寄与する必要があるもの」
〈具体的に〉
・自衛隊が戦争を遂行する他国の軍隊に対して弾薬の提供や兵員の輸送、戦闘機等への給油・整備等の後方支援活動を行う。
・2001年の米同時多発テロ後のアフガン戦争の際、インド洋で行った他国軍への給油活動のような場合を想定している。
○日本の平和と安全への影響すら要件としないで自衛隊の海外派遣が可能になるという問題があり、自衛隊の後方支援と他国軍隊が行う武力行使との一体化が避けられず、海外での武力行使に道を開くものとして、立派に憲法違反となる。
「存立危機事態」、「重要影響事態」、「国際平和共同対処事態」。それでもなかなか明確な区分けは難しい。
いずれにせよ政府は、「極めて限定的」で「しっかりした歯止めがある」と言う。だが、突き詰めれば「個別具体的に判断する」と言うに留め、そこに明確な基準というものはなく、結局そのときの政府判断に委ねるということになる。
また、つい先頃、安倍は党首討論において具体例を示せと迫った民主党の岡田代表に対して「手の内は晒さない」というようなことを述べたばかりである。そのことからも実際の実施段階において、更に、⇒「特定秘密保護法」により、実施理由や内容について、一切国民に明かされないまま秘密裏に進行する可能性も大いにあるのだ。これはもう尋常ではなく、この法律が施行されれば『戦争をする国』に向けて進むのは明らかである。
さて一方、安保法案の「言葉」に関して、「アゴラ」より一昨日、池田信夫と潮匡人のインタビュー動画がUPされた。
タイトルは「安保法案に「集団的自衛権」という言葉はない」という、やや挑発的なものだ。
【アゴラVlog】安保法案に「集団的自衛権」という言葉はない(6月18日)
(動画タイトルの話題は15:00くらいから。)
以下、該当部分のみ書き起こし。
潮:「今回の膨大な法案はですね、実は『集団的自衛権』とは書いてないんですね。それは去年の7月一日の閣議決定の中で、『国際法上、集団的自衛権と説明される』ということを認めただけなんですよ。今回の11本の法律のどの条文にも『集団的自衛権』とは書いてないんです。だから『集団的自衛権』が憲法違反だからこの法案は憲法違反だと、多くの何百人の憲法学者が、私に言わせれば読まずにあんな適当なこと言ってるんですよ。だから皆さんに答えてくださいって言ってるんです。『個別的自衛権』は合憲なんですかと・・・」
池田:「じゃぁ『個別的自衛権』と解釈すればいい」
潮:「すればいいことですよ。そうやって賛成してくださいと。民主党にも私ならそう切り替えしますけどね。」
潮:「法案に書いてあるのは、いわゆる『存立危機事態』の定義だけが書いてあるんですね。なので、その『存立危機事態』を『個別的自衛権』で説明できるという方がいても別にいいんじゃないですか?」
潮:「だからそういうこと(集団的自衛権云々)言う人たちはおかしいんですよ。つまり、『個別的自衛権』で説明できる程度のことなんです『存立危機事態』は。で、それを『集団的自衛権』を認めたと、あたかも無限定で認めたかのように非難し、地球の裏側まで行く、戦争ができる国になるとバカ騒ぎしてるわけですよ。言っていることが矛盾しています。」
潮:「私の立場から言えば、安倍さんにはがっかりしてるわけですよ。本来ならばフルスペックで認めるべきである。で、あるいは、過去の政府答弁は間違っていたと、はっきり認めずに、その延長線上ですと、いう説明でこの国会を乗り切ろうとされておられるからいろんなところを衝かれる。みんな聞いていても結局何なのかよく解らなくなる。質問する方もする方で、昨日の党首討論でまたつい徴兵制の話を民主党の代表が、党首討論で言ってましたけど、本気でそんなこと考えているんですかと、国民だって馬鹿じゃありませんからね、まぁいくらなんでもこの法案が通ったら徴兵制になるとか言われたら、それはそれでなんか嘘ついてるんじゃないかと、単に煽ってるだけじゃないかということにもなるでしょうから、結局どっちが本当のこと言ってるのかわかりませんということになる。それは何故そうなるのかと言えば、要は、中途半端な法案だからなんですね。」
ここで、池田氏や潮氏に対する批判は敢えて書かないが、乱暴であるも、ある意味随分と素直な話ではある。(苦笑)
確かに、「安全保障関連法制」の概要、案文等において、その文中には「集団的自衛権」はおろか、「集団的」という言葉さえ書かれてはいない。(一箇所、「国際法」を引用した部分に見られるのみ。)
だが当然、現行憲法下において「集団的自衛権」を条文に明記すれば、その時点でアウトであろう。従って法案はその条文において巧みに語句を摩り替えているだけに過ぎないのであって、実質的に「集団的自衛」を謳っているのは紛れもなく動かしがたい事実だ。
例えば、6月9日に政府が野党に示した文書 ⇒「安保法案に関する政府見解」と「自民党議員向け文書」にはその文中、頻繁に「集団的自衛権」の記載があり、具体的にそれを認めている。
いずれにせよ、安倍は何よりまずこの法案により、“日本独自”だろうが何だろうが勢い「集団的自衛」の既成事実化を謀ろうとしているのである。
《参照》
⇒内閣官房HP「平和安全法制等の整備について」(いずれもPDFファイル)
※記事内でリンクしたサイト、貼り付けた動画は時間経過と共に削除、更新される場合があります。ご了承ください。