東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

西和彦氏の「反省記」を読む

2020-10-16 09:37:08 | マイクロソフト

#センチメンタル ジャーニー to 毎秒300ボー 

 出版されたばかりの本書を読んだ。このブログでも何回かマイクロソフトの記事を書いたがMS初期の共同経営者に西某という日本人がいたと記憶していて、のちにMSを「追い出された」というあやふやな記憶があった。日本も独自のOSを持つべきであるという本ブログの主張との観点から、この人物のことが気になっていたが、最近ふと書店で見かけて、西氏がその人物であることを裏表紙の記述で確認したので購入した。

 西氏はソフト開発に加えてICなどのハード分野への進出を主張したが、ビル・ゲイツはソフト一本やりという考えで経営戦略の対立があったという。ビルは半導体メイカー、インテルとの関係に頼っていて、インテルの機嫌を損ねるのを怖がってハードへの進出に消極的だったらしい(西氏による)。

 本書によれば、それに加えて、マイクロソフトとアスキーの契約で西氏側に弱いところがあった。また、ビル側のアメリカの取り巻き達による、強引な西氏に対する排除工作があったというがいずれも西氏の記述である。その後両者は和解して近年は親善関係にあるそうだ。アスキーは西氏が創立した会社である。

 それは別にして、本書を読んで懐かしい記憶がよみがえった。もちろん西氏と筆者には何の関係もないし、プログラム業界ともまったく関係がなく、また半導体業界あるいはコンピューター業界ともまったく関係はない。しかし、1970年代の後半だったと思うが、いわゆるマイコン誕生を告げた一つの記事に強い衝撃を私も受けた。彼はアメリカの雑誌で個人レベルで持てるマイコンの可能性の記事を読んで強い関心を持ったのがコンピューター業界への進出の動機だったという。

 この記事は当時私の読んだものと同じではないかと思う。私はビジネスウイークで読んだ。タンディーとかレイディオ・シャックなどの日本でいえば秋葉原の部品屋が開発したという記事を読んで強烈な興味を持った。彼の読んだ雑誌は業界雑誌か科学雑誌だったかもしれないが。

 その1,2年後だったと思うがNECがTK-80という「マイコンキット」を発売した。少年時代に鉱石ラジオすら作ったことがなく、アマチュア無線をしたことがない筆者はそのキットを買い込んで組み立てた。組み立てたと言っても多数のICチップ、抵抗、コンデンサーを出来上がった基盤にはんだ付けするだけだったが、何しろ鉱石ラジオも作ったことがない私にとっては大変な作業であった。そして出来上がって動かしてみると見事に予定どおり動いた時には感動したものである。これは機械語しか使えない。さっそく16進の機械語を勉強してえっちらおっちら入力したものである。

 そしてNECはやがて伝説のPC8001を発売した。これは機械語ではなくてbasicが走るごく初歩的なマシーンであった。それからNECは8801という機種を作った。やがてMSがMSDOSを発売。DOSとはDisc Operating Systemの略で、Discというのは勿論floppy discである。この辺までが一番面白かったね。それ以降はもっぱらユーザーとなった。

 また、本書で彼が始めたアスキー通信のことが出ていたが、これも小生がパソコン通信(昔はインターネットなんて無かったからね)を利用した最初である。使える文字はアルファニュメリックだけでね、かなも漢字も使えなかった。この辺の記述も懐かしかった。通信速度はたしか毎秒300ボーだった。

 最近のMSの反商業道徳的な悪行の数々については、さんざん書いてきた。長くなったからここでは繰り返さないことにする。

 

 

 


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