オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

古今名婦伝 「小式部内侍」

2018-04-24 | 豊国錦絵

小式部内侍(こしきぶのないし)は平安時代の女流歌人 掌侍

生年未詳(998、999、1000年とも) ~ 万寿2年(1025年)

母の和泉式部と共に一条天皇の中宮・藤原彰子に出仕した

そのため母式部と区別するために「小式部」と呼ばれるようになった

 

出版年未詳  歌川豊国(国貞)絵

 

小式部内侍は陸奥守橘道貞(たちばなのみちさだ)の娘にて上東門院の女房なり

母の和泉式部が後の夫、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)とともに任国の丹後に

下り住んでいた頃、宮中で歌合せがあり小式部も歌詠みに選ばれた

この時いまだ年弱なのに小式部に佳き詠があるのは

母の代作であろうと邪推する者もおり

おりから藤原実頼(ふじわらのさねより)が局の前を過ぎるとき

丹後の国へは使いは出されましたか、未だ帰らぬが待ち遠しいですね

と言い棄てようとした直衣(のうし)の袖を引きとどめ

『大江山 いく野の道の遠ければ まだふみも見じ 天の橋立』

子建が七歩の詩に劣らぬ母の智借りぬ当意即妙に

実頼卿は赤面し袖を引き切りて逃げ去った

     柳亭種彦記

 

子建 中国三国時代の曹操の第3子 曹植の字(あざな)

七歩の才 作詩の才がすぐれて早いこと