星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

「宮城野」矢太郎の真実に迫る一考察。

2011-01-30 | 映画「宮城野」
このページでは映画「宮城野」ディレクターズカット版を応援しています。

山崎監督の ツイッターサイトで、あることが話題になっている。
「宮城野」=「アメリ」説だ。
「アメリ」といえば日本でも話題になり、今も多くのファンがい
ると思われるあのキュートでちょっと風変わりなフランス映画。
ある方がその映画と「宮城野」の共通点に気づき、監督とやりと
りをされていた。(こんなふうに感想をダイレクトに監督に伝え
られるのもツイッターの醍醐味だ。)
アメリは私も好きな映画の一つだけど全然気づかなかったので、
近々検証してみよう。
これも原作が素晴しいことと、「宮城野」という映画が見る人を
インスパイアする何かを持っているということの証明だと思う。
アメリファンの方もぜひ「宮城野」をご覧になってください。

>> 3月4日のディレクターズカット版東京プレミア上映詳細は
ボストン美術館 浮世絵名品展のサイトで。


<矢太郎の真実についての一考察>
それはさておき、ここからは自分で考えたことを。
いまごろふと思い出した。
去年京都で観たときの感想をいまだに書いていない。
監督の舞台挨拶のレポはしたけれど、あれは感想とは違う。
というワケで、ディレクターズ版3回目でやっと気づいたことを
今さらながら書いておきたい。
私がどうしてもわからなかったのは、宮城野と最後に逢った時の
矢太郎の気持ちについてだ。

1)写楽殺しにいたった理由ついて、矢太郎が宮城野に語ったこ
とは本当なのか?
2)矢太郎が宮城野の絵を描かせてほしいと懇願しながらも、す
ぐに筆が止まってしまうのはなぜか?
3)矢太郎は宮城野を愛していたのか?

その前に「宮城野」に仕掛けられた二重性という罠について書い
てみようと思う。

たとえば、タイトル。「宮城野」って何? 誰のこと?
これは一人の女郎の名前である。
と同時に、写楽が描いた絵のことでもある。
どちらもその元をたどれば『碁太平記白石噺』新吉原揚屋の場、
という芝居の役名からきている。
一人の女郎の運命が暗示されたタイトルに、リピートするように
なってからしみじみ考えさせられるようになった。

それから、嘘か真実か、という二重性について。
原作の戯曲は二人芝居になっていて、その二人の会話がクセモノ。
読み進むうちにどれが嘘でどれが本当なのかわからなくなってく
る部分があり、それがこの作品の奥行きだったりする。
読者の勝手な想像が入り込む余地のある文学作品。それが魅力で
あり、傑作戯曲と言われる由縁の一つであると私は思う。

映画の「宮城野」がうまいなあと思うのは原作の奥行きの深さを
損なうことなく作られている点だ。
具体的なビジュアルを見せつつも、決して限定されないように工
夫してあったり、嘘か本当かで悩ましいシチュエーションでは、
同じように悩ましいビジュアルで私たちを翻弄してくれる(笑)。
そして観終わった後、あれは真実だったのだろうか?
それとも???
だから、次は真実を見極めたい。今度こそ見破ってやろうと思っ
てしまう。こうしてハマることになる。なんてズルイ映画だ(笑)。

で、3回目にしてやっと見つけた矢太郎の真実。
(単に私が今まで鈍感だったせいかもしれないが。)
いや、真実かどうかはともかく。
矢太郎が宮城野に対して抱いている想いがわかる映像が、1カ所
仕掛けられていることに気づいた。
具体的な箇所についてはここでは触れないでおく。「考察」の核
ではあるけれど、これから観る人の楽しみを奪いたくないから。
以下、その仕掛け映像から得られた私なりの矢太郎観。

いちおう、ネタバレにご注意ください。

////////////////////////////


●写楽殺しの本当の理由
矢太郎が写楽殺しの理由を宮城野に語ってきかせるとき、矢太郎は
ウソをついている。
写楽がおかよのことを言葉で辱めたから、と宮城野には説明するが、
そっちの理由はウソである。

本当の理由はこの1つ。それを宮城野には語っていない。
矢太郎がもう魂のこもった本物の肉筆画が描けないことを、写楽に
指摘されたことが最大の理由だ。絵師として身を立てる夢を描いて
いた矢太郎には、それは決定的な言葉だった。そして、そのことを
誰よりも知っていたのは矢太郎自身ではなかったろうか?
「魂の抜け殻野郎には全部を探したって、てめえ自身の絵なんざ
どこにも残ってないんだ」
写楽の言葉は矢太郎を死に追いやったも同然。だから殺した。

ではなぜ、宮城野にウソをつく必要があったのか?
宮城野には、自分がもう本物の絵が描けないことを絶対に知られた
くなかったのだ、男として。それが矢太郎の本心だと思う。
別れることを前提とした、矢太郎のチープな「男の美学」。
ロマンチックに言えば、宮城野には才能ある絵師であると最後まで
信じていてほしかった。好きな女には自分を英雄のまま永久保存し
てほしかったのだと思う。
愛してはいたけれど、生活を共にするわけにはいかない。
だけど矢太郎が本当に好きだったのは宮城野だった。

以上が、私の考えた矢太郎の真実。

最後に宮城野の部屋に駆け込んだとき。
お前の命の秘密を見せてくれ!そうすればもう少しいい絵が描ける、
と宮城野に懇願して絵筆をとった矢太郎。
いくら描こうとしても描けない。
それは人殺しの後で動揺が激しいからだと思っていたが、矢太郎は
本当に自分の絵が描けなくなっていたのだ。
愛之助さんの苦しそうな表情と合わさって、そこがたまらなく切な
く哀しい。ほんとに哀しいよ、矢太さん・・・。


宮城野の「あれ」と、毬谷さんの絶妙の涙についても感想を書きた
いと思っていたけれど、いつか・・・「アメリ」検証後にでも併せ
て書ければいいなと思う。
そのためにももう1回、本当は観てみたいんだけど。
どうか「宮城野 ディレクターズカット版」が全国一般公開になり
ますように!
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