菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

信頼の上に物語は成り立つ

2010年07月01日 00時00分25秒 | 映画のあれこれ
映像の物語には、それぞれがもつ道徳観、生理的な許容度が影響する。

造詣や人物の言動、物語の運び、そまざまな要素に生理的な影響はある。


面白さには、そういうことが強く影響する。
 
それは、技術や金がかかっているだけでは、なかなか超えづらい。

スターというのは、そういう部分で有効に機能することもある。
お化け屋敷に一緒に入ってくれる人がいる。
頼れるガイドがいることは、安心感になる。
作家というのも、それを担う。
 
スカイ・ダイビングでのインストラクターと二人で飛ぶときのインストラクターのような役割だ。



テレビ局(が作る映画)の自主規制の方法論が、その生理的なものを回避させて、観客に映画を見ることに安心感を与えているというのもあるかもしれない。


そういう意味では、ハリウッドの作品や邦画は、底を越えてこないという安心感が売りでもあると思う。

『水戸黄門』タイプなんて言葉は、まさにそれを示す。


ベタや少し古めの技術も見方を変えると安心感にもなる。
 

驚きは不安も呼ぶからね。

「安心して驚きたい」、それは娯楽の基本の一つ。
 
映画を見るということは、信頼の上に成り立つものでもある。
 
少なくともスクリーンからは出てこない。
映画館の外では確実に起こっている現実であっても。



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