菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

ノスタルジー汁、足すの。   『ミックマック』

2010年09月28日 02時47分22秒 | 映画(公開映画)
 
で、ロードショーでは、どうでしょう? 第173回。



「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」







『ミックマック』







ジャン・ピエール・ジュネの新作。
さまざまな映画スタイルを取り込んだ、現代へ物語で挑み戦ってる映画。


『ミックマック』という意味は悪戯と説明されているけど、もっと辛辣な意味を含んでると思う、いわば仕返しとか、懲らしめとかという感じ。

現代への戦いと書くと、どこがと思われそうなのが難しい。
日本では特に勘違いされそうなのは、、日本では“銃が人を殺すのではなく、人が銃で殺す”という道具には罪がないという考え方が邪魔するかも。
間接的な兵器会社が復讐の対象に選ばれるのは、少々八つ当たり気味に見えるかもしれないから。
ただ、もう一歩進んで、因果応報の視線で観ると、見えてくるものがあると思う。
“風が吹けば、桶屋が儲かる”なんだな。
ようは回りくどいともいえるし、間にいろいろはさまることで、責任から逃れること、まるで、それはわたしのせいじゃないからと、目を背けることへの追求だとみるべきなのだ。
この映画は現代の複雑さへ、シンプルなおとぎ話で戦かおうとしているんだぜ。
だから、彼らの仕返しの方法も同じように、回りくどくて、いちいち手間がかかっている。
その手間に、手段に込められたユーモアに愛を見るのだ。


アメリカのブッシュを代表に、政治家と軍需産業との癒着は、世界中が抱える問題で、日本でも少なからずある。
フランスでも、それは度多分に漏れないので、実際の政治家が写真で社長と映っている。
こういうのは、映画の外の知識を使って観るものだ。

フランスにおける騎士道というか、貴族的精神を扱ってもいるんじゃないかしらん。
言語学者が、古い言葉を弄ぶあたりに、そこらへんは匂わされてもいる気がするのだ。


共同脚本のギョーム・ロランのセリフ(フランスは筋と会話で脚本家の仕事が分かれていることが多い)は、辛辣さに遊びを加えている。


ダリウス・コンジの光るダークさから、ブリュノ・デルボネルのガラス越しのハッピーを経て、
今回の撮影である永田鉄男は映像に手触りを加えている。
それは現実との距離感を考えてのことだろうと思う。


主演のダニー・ブーンは、チャップリンのようなパフォーマンスを繰り広げる。
だが、彼自身御持ち芸であるハンドクラップなどによる無語の会話などは、
オリジナリティを醸し出している。

オマール・シー レミントンこと言語オタク、ドミニク・ピノン演じるフラカスこと人間大砲、ジュリー・フェリエ 演じるラ・モーム・カウチュこと軟体女、ヨランド・モロー演じるタンブイユこと料理番、ジャン=ピエール・マリエール演じるプラカールことギロチン男、ミシェル・クレマデ演じるプチ・ピエールこと発明家、マリー=ジュリー・ボー
演じるカルキュレットこと計算機という一芸を持つ一癖ある仲間がまた最高なのよね。

兵器会社の社長の顔が似ているのは、あえてなのかもなぁ。

そして、実際の作家の手による独特の機械たちが、素晴らしい助演を果たしている。
おいらのお気に入りは、服を踊らせるハンガーだ。
優雅に、膨らみつつ、ぺしゃんこになりながら、踊るブラウスとスカートの美しさよ。




古典的で、アナログな方法の方が、肉体的で、運動が入り、その仕事の行為そのものが舞踊に変わっていく。
その舞踊をサイレント映画のスタイルでとらえようとしているのだ。
「道化には、王様は裸じゃないか?」と笑いものにして、民衆の溜飲を下げつつ、笑いを武器に糾弾する仕事でもあるのだ。
孫ならぬ、道化の手を借りて、背中をかくようなね。


これは、映画における最新のノスタルジーだ。







おまけ。
ジュネ自身は、チャップリンの『独裁者』を意識したとの発言もしてますね。



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