で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1208回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』
『スター・ウォーズ』シリーズの10年ぶりの新作として大ヒットを記録した『スター・ウォーズ フォースの覚醒』から続く3部作の第二作でエピソード8にあたる作品。
伝説のジェダイの騎士ルーク・スカイウォーカーを探し当てた主人公レイがたどる、新たな物語が描かれる。
監督・脚本は、『BRICK ブリック』、『LOOPER ルーパー』のライアン・ジョンソン。
物語。
レイア将軍率いるレジスタンスはファースト・オーダーの猛攻に晒され、基地を手放し決死の脱出を図る。
レジスタンスへの参加を要求するレイは、ルークに断られるも、ジェダイの教えを請う。
ポーは、無謀な作戦を多大なる被害ととも成功させるが、それによって、反乱軍は窮地に陥る。
カイロ・レンは、スノークから無能の烙印を押され、ハックス将軍は反乱軍の尻尾をついにつかみ、立場は逆転する。
フィンは昏睡状態から目を覚ますが、反乱軍は窮地に陥っているが、レイの身を案じる。
すべての裏で、スノークの策略が進行していた。
出演。
デイジー・リドリーが、レイ。
ジョン・ボイエガが、フィン。
アダム・ドライヴァーが、カイロ・レン/ベン・ソロ。
オスカー・アイザックが、ポー・ダメロン。
マーク・ハミルが、ルーク・スカイウォーカー。
キャリー・フィッシャーが、レイア・オーガナ。
アンディ・サーキスが、スノーク(モーションキャプチャーと声)。
ドーナル・グリーソンが、 ハックス将軍。
グウェンドリン・クリスティーが、 キャプテン・ファズマ。
ルピタ・ニョンゴが、マズ・カナタ(モーションキャプチャーと声)。
ケリー・マリー・トランが、妹のローズ・ティコ。
ヴェロニカ・ンゴーが、姉のペイジ・ティコ。
ローラ・ダーンが、アミリン・ホルドー中将。
ピーター・メイヒューとジョーナス・スオタモが、チューバッカ(中)。
アンソニー・ダニエルズが、C-3PO(中)。
ジミー・ヴィーが、R2-D2。
ベニチオ・デル・トロが、DJ。
スタッフ。
製作は、キャスリーン・ケネディ、ラム・バーグマン。
製作総指揮は、J・J・エイブラムス、トム・カーノウスキー、ジェイソン・マクガトリン。
撮影は、スティーヴ・イェドリン。
ライアン・ジョンソンの眼です。
プロダクションデザインは、リック・ハインリクス。
衣装デザインは、マイケル・カプラン。
編集は、ボブ・ダクセイ。
音楽は、ジョン・ウィリアムズ。
窮地の反乱軍のため奔走する3人とジェダイの存亡を巡る3人による辺境戦を描くスぺースオペラ。
新三部作の第二章でエピソード8に当たる。
敵味方6人の群像劇で良くも悪くもすべてのスタイルをオマージュしつつ新たな『スターウォーズ』を生み出さんとしたチャレンジを評価したい。
子供向けの見た目に大人向けな葛藤という相反要素に挑んでいる。
冒険活劇と会話劇の行ったり来たりはテンポが少々もっさり。
日本アニメ的な要素がちらほらで逆に日本人には古臭くも感じるかも。多くのキャラに目配せしつつ新キャラと政治的要素への目配せに目がチカチカする。
脚本は裏の裏をかこうとしたのが裏目に出ているところもあるが、テーマ自体がエラーと多様性なので、『スターウォーズ/エブリバディ・ミステイク・バック』な感じ。つまり、しくじり戦記なのだが、それでもサバイバルした人間の裏歴史を描いているともいえる。
デイジー・リドリーとアダム・ドライバーが見どころ。
伝説のヴェールを剥ぎ取る。
第二章ながらある程度一本の映画にもなっている点は高評価。
血統を断ち切り、古典を燃やし、現在と立ち向かおうとする種作。
おまけ。
原題は、『STAR WARS: THE LAST JEDI』。
『宇宙戦争:最後のジェダイ』。
上映時間は、160分。
製作国は、アメリカ。
キャッチコピーは、「光か、闇か…」
主人公が敵と味方にいるので、このキャッチコピーに意味があるのですね。
キャリー・フィッシャーさんのご冥福を祈り、「May the Force be with you」。
『スターウォーズ』の宇宙は実際と違う【スターウォーズ宇宙】であるのはエピソード4からなので、いまさら言及するのは野暮の極み。
ややネタバレ。
今までと違うのは、時間演出。回想シーンやスローモーション。
群像劇になっているのも新しいところ。
あと、スタイリッシュな構図のカットも。
古典的で挿絵っぽかったのが、大作現代映画っぽくなった。
そうなると普通の映画とどこが違うのかともいえる。
『スたーウォーズ』が積み重ねてきた【スターウォーズっぽさ】が薄くしようとしたんだろうね。
リニューアルしようという意図があるのだろう。
なにしろ、第4サーガをつくることにしちゃったからね。
ネタバレ。
今作は、エピソード1~6は神話として都合よく語られたものであるとして、エピソード7~9はその神話を再現しようとしても上手くいかないという現在を生きる苦悩を描いているともいえる。
現在とは、過去データの上にありながら、暗中模索であり、未来に戦前と言われ、高度な未来になる前の端境期という世界である。
つまるところ、「素晴らしい、すべて間違っている」という矛盾の中で生きているのだ。
ジェダイとシスはあくまでもフォースの二大流派であって、それ以外にもあるのは、旧エピソードでレイアもフォースを使っていたし、そもそもアナキンもパダワンになる前にすでにフォースらしきものを発揮していた。
爆撃機も自由落下ではなく、重力を発生させているのだろう。エピソード4に出てくるキャプチャービームの反対の能力ではないだろうか。古い機体ゆえに上部に入らないと強力なバリアを破れないのだろうし、あれだけ船足が重いのはその装置を積んでいるからだろう。
敵戦艦のキャノンを壊しても、タイファイターにやられてる、とかいうのは、そもそも特攻であるのだから、当たり前。日本でも多くの特攻機は戦艦にたどり着く前にやられている。ポーは自分も命を懸けるからと爆撃機チームにもその作戦をさせたのだろう。それゆえに階級を落とされ、作戦を教えてもらえない。ただし、教えないのはミスでレイア将軍だったら教えていたのかもしれない。ホルド将軍はポーを信用していないので同じ失敗をしてしまったのだと思われる。ポーは逃走ではなく攻撃型だし。
レイア姫がフォースが使えるのは、火事場のバカ力だろう。
日本の少年漫画でも現在もたびたび起こるが、それのせいで子供っぽいと思う人もいるのだろう。
空気に関しては昔からスターウォーズ宇宙には空気があるというか、あの銀河の人は特殊な呼吸をしているらしい設定なのはエピソード4から指摘されているので。逆にいえば、無重力描写の方が珍しい。
そもそもスターウォーズはSFというよりスペースオペラと言われているのは、特殊な設定であるということを製作側が認めているから。
SFマニアなら、おかしいの先に、こういうことなのら成立するかなと理論を埋めるくらいであって欲しい。まぁ、おかしいのを前提とした上で。
バリアが重要なのは、エピソード4のデススターへのXウィング突入作戦、エピソード6でもエンドアでバリア施設を破壊する作戦が軸だったのを引き継いでいる。
一定距離をとっての逃亡戦はリメイク版の『GALACTICA/ギャラクティカ』っぽい。
ただ、ハイパードライブ特攻はやっちゃダメよね。
巨大戦艦のそれと小型船のでは違うとか、近距離でエネルギーが残っているとかいうことなのだろうけど。
あれだと特攻にも価値があり、テロリズムを肯定しているようにさえ思える。
ポーを否定していたのに究極はありにしちゃったら、全体の物語がぼやける。それをさせないためにポーに作戦言わなかったんでしょ。ポーの考え方を否定していく物語なのに。
おいら案なら、それこそ、巨大船を味方の小型船のしんがりに出現させて、敵の小型船を駆逐しつつ、戦艦からの射線を防御。バリアが切れて、爆発させ、それによって視界やセンサーを麻痺させ、小型船の逃亡先を特定させない。それによって出来た時間で基地を再起動させ、外苑系に救援信号を送る。救援信号をを打ったことで敵に場所がバレる。
あの人数でいいなら、最初に逃げる時に小型船でハイパードライブで行かせておけばいいことになっちゃうしね。レイアまだ意識不明になる前に。
敵戦力を削がないと最初の逃亡と繰り返しになるんだろうけど。
ポーに二つの作戦を選ばせたら、どうだったろう?
助けを請うために古い基地へ人を送る作戦と敵戦艦軍を破壊できる作戦とを。
だが、ポーは攻撃を選ぶ。
で、ホルドは逆を選んでいた。ゆえにポーに作戦を隠した。(ポーは知っていたということになる)
古い基地に立てこもって、敗北を中継して伝えつつ、救援が来る時間を稼ぎ、ポーはレイア将軍だけを逃がそうとする。ある意味で伝説化させようとする。
そこにルークが現われ、自分のミスをすべてをレイアに伝え、一人敵前に立つ。それによって、伝説を暴いたはずのルークが逆に伝説化してしまう。
惑星クイントに来た小型デススターはたぶん仕組みのことで威力のことではないのだろう。
あの基地の岩自体が硬いから扉以外壊せない上に脱出口がふさがれているのが絶望的なのではないだろうか。
ただ、『ローグワン』で僧侶の街を破壊しているからああいう兵器で攻撃しないのはなぜだろう?
基地攻略にはAT系の武器を使うことというルールがあるのか?
今作はエラーがテーマ。そのエラーをどう乗り越えるかがエピソード9のテーマになるのだろう。
フィンがテーマの象徴になっている。クローンのストームトルーパーがバグで自意識に目覚めたのだから。
ただ、全体のストーリーはちょっとぼんやり、内面に迫ろうとしたり、驚きを樹脂したんだろう絵k度。
90年代の週刊少年ジャンプ漫画っぽい。
そして、フィンだけでなくレイ、ローズといった名もなき人々が名のある人々が死ぬ中でどうやって戦って英雄となっていくかを描いていると言える。
それが、最後の奴隷の子供が伝説を語りながら、無意識にフォースを使っているシーンに繋がっている。
ラブストーリーまで入れちゃうのが、うざったいのよね。
1~6まで恋愛関係は重要な要素だったのに、今シリーズだとおまけ感ありありなんだもの。
どうせなら、レイとレンの間にきっちりと生まれさせてもよかったんじゃないかな。
レイとレンとフィンの三角関係でもいいぐらいだ。
SWシリーズ最悪と言いたいところだが、でも1、2、3もつまんなかったし5も6もまあアレだしなあ。正直SWはもう見なくていいかって気になりました。
正月早々こんなコメントで誠に申し訳ない。
今年もいい映画に出会って語り合いたいです。