東京には空きが無い
解説:
元は“東京には空が無い”。
高村光太郎の『知恵子抄』からです。
知恵子が言うわけですよ。
「東京には空が無い」と。
そんで、慌てて、見上げると、そこには切り取られた空だったものがあるというわけ。
山の上にアレほどのびのびしていた空はいったいどこに行ったんでしょう。
で、彼女は、「ほんとの空が見たい」というのです。
それは、機械的人間無視の成長を遂げる街への嘆きか、病気で留まる窓からしか空を見れぬことをひがんでいるのでしょうか、それとも、故郷への止められぬ思いなのかも。
で、こちらは、東京は密集していて、一極集中化で、寿司詰めで、息苦しさを嘆いてみました。
特に、朝の電車とか、駐車場とかね。
おいらは車持ってないんですけども。
それに、東京出身の身としては、このぎゅうぎゅう感にも郷愁があるんです。
自然な暮らしを求めるのと同じように都会の暮らしを求める心もあると思うのだ。
別にわざわざぎゅうぎゅうを味わいたいとは思いませんが。
人が多いからこそ、生まれる距離てのもあるんですけどね。
だって、地方のように空間は開いていても、意外と人の距離は狭いなんてことも多いわけで。
でもさ、お店とか、空きがありすぎると、ちょっと推ししく無いんじゃないかと思ったり。
出来れば、自分ともう一人ぐらいが座れて、もう1つぐらい空いているぐらいがちょうどいいのかも。
そういう状況を望むことこそ、贅沢な願いというのかもしれません。