菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

オイッ!お前の血をチュウチュウしてやる!いや、させてください。 『渇き』

2010年03月10日 00時00分06秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第113回。



「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」







『渇き』
 

  





吸血鬼を題材にしたパク・チャヌクの新作。

『親切なクムジャさん』あたりから、現代の新しい様式を探るようなスタイルに移行し始めたパク・チャヌク。
それは初のコメディ『サイボーグでも大丈夫』でも貫かれたが、なんだか、まったく物語が置き去りにされてしまった。
それは『渇き』でも同様で、映像重視派の罠とも言うべき、映画としてのエモーションが片手落ちになりかけている。

それは次へ進むため、大きくジャンプする前の屈伸だと思いたい。

なぜなら、今作には、彼の輝きは残っているから。
それは、生理的感覚。
吸血鬼の血を吸うという渇望の触覚、味覚をこれでもかと描き続ける。
チュウチュウと血を吸う描写には、生理的嫌悪がきっちりとある。
あと、エマニュエルウィルスという謎のウイルスの描写も。


そして、欲望に動かされていく神父と人妻のタブーをそ吸血や性交、暴力で、恐れずに乗り越えて描いていく。
その果敢さは、韓国の監督ならではの勇気を感じるのだ。

なので、こういう肉体的な感覚が苦手な方には、少々つらいかも。
そういう意味で、きっちりホラーになっている。

美しいだけでない映像力は、探求の途中ならではの輝きを保ち、ユーモアはより強化されている。
バランスを崩してさえ、時には、コメディになってしまうのだ。
そこには分類できない恐怖もある。

欠点は多い。
ウィルスの扱いとか、人物の行動の唐突さとかね。
けどね、新しいジャンルを模索するパク・チャヌクの挑戦だと受け取れるのよ。




吸血鬼になるという軸は、現代人の簡単に倫理を乗り越えていく浅はかさと欠落したなにかを見せつけはするのだが、なにぶん、様式的な過ぎて、ご都合にも見えるのが惜しい。

それは、演技陣の力演も、少々壊してしまってもいる。だけれども、ソン・ガンホはいつものように説得力を発揮している。
それに、最大の発見がある。
タブーを乗り越えていく破壊的な人妻を演じるキム・オクビンは、あのソンガンホを食ってしまっている。
可愛らしさ、薄幸から、妖艶、凶暴にまで変化していくその圧倒的な演技で、女優力を発揮している。
天晴れな脱ぎっぷりに、超常を受け入れていく納得力のある変貌は驚異。
この凶暴なシンデレラを作り上げたことは賞賛に値する。
キム・オクビンを 化けさせ、世に伝えただけでも、この映画は評価できる。
彼女を発見するためだけに、この映画を見る価値があると断言しよう。




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