で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1092回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『スプリット』
奇才、または異才の名にふさわしい作品群を発表し続けるM・ナイト・シャマラン監督が不安定な商業作を作り続けた時期を抜け、前作『ヴィジット』、TVシリーズ『ウェイワード・パインズ』で復活を遂げた。
英国の産んだ演技派かつスターのジェームズ・マカヴォイを主演に迎えて送るサスペンス・スリラー。
多重人格(解離性同一性人格障害)を持つ謎の男に誘拐監禁された3人の女子高生を待ち受ける戦慄の恐怖と驚きの顛末をスリリングに描き出す。
物語。
どこかとっつきにくい女子高生ケイシーは、ショッピングモールの店で行われた同級生のクレアの誕生パーティの帰り道に、クレアとその友人マルシアと拉致されてしまう。
ケイシーが目を覚ますと、鍵のかかった薄暗い密室に閉じ込められていることが分かる。
怯える3人の前に、誘拐犯の男が現われ、貞操、命の危機を感じるが、どこか様子がおかしい。
次に男が部屋を開けたときには、女装していた。
その後も潔癖症の青年、9歳の無邪気な少年など、現われるたびに格好ばかりか性格まで変っていく。
男は何者で、誘拐の目的は何なのか?
出演。
ジェームズ・マカヴォイが、デニス。
その千変万化ぶりに背筋が裂けます。
アニヤ・テイラー=ジョイが、ケイシー・クック。
目が離れ気味の独特の顔立ちが目を引きます。
ヘイリー・ルー・リチャードソンが、クレア。
ジェシカ・スーラが、マルシア。
ベティ・バックリー が、Dr.カレン・フレッチャー。
セヴァンスチャン・アーセルスが、ケイシーの父。
ブラッド・ウィリアム・ハンクが、ケイシーの叔父。
イジー・コフィーが、ケイシー(幼少時)。
そっくりで、つながります。
ほかに、ローズマリー・ハワード、など。
スタッフ。
製作は、M・ナイト・シャマラン、ジェイソン・ブラム、マルク・ビエンストク。
撮影は、マイケル・ジオラキス。
『イット・フォローズ』で頭角を現した新鋭。次回作は同じくデヴィッド・ロバート・ミッチェル作品です。
編集は、ルーク・フランコ・シアロキ。
音楽は、ウェスト・ディラン・ソードソン。
実は、あの方の音楽も流れます。
おまけ。
原題も、『SPLIT』。
『分裂』、『裂け目』、『割ける』。
上映時間は、117分。
製作国は、アメリカ。
映倫は、G。
キャッチコピーは、「誘拐された女子高生3人VS誘拐した男23人格 恐怖は<分裂(スプリット)>する」
おいらなら、「23人格の誘拐犯vs3人の誘拐された女子高生!!! 恐怖で心が<スプリット(分裂)>する!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」にするかな。
ネタバレ。
ケビンは実母に、ケイシーは叔父に虐待を受けてきた、鏡の存在。
囚われの身のケイシー。
ケビンもまた、照明を奪われ、外に出てこれなくなった元の人格であり、囚われの身。
ケイシーは、強いようで、実は周りに流されるタイプ(最初に拒否を示せるが、相手に強く出られると拒否できない)で、一匹狼だが、群れの前では従順と言う分裂した性格の持ち主。
そして、ケビンの別人格たちは“群れ”と自分たちを呼んでおり、一人で一匹狼と群れでもある。
囚われたケイシーはついに自分の意志を強く示し、囚われたケビンを救いだせなかった。
ケイシーが、最後に撃つ、二発の銃弾は計算されている。最初は銃口を向けられるが撃っていない。しかも、檻に入ること“群れ”の手から逃れる。
ケビンは“群れ”に主導権を奪われることで、獣(ビースト)を呼び出し、ある意味、人間から自由になってしまう。
ケイシーの叔父さんの動物ごっことビーストもそう。ハンターであるケイシーとビーストになるデニスたちは相互関係。
ケビンは動物園に務めていたことで、動物用に薬などを用意できた。Dr.フレッチャーたちに用いたのは動物用の麻酔剤スプレー(誘拐の時にも使った。スプレー式のってあるのかしら?)で、それによって、口が上手く回らず、名前を呼ぶことが出来なかったのだろう。
本作が公開される前から、シャマランは続編の製作に意欲を示していた。だが、続編を製作するには本作が興行的成功を収める必要がある、と語っていた。
本作の興行的成功と批評的成功を受けて、シャマランは続編の脚本の完成とタイトルが『Glass』になり、製作が決定したと正式に発表。現在、『Glass』は2019年1月18日の公開を目指して製作されている。
ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン、ジェームズ・マカヴォイ、アニヤ・テイラー=ジョイの4名が続投。
サミュエル・L・ジャクソンは、自身の演じた紫好きのキャラを気に入っていて、続編を待望しており、何年もラブコールを送り続けてきた。
本作のラストシーンに関して、シャマランは「あのシーンはデイヴィッド・ダンがミスター・グラスが正しかった。つまり、この世界には超能力を持った者がいることを、ついに確信したシーンでもあった」と説明している。
「若者が12人は必要だ」と“群れ”は言っていたので、それを食い殺したときに彼らはどういう変化を遂げるのか。
劇中では“群れ”というか多重人格者またはデニス呼んでいたことをケイシーが言ったのかマスコミがニックネームとして“The Horde(ザ・ホード=群れ)”と呼んでいます。
このファニーなニックネームの関連から、ダンが“グラス”の事件のことだと言っているのです。
なので、アナウンスされた続編はアンブレイカブル(=破壊不能)vsグラス(=ガラス。壊れもの)vsザ・ホード(=群れ)vsケイシー(続編で覚醒する?)の戦いになるのでしょう。
(つまり、スプリットはデニスたち群れとケイシーのことでもあったのだろう)
丈夫な体と犯罪察知能力を持つだけで、水にめっぽう弱いアンブレイカブル(しかも、もう初老だ)は、さらに強くなるであろうザ・ホードに、ただの女子高生であるケイシーとどう立ち向かうのか?
23人格+1とはいうけど、今作で出てくるのは、8人格(9かも)。
デニス、パトリシア、ヘドウィグ、バリー、オーウェル、ジェイド、ケビン、ビースト。
デニスが演じる偽バリーも含めているのかも。
画面には、ほぼ線が入るように配置されています。
色彩も徐々に増えていくように計算されています。
【スプリット・スクリーン】という映画技法があり、これは、画面を二つないしは複数に分割するレイアウトのこと。
一の画面で線などで分割するものや、複数の画面を出すものがあります。最初から画面がスプリットされているもの、途中でじょじょにされていくものがあります。
漫画のコマ割り風の画面などもそうですね。
デジタル編集になって簡単になったので増えました。
今作でも、このスプリット・スクリーンが多用されていますが、マルチスクリーンは使われていません。
『アンブレイカブル』にケヴィン親子は出ていた。
デイヴィッド・ダンの勤め先のスタジアムで、ダンが掃除をしながら通り過ぎた母子。
薬の売人ともみ合う直前に、母親が子どもを虐待しているのがケヴィン。で、ダンは母親の夫を失った悲しみから息子へ強く当たってしまう(虐待)のを助けてと心の叫びを発している。(ある意味ではダンがデニスを生んだとも言える)
そもそも、シャマランは、『アンブレイカブル』に出てくる少女誘拐犯をケヴィンにし、3人の話にするつもりだったそう。少し話が複雑になってしまうと、二人の話に絞ったときに、いづれケヴィンも映画化したいと考えていたそうです。実際、何度か、サミュエル・L・ジャクソンから「続編つくろうぜ」と熱望されたときに続編のアイディアはあるんだけど、という話はしていたのでした。
それが膨らんで、今回の3部作の誕生となった模様。
シャマランの物語のスタイルには、壮大なお話の第一章を一本の映画にするというのがあって、『シックス・センス』、『アンブレイカブル』、『レディ・イン・ザ・ウォーター』がそれに当たります。(原作付きの『エア・ベンダー』も第一章の部分だけでした。『アフター・アース』は珍しく第二章っぽい。構造的には『シックス・センス』に近いが)
そのまま、続きが作れる対応の設定の強いキャラクターが出てくるのが特徴です。
ただ、この第一章のアイディアが強すぎるか、もしくは小話的になり過ぎていて、完成形に見えるんですよね。
それで、続きが作られたことはなく(ドラマの『ウェイワード・パインズ』は原作小説がある)、ファンとしては続きが作られることを願う向きもありました。
『アンブレイカブル』でも最後は少女誘拐犯を追いつめている。
どんでん返しは、3つある。
1、誘拐が覚醒のための儀式であったこと。そもそも、ヘドウィグもデニスの仲間でわざとケイシーたちに近づいていたこと。デニスがバリーのふりをしたこともそのヒントで、出てきたケビン以外みな敵だろう。(出てこなかった他の人格は違うのだろう)
2、 ケイシーをデニスは同類と認め、ビーストから逆に守って終わる。(ビーストはケイシーも食べようと足を掴んでいた。そもそも、狙いはケイシー以外の二人だったことも関係あるかも)
3、電車で死んだケビンの父親と、夫と父を失ったケビン親子は、ガラスの企みの被害者。その電車事故で、アンブレイカブルが生まれており、ザ・ホードを生み出した遠因にもなった(デニスはデビッド・ダンの記事を読んで自分たちにも能力があるのではないかと考えたのかもしれない。ガラスはアンブレイカブルを生み、ザ・ホード誕生の種を蒔いた、ダンはケビンをの母を救えず、ザ・ホードが生まれ、ザ・ホードはダンを知り、ビーストを育て、ザ・ホードとケイシーがビーストを覚醒させた。そして、ガラスは他にも事故を発生させていたので、それでケイシーの父親も死んだ可能性もある)。デビッド・ダンは自分の能力を過小評価しており、ガラスのいうことは妄想に過ぎないと思っていたが、ザ・ホードの事件でガラスの言葉を信じるようになった。(『アンブレイカブル』でダンは自分の能力を使いこなせず、ケビンの母親を見捨てている。これはあくまで『アンブレイカブル』を後で見たらわかること)
ケイシーもケビン同様に虐待されており、事件前まで自分の不幸な境遇を甘んじて受けていたが、この事件を経て、その不幸に立ち向かう覚悟を決めたことは、この物語の本筋であり、どんでん返しではない。
映画は、ケイシーの画から始まっている。主人公はケイシーであり、デニスたちはケイシーの鏡の存在である。ケイシーもデニスのようになっていた可能性がある。だから、彼女は友達も作れず、学校で浮いている娘としてあの同級生二人から心配されていたわけで、その原因である虐待と戦うことで物語は終わる。
悪がヒーローを生む構図で、それは『アンブレイカブル』と同じ。
『アンブレイカブル』も二つの視点から描くことで、ハッピーエンドでありバッドエンドでもある、という両方を同時に語っていた。(ガラスの苦労は報われ、スーパーヒーローは生まれたが、それにより、精神病院に入れられた。ダンは能力を得たが、迷惑な話だと思っている)
これは、そのまま『スプリット』にも当てはまっていて、その上、二つの追加がある。このエンディングによって、ガラスの説がまた一つ証明されたわけで、ガラスのハッピーエンドでもあり、それにより、ダンの不幸が再び始まるバッドエンドでもあり、その二つはスタートでもある。
事故つまり間違いが別の何かを生み出すのは、シャマランの好きな物語で、『シックスセンス』でも最初の患者の対応への間違いが少年への対応を正し、自分自身をも正す、『サイン』も事故から神父を辞めて、サインに気づく正すものとなる(妻もまた同様)。『ヴィレッジ』でも災害によってあの村が生まれ、そこで怪物と外へ出ようとするものが生まれる。
間違うものと正すものが同時に生まれる物語がシャマランの物語なのだ。
『スプリット』も、目標でないのにたまたま誘拐され、それによって生まれたケイシーは正すものだ。(しかも、ビーストはデニス的には正すものであり、怪物である)。2作目の『翼のない天使』は祖父の死が神探しをする少年(神を疑う者はキリスト教的には怪物であり、発見できれば正すものでもあり、二つが一つになっている)の疑問を生む。
原案でさえ『デビル』は、エレベーター事故が発端ですでに怪物(=悪魔)がおり、エレベーターの中で人々は怪物にも正すものにもなる。それを救おうとする警備員もまた正すもの。
この2つがストーリーに組み込まれないときにシャマラン作品は事故るともいえる。
『ハプニング』は、人類による地球環境の変動という事故によって植物の変化が生まれたというのが謎であり、その発見で終わり、正す者が弱いところにシャマラン的には落とし穴があると思われる。『アフター・アース』も事故がきっかけでトラウマという怪物を生む、そもそもそれ生みだした怪物もいる。息子は父のようにトラウマを克服し怪物も倒すが、正すほどではない。
『レディ・イン・ザ・ウォーター』は正すものは物語を書き変えることができるので、怪物でもある。そのことに気づくこと自体が物語になっている。主人公も人魚も怪物もその気づき(正す者ではある)のためのコマに過ぎないところが弱い。
初の原作付き『エア・ベンダー』は、救世主であり、その重責から逃げる主人公はそのあっまだが、彼はそのまま舞台から姿を消してしまい、それをめぐって争うということは物語は語るところを失っていると言えるのだ。
このいくつかの事故った作品でシャマランの物語が生まれた、それが『ウェイワード・パインズ』(初めての自分の企画でもなく、脚本も書いてない)
そして、彼のキャリアにも、また間違うものと正すものが生まれたのだ。
『アンブレイカブル』はガラスの正しがダンの疑いによって曖昧にされ、『スプリット』は間違った上に主観的に正す者(間違ったまま)のザ・ホードが残った。
はたして、『GLASS』ではいかに間違うものと正すものが生まれるのだろうか。
噂では、『スプリット』には3時間バージョンがあるとかないとか。
どこかで、二度目に見ると面白いようなシーンがちょこちょこあって、1回目は退屈なところも。特に女医とのシーンにいくつか。
これとは全然関係ないですが似たタイトルで、ウィル・アイズナー作のコミック『ザ・スピリット』なんてのもあったね。映画はフランク・ミラーが手がけています。
不都合あればお知らせください(削除いたします!)
なにとぞ宜しく、お願いいたしまっす!
ご来訪ありがとうございます。
全然、問題ないです。
またどうぞ!
いつもながら自分の誤字と統一性の無さにに呆れますね。
本記事では修正と追記をしてあります。
主人公の子がロリ可愛くて、逆に他の二人の存在が消えてた。でも精神的に傷を負った可愛い女の子が閉じ込められた状況で超常的な体験をするっていう話としては「エンジェル・ウォーズ」の方が好きだな。
誰もが驚く、新しいどんでん返しでしたね。
『エンジェル・ウォーズ』は超常的な体験はほぼしてませんけどね。
元ネタバレバレなのでオリジナリティでは今作に軍配上げたいです。予算も10分の1ですもの。