モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 




その1 第3土曜日(7月19日)はホームでした。

たなばたさまが飾ってありました。額縁内の短冊の願いは“大切な人がずっと元気でいてくれますように”でした。
「大切な人」はそれぞれ違ってもみんなの願いですね

パパ&ドーターのお二人 ♪ほーしのながれにー この退廃的な哀調を帯びたメロディーが特に好きです。
花鈴(かりん)ちゃんです。車いすで目の高さに花鈴ちゃんがいるから みんな微笑んで通って行きます。
 

 

 

その2 昨日は芦屋町の 山鹿小学校の学童保育にコカリナで参加です。

そうめん流しがあるんですが暑い中準備が大変です。山鹿小学校の留守家庭は新興住宅地を抱え 1年生から4年生まで102人だそうです。

 

お喋りを止めなくて何度も何度も注意されてましたが静かになりました。人数が多いので交代で食べます。

子どもたちの後 私たちも頂きました。とっても美味しかったけどどのくらい頂いたのか量が分かりませんね。


絵本読みは夏休みの定番“かわいそうな象”でやっぱり泣いてしまいました。紙芝居やパネルシアターで大喜びです。

コカリナはとっても静かに聴いてくれました。昔の楽器みたい!!って口々に言ってます。

今回はオカリナも一緒です。終わった後は吹かせてって何人かがふーって吹いてみました 。

 


そのあとはみんなで工作です。紙に輪ゴムを掛けてぽーんと飛び上るものです。

写真の子は花火の絵を切り紙しました。他の子が切ったきれはしの色紙で火の粉を作りました。

夏休みのいい思い出になったことでしょう・・ 学校の先生がいつまでも若いのは子供のエネルギーを分けて貰えるからかな。。。

   そうそう・・・・・こどもたちが “ふるさと” の歌を知らないのにはびっくりです。



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前回まで遠賀川との合流地点よりも上流の橋をご紹介しながら河口から50km遡上していました。

57番目の橋 城野橋と 58番目 高木橋をご紹介します。どちらも結構 車の通りが多かったです。

添田町・・・・もう英彦山のふもとです。





川幅は段々狭くなり 曲がって見つけ難くなりました。親柱もないのでご近所の方に聞くと彦山川だそうです。
とすると見えないところにもう1基あったのかな。。

橋が飛びぬかしたと怒ったらいけませんので59番は空番にして 60番目「大瀬橋」をご紹介します。

これより上流 ずっと合歓の花が満開でした。。10日ほど前のことです。





上の写真 右側は61番 62番 で彦山橋 歩道橋と車道橋です。ここは彦山駅の下の方になり私の住む河口からは54kmです。。

彦山橋から上流にJR日田-英彦山線第4鉄道橋がみえます。4連橋です。。





ズームします。。





国交省の1級河川彦山川としての管理区域はここまででした。もっと上流に行き中川原橋 とか仙道橋とかありました。
彦山川から遡上しているけど汐井川です。源流までの道は500号線・・・川好きから山好きの方にタッチします。

源流の1滴にはたどり着いていませんが 「彦山川の橋」としての探訪はこれで終わりになります。。




大好きな川ですから たびたび訪ねるでしょう。。。だって帰り道 地図にない新しい潜り橋を 六本松橋の上流で見つけましたから。。





長い間のお付き合い ありがとうございました。。今日ご紹介した場所はこの辺です




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博多の聖福寺をご紹介します。広い境内全域が国の史跡になっています。静かな境内の端の方に「通津橋」があります。

 


あっちから・・・・こっちから・・・・・いつものようにたくさん撮りました。。。。


私はつい橋に気を取られますが橋の前には立派な・・・これは山門でしょうか。



帰ってからネットで検索したら とっても由緒あるお寺でした。いつものように緑色の文字はネットより。。

 建文6年(1195年)に日本の臨済宗の開祖、栄西が宋より帰国した際に、宋の人が建立した百堂の跡に寺院を創建したとされる。山門に元久元年(1204年)後鳥羽天皇により贈られた「扶桑最初禅窟」の額がある。

 残念ながら「扶桑最初禅窟」見ていません。目には入っていたかもしれません。

 


室町時代末期に兵火を受けたが永禄11年(1568年)、耳峰が入山して再興する。天正15年(1587年)には領主小早川隆景が寺領300石を寄進、仏殿、総門などの諸堂宇を修営した。

格子の隙間から失礼いたしました。

他文禄4年(1595年)に豊臣秀吉より200石、慶長5年(1600年)に黒田長政より200石など、寺領の寄進が伝えられている。 江戸時代の文化・文政期には禅画で名高い仙義梵がこの寺の住職を務め、文人の間に当寺の知名度を上げた。

 鐘楼です。。その先に土塀が見えそのむこうは道路です。


奈良や京都のお寺は いっぱい知っているけど近くにもありました。 次の写真の右端に石碑があるでしょう?
これは入口を入って正面なんですが 史跡 聖福寺と彫ってあります。

 寺町らしく多くのお寺がありましたから、もう1度行きたいです。

ご紹介した聖福寺は  ここです。。



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浜木綿がぽつりぽつりと咲き始めました。芦屋町夏井ケ浜です。。





本名は ヒガンバナ科 ハマオモト といいます。。





自生群落としてはここが九州北限です。





海を背景にしたいけど立ち入り禁止。。おてんとさまが観てるから入れません。



群生場所からちょっと外れて咲いています。 これなら海を背景に撮れると思ったら後ろに人が。。

何度も往復されるので聞くと海水を運んでいます。。4リットルくらいのケースとビニール袋とわんちゃんと。。

何にするのか聞くと あせも ですって。。。




明日の土曜日 芦屋町花火大会です。。ちょっと規模が縮小されたのは財政難の為ですからがまんがまん。。。

そういえば 浜木綿と 花火 形が似てますね。。。






もうひとつ、日にちと時間が定かではありませんが そろそろこのへんに北斗七星が潮を汲みに来ます。。


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家では、とにかくぼーっとしてます。。

朝は早起きです。。金魚に餌をやります。ベランダの鉢植えの水遣り でも1秒で着きますから。。。

グーのまま、実が落ちたピーマンは諦めずに水遣りしました。198円投資してますから。

①蕾がつきました ②可愛い花が咲きました ③どうかピーマンって判るようになっておくれ。。






ベンジャミンの樹です。次姉一家が4年間沖縄に住んで引き上げる時に持って帰ったお土産のひとつ。
もう17年になります。。 おまけに残っているのは私んちだけです。かわいいです。


君は花も咲かないのに実をつけるね。

食べられもしないし、美しくもないのに 重くない?

“ベンジャミン”って言うたびに きまって“ジャンバルジャン” を連想するよ。







梅シロップを作っていたんですが 気になって待ちきれずに梅の実を出しました。
まだ氷砂糖が溶けてなかったけど、ミキサーにかけてレンジで加熱し梅ジャムを作りました。

アイスクリームの容器にいれたら、誰が見たって 柚子胡椒にしか見えませんね。

夏野菜の煮込みです。。。。見かけは悪いけど、温かくても冷めても ご飯にもパンにも 合いますよ。

ちりめんじゃこをオリーブ油で炒め ナス 胡瓜 ピーマン トマトを ざっくり切って煮るだけ。
トマトの汁が出るから焦げません。。。味付けはお醤油だけです。。。








正面は航空自衛隊芦屋基地です。右側がコカリナ訪問のホームです。夏空を撮っていたら練習機が飛んできました。。







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先日植木町の石橋を2基ご紹介しましたが、もう1か所訪ねました。清水天満宮の「三十六の眼鏡橋」です。。

 場所は植木-大牟田 国道3号線の道路から グーンと下がったところです

  

緑色の文字はniemonさんのHPからです。(私は案内板を見つけられませんでした。 )

この石橋は、幕末の嘉永3年(1850)山本郡下大清水村庄屋畠山理左衛門、大清水村庄屋服部甚之助、玉名郡広村庄屋木村茂四郎、江藤又左衛門によって、村内を流れる大清水川に架橋されたもので、熊本新一丁目を起点とし、植木町味取、内村、三十六を経て本橋を渡り、山鹿町、南関町を経由して筑後、筑前、豊前小倉に至る九州屈指の入道を誇り、豊前街道の呼称で、参勤交代の道として利用された。

三十六は地名だったんですね。 Ⅰ基しかないなぁと思ったんだー!

私の場合 河床に降りられず上の角度の写真が多いんです。階段があったから降りてみました

そっと足をのせました。虫の知らせですね。。(普通は一気に行きます)揺れました。
体重をかけなくてよかったです。
ぎりぎりのところで屈んでへっぴり腰で撮った写真と揺れた石です。


築造以来約130年間その恩恵は実に多大なものがあった。 昭和57年の水害を契機として、今般千田川河川災害関連事業により、やむなく撤去せざるを得なくなったが、先人の偉業を偲ぶためにぜひ保存したいとの強い要望があり、県の協力を得てここに復元移築したものである。昭和59年3月

静かに余生を送る三十六の眼鏡橋を天満宮の霊竹も見守っています。

 

反対側は背景が鎮守の森です。。


だから私 こちら側の正面を撮ろうと思っていたけど自分の車から遠いほうから撮り始めたんです。

そして さぁ。。。これから好きな角度を撮ろう と思ったその時です。お昼になってないのに作業員の車が休憩に来ました。

 

 
ずっとずっと撮っていましたが気づいてくれません。相手は2人だし、今回は淋しい場所だから怖いです。

 この のっぽの樹は 日露戦争記念樹 の碑がありました。

 

教訓 いいと思った角度はいいと思ったその時に 先に撮ろう うろうろしてると条件が変わる。

美味しいものも先に食べよう。。



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黄葉しても、落葉しても絵になる銀杏の樹。。。青葉は勢いがあって好きです。

香春町 神宮院です。梅で有名です。野生の猿で有名です。 駐車場から。。。





前に他の樹がありますから、見えにくいですね。下まで行きます。案内板もあります。

樹齢推定 800年
 
樹高 約40m

胸高周囲 6.2m

枝張 約18m

シンが真っ直ぐで、すっくと立った姿がいいです。。。





ここは野生の猿がいるんです。去年の今頃も行きましたが猿に遇いました。その前は100匹ぐらいいました。

見回しても猿の姿はありません。仕方ないから“見ザル・言わザル・聞かザル”をご紹介します。。





暫く待ったけど 猿は いません。テレビで農作物を荒らす野生猿のことを放送していたけど。。。。

ここは安全区域だと猿たちは知っているんですが。。。




駐車場の片隅に 猿塚





山側の細い道を選んで降りるけど会わなかった。。。


ひっそりと佇む神宮院・・・・・・ここです。。。



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思い立ってniemon教科書からマップコードをメモして、後はナビと二人連れ。。。熊本県植木町です。。

ナビの“目的地到着”は民家の前。そこの方に聞くと川は下の方だけど工事中で立ち入り禁止とのこと。

う回路はなく下に橋が見えます。ガードマンによると、滴水じゃなくてウエノキだし、石橋じゃないって。

でも多分、知らないだけなんです。きっと石橋です。ぐるぐる回ってたどり着きました。





土が足跡も無く均してある。。ここしかないし、降りちゃえ。。。斜面の足跡は私がつけました。

大正時代の石橋です。。。。「滴水橋」をご紹介します。






これを見たら管が邪魔だから下流側を見たい。。。ガードマンにお願いして、現場監督さんに交渉。

気をつけてと言われました。年寄扱いしないでね。でも確かに坂を降りる時オットット 止まれませんでした。






多くの方 お世話になりました。。。次の正院橋は公園内に移設されているから分かり易いんです。 

安政三年(1856年)に正院川に架設されていた橋であるが、河川工事により昭和52年3月に、
正院より現在地に移転して復元されている凝灰岩製。 案内板より







移設した「正院眼鏡橋」をご紹介します。。 

上部の写真 橋を渡った左 ちょっと鬱蒼としてるでしょ?そこから曲がって右の写真を撮ったんです。 





案内板に面白いことが書いてありました。「楔石に陰刻銘がある。」

陰刻銘・・・・見えない所ににこっそりサインした?  移設の時に分かったのかなぁ・・(勝手な想像です)



上の写真でアーチの奥に見えるのが道路です。。下の写真は道路側から撮りました。。




小野泉水公園の歌碑 花のいろはうつりにけりな いたづらに わがみよにふるながめせしまに

植木町は小野小町の生誕地なんですよ。。


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若松区役所に車を置いて出発です。。目の前は恵比寿神社・・・亡父が元気な頃 おえべっさんの植木市に行きました。。

境内に方位石がありました。。案内板によると 江戸末期のもので天候予測を行ったり 海上交通の安全祈願の為に寺社に奉納したそうです。






さぁ 歩こう。 本町1・2丁目―。創業100年の料亭「金鍋」もあります。。写真はお寺さん2軒です。。





ここまで 進んだ距離は 800m 歩きやすい道を通りましたが国道を横切っていきます。
まず以前ご紹介した火野葦平の生家☆河伯洞 そしてもう1枚は 福岡藩米蔵跡の石碑と 米蔵の絵図面です。





現在は道が狭いですね。写真左 古前小学校 まん中 白山神社 (道を渡って)右の写真 若松駅と藤の木駅です。
日を改め 若松駅から藤の木駅 2.7km これは往復しますから5.4km歩きました。




結局 今まで進んだ距離は3.7kmくらい。。1里=3,927km まだ1里ですね。次の予定は・・・・・・未定です。


若松駅から藤の木駅 あたりを歩きました。。。 ☆このあたりです

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車をブロックにぶっつけてしまいました。 事故が起きるってこんなことなんですね。

1、その日出勤するとタマタマ来客が多くて,いつもの所に置けません。現場監督 Yさんの車の前に置きました。

2 Yさんがタマタマ体調が悪く早退するんで車を移動して下さいって。そして屋根のある所に入れたらいいよって言ってくれました。

3 一旦はそうしたんですが、社長の車が外にあったので遠慮して また出してYさんの出た後に置きました。

砂を置いてある囲いのブロックを見ながら、じりじりじりじりと 何も考えずじりじりと寄せて当てる為のように当てました。

 

 

 ダイハツさんの見積もりでは修理もバンパー取り換えも 金額は大差なく、
取り換えで43,470円。保険は?と聞かれました。

取り換えてもらいました。。土日の来場者はプレゼントがあります。見積もりも土曜日で部品が来たのも土曜日、連チャンで頂きました。

 

 

 

 

 算数の時間

保険を使うと来年から保険料が上がります。年に3,000円 段々少なくなるけどずっと3,000円上がったとして。。。

43,470円 ÷ 3,000円=14,5   14年半    その時私は後期高齢者で運転してるかどうかわからない

答・・・・保険を使った方が得

 



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