災害支援ボランティア 宮北会(みやきたかい)

東日本大震災後、岩手県宮古市・山田町で被災者との「顔の見える」交流活動を続けています

次回(第77回)月例会は4月4日(木)です

2019-03-29 13:03:05 | 連絡

さいたま市では、大宮公園の桜開花宣言は3月21日でした。平年に比べ4日早く、昨年より2日遅いとの事で、今日は花冷えですが、街のいたるところで「春一杯」です。

次回、77回目の月例会は平成最後となりますが、以下の要領で開催いたします。

日時:4月4日(木) 18:00~ 

・場所:「さいたま市市民活動サポートセンター交流スペース」

           (コムナーレ9階:いつもの場所です)

・寄せ書き対象人数:5名

3月8日~3月10日に山田町での交流を行って来たメンバーの都合がつけば、当日、報告をしてもらう予定です。

部分参加、可です。お待ちしています。

なお、次々回の5月の例会(第78回)は、原則ですと、5月4日(金)ですが、GWの連休中のため、翌週の第2金曜日の5月11日(金)に開催となります。

(「イトザクラ」2019.3.28@さいたま市桜区)

嶋田憲一


山田町定点写真比較(8年目←→7年目)

2019-03-24 21:00:22 | 定点撮影

今回の3月8日~10日の第33次交流活動参加の小川さん撮影の写真(震災から8年目)と前年の写真(震災から7年目)とを比較して、1年の復興の進捗を比較してみました。

撮影場所は、山田町の水天宮境内より山田湾へ向けて3方向。

上側:8年目(2019.3撮影)  下側:7年目(2018.3撮影)

≪北方向≫

≪北東方向≫

≪南方向≫

《参考》

山田町・震災復興確認定点撮影(0・1・3・5・7年)

https://blog.goo.ne.jp/miyakitakai/e/c3ab27329fecfda9808f133c9f9a029d

嶋田憲一


第33次交流活動参加者レポート-(2)

2019-03-24 20:27:58 | 報告

去る3月8日~10日、5名のメンバーが、山田町での交流に参加しました。

参加者のレポート(2)を、以下に紹介いたします。

嶋田憲一

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3月に山田町に来たのは初めてだったが、あまりの暖かさにビックリ。

震災時のみぞれは、さぞかし寒くて大変だったろうと思った。

北浜老人クラブの例会にお邪魔し、楽しくご一緒させてもらった。

『浜よ、ふたたび』の中の顔写真をみながら名前を確認すると、ますます近く感じられた。

例会が終わり、一人一人に別れの挨拶をしていると、Sさんが、「親戚でまだ遺体が見つかっていない人もいて落ち込むときもあるけど、宮北会の色紙を見ると、頑張ろうという気になる」とおっしゃった。

涙が出てきた。

この一言が聞けたことだけでも山田に来てよかったと思った。

東海林さんやIさん宅にお邪魔していろいろ話ができたのも良かった。

唯一良くなかったのは飲み過ぎたこと。反省!

(陸中山田駅前)

(陸中山田駅前)

(高さ10mの防潮堤で海が見えなくなる)

小川 満


第33次交流活動参加者レポート-(1)

2019-03-24 20:16:08 | 報告

去る3月8日~10日、5名のメンバーが、山田町での交流に参加しました。

参加者のレポートを、以下に紹介いたします。

嶋田憲一

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3月の8日から2泊3日で山田町に出かけて来ました。三日間とも晴天に恵まれ、北浜老人クラブの例会があった9日は今年に入って二番目の暖かさだったとのこと。春がきたようなぽかぽか陽気でした。

一日目は山田線で宮古に到着。ちょうどお昼時だったので駅前のお店で海の幸がたくさん詰まった瓶丼(牛乳瓶につまっている具を丼に自分でトッピング)を食べてホッと一息。この瓶丼は震災後に復興のための名物として考案されたとのこと。

満腹のお腹を抱えて車で浄土ヶ浜へ。

私の故郷は岩手の盛岡なので夏は家族でよく泳ぎに行ったものでした。浄土ヶ浜のレストハウスの近くに昭和三陸津波の碑がありました。

「大地震の後には津波が来る」「大地震があったら高い処へ集まれ」「津波に追われたら何処でも高い処へ」「遠くに逃げては津波に追いつかる常々逃げ場を用意しておけ」「家を建てるなら津波の来ぬ安全地帯へ」と刻まれていて、身の引き締まる思いでした。このような碑はこの日訪れた何ヶ所かにもあり、三陸に暮らす人々の教訓になっているのだと感じました。

この日の夕食は復興住宅に住む方がもてなしてくださいました。心づくしの手料理を頂きながら話がはずみましたが「復興五輪なんて嘘っぱち、お金の使いどころが間違ってる」「あんな大きな防潮堤はいらない。もっと違うところにお金を使うべき」の言葉は強く心に響きました。

二日目はメインイベントの北浜老人クラブの例会へ。台所でちょっとだけお手伝い。そのあと、健康体操に参加。学生さん二人も混じって盛り上がり、楽しく過ごした後はおいしいちらし寿司を頂きました。釜石で活動しているミュージシャンのグループがゲストで来ていてその伴奏にのって全員で大合唱。

宮北会を代表して渡邉さんが相撲甚句を披露してくれて大好評。

ミュージシャンの演奏を聴いたり婦人部の方たちの踊りを楽しんだり、と時間はあっという間に過ぎ、気が付くとお開きでした。

個人的にお話しをすることができなかったのは残念でしたが老人クラブの方たちの暖かさが伝わってくる会でした。

この夜は東海林さんのお宅でご馳走になりました。山田でしか味わえない海の幸たっぷりのお料理に大感激。震災直後の話や家の壁や床の津波の傷跡は何度聞いても何度見ても衝撃的でした。

そして最終日。

北浜の碑の前で記念撮影。

11日の慰霊式に参加できないのは心残りでしたが、山田に別れを告げて宮古から三陸鉄道北リアス線に乗り八戸経由で浦和に戻りました。浄土ヶ浜も三陸鉄道も八戸線も海の景色はすばらしくて、とても津波とは結びつきませんでしたが、現実として津波があったこと、大災害で2万人近くの人が亡くなったり行方不明になっていること、まだ復興途上であることは忘れてはならないと強く思った旅でした。

北浜老人クラブのミュージカルがとても楽しみです。   (2019.3.20)

小川 厚子


第8回報告会報告

2019-03-10 13:41:42 | 報告

「3.11」前々日の昨日(9日)、浦和駅前のコムナーレにて、第8回の報告会を開催しました。

参加者は18名、熱心にご聴講いただき有り難うございました。

第1部は、最初の発表として、福島県浪江町で被災後、六ヶ所目の避難所として、上尾市シラコバト団地に避難者として入居され、避難者の会を結成し、現在「東日本大震災に咲く会ひまわり」で活躍されている橘 光顕さんにお話をしていただきました。


演題は、「住宅問題~居住延長の光と影」でした。ご自宅が、強制避難地域から自主避難地域に変わった際の住宅延長問題のこれまでのご苦労、延長が認められてこれからの課題について、ご講演いただきました。

第1部の2番目の発表は、当会の江藤代表により、山田町津波被災者(北浜災害復興公営住宅)の現状を資料に基づき説明しました。主な内容は、孤独死(独居死)の増加/災害復興公営住宅の家賃問題/入居希望者の減少・定員割れ/コミュニティ形成の困難性/人口減少等です。

第2部として事務局より、この1年の活動報告、会計報告をさせていただきました。

終了後、参加者全員からご意見ご感想をいただき、このような活動の必要性を強く感じました。

嶋田憲一