秋田県鹿角で行われた、鹿角市民による手作り芝居を見学して、交流するイベントは大成功でした。
すでに、一度書きましたが、再度まとめておきたいと思います。
2011年3月11日の震災が起き、4月に宮北会を立ち上げて現地に行くとき、明確な方針を出しました。
宮北会は、生き残った地元の人たちの心の支援を目的にすること、そのためにそれぞれの段階を想定して活動しました。
・仮設生活に対する活動と、その後の活動のための信頼関係の形成と支援
・復興の進捗とそれへの不安や、社会的取り残しへの不安
に対して、埼玉からずっと支援をしつづけていることを知らせ、心の支援をより強化する。
具体的には、山田と埼玉の交流を点から、線、面と広げて行くこと。
これらのことは、確実に実行してきました。
ボランティア団体で7年間に30回を超える現地訪問を行い、現地から埼玉に来て交流する活動も複数回。
昨年は6人も来てもらえました。
おそらく、これだけの活動実績を持つ団体は稀有だと思います。
この3月に山田に出かけ、慰霊碑建立と記念日での交流などを見て、あらたな段階に来たことを実感しています。
良くも悪くも、「復興」という名前の事業は進捗してきました。
醜い「壁」できつつあり、かさ上げも進み、仮設住宅から復興住宅への移転も進みました。
自力での自宅再建を果たした人もいます。
また、地域を離れなければならない人も出てきています。
こうして事態を見ると、一見、表では何も見えなくなってきています。
これからは、仮設とは違った広い部屋で一人の生活が進みます。
なんとなく生活が安定してきたように見えてくることでしょう。
でも、それはいまだけで、これからは高齢化と孤立化がすすみます。
「もう終わったとする社会」から見放された感覚と、それに違和感をもっている被災者との距離は拡大します。
「まだ被災のことを言っている、もう十分支援されたでしょ!」という眼差しに、ことばを飲み込み、ただ黙って部屋に閉じこもり、身体的な病気が進行し、うつ病などが拡大することは、すでに神戸の今の現実が示しています。
復興住宅の中で孤立して死んでいく状態を「鉄の棺桶」だと表現しています。
人は生きるためには、生きる場所と食べ物が必要です。
でもそれだけでは生きていけません。
もう一つ大切なものは「夢」です。
「夢」がなければ「生き」ていけません!
ただ残された時間を黙って日々過ごすだけでは、生きてはいないのです。
北浜の方々がこれから必要なのは、「自分たちの存在」に意味があるということを実感することが必要だし、「被災者の存在」の意味を社会的に確認することこそが、未来への役割だと思っています。
その「意味」を伝えるための手伝いこそが、これからの「宮北会」の活動の一つの大きな中心になります。
北浜の女性達の踊りをしている方が元気な理由は「被災者としてだけではなく、自分たちも他者に対してすることがあるはずだ」と、施設を訪問したりしているからです。
役割を実感しているからです。これが必要でしょう。
今回の交流の目的は、手作り市民芝居を実践してすでに27年の歴史をもつ鹿角市民の姿を直接見て交流し、芝居つくりの楽しさや意味を知ってもらうことでした。
それは今回実現できたと確信しています。
自分達で、自分たちの体験したことを芝居にする、自分たちの今の姿を芝居にする、自分たちが伝えたいことを芝居にすることが出来れば、それこそ最高だとおもいます。
踊りの女性達だけでなく、そのた大勢の方がいろんな形で参加できるのが芝居つくりです。
皆で作り上げる楽しさを一度実感すれば目標になることでしょう!
山田北浜から普段着の芝居を発信できれば、本当にすごいことです。
「被災者」こそが発信者になる必要があるのです。
その時は埼玉公演を宮北会で主催しましょう。
それが私たちの夢になります。
宮北会は、これからもっと深い関係を紡ぐ必要があります。
ここまでに作り上げた信頼関係をもとに、北浜の方々の個人史をしっかりと知り、その個人史と社会とのかかわりの歴史を相対化してまとめ上げることが必要です。
それをできたら発信したいですね。
冊子という形や、なんなら私達が芝居を作ってもいいのです(?!)。
埼玉の人々に伝えることが宮北会の大切な役割だからです。
ながながと書きました。
皆さんはどう思いなりますか?ご検討下さい。
江藤善章