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雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

田舎者いじめ (1) ・ 今昔物語 ( 28 - 4 )

2020-01-03 12:35:28 | 今昔物語拾い読み ・ その7
 

          田舎者いじめ(1) ・ 今昔物語 ( 28 - 4 )

今は昔、
[ 天皇名を故意に欠字にしている。]天皇の御代に、[ 姓名を故意に欠字にしている。]という者がいた。
長年、旧受領(フルジュリョウ・古手のうだつの上がらない国守。)にて任官も出来ず不遇でいたが、ようやく尾張守に任じられたので、大喜びで任国に急ぎ下ったが、その国はすっかり荒れ果てていて、田畠を作ることさえ全くない状態であった。
この新任の守は、もともと誠実で身の程をわきまえた人物なので、前々の国においても善政を行っていたので、この国に着任してからも政を善く行い尾張国を並みの国にして豊かにした。すると、隣国の百姓(この時代、を除くすべての民を指した。)たちが雲の如く集まってきて、丘といわず山といわず開墾して田畠としたので、二年のうちに善い国になった。

そこで、天皇はこれをお聞きになって、「尾張国は前の国司に潰されてしまって、すっかり疲弊してしまったと聞いていたが、今度の国司は二年の間によくぞ国を富ました」と仰せられたので、上達部(カンダチメ・上級貴族)も世間の人も、「尾張は善い国になった」と褒め称えた。

そして、三年目の年、五節(ゴセチ・新嘗祭の行事として演じられる五節の舞いの舞姫をだす役を割り当てられた。名誉なことであるが、経済的な負担も大きかった。)の担当国にあてられた。尾張は、絹・糸・綿などを算出する所なので、何物も不足するものはない。それに、守は万事に才覚のきく人であったので、衣装の色や打ち方や縫い方など、すべて立派に整え奉った。
五節の舞姫の控え所は、常寧殿(ジョウネイデン)の北西の隅に設けられていたが、そこの簾の色、几帳の帷(トバリ・垂れ幕)、簾や帷の下から出した女房の衣の裾など、見事に色どりされている。これはまずいという色など全くなかった。
そういうことなので、「何と行き届いた男だろう」と誰もが褒め称えた。介添えの女童なども他の五節所よりも優れていたので、殿上人や蔵人などがたえずこの五節所に立ち寄り気を引くような振る舞いをしたが、この五節所の内では、守をはじめ子供や一族の者たちが皆屏風の後ろに集まっていた。

ところで、この守は身分賤しからぬ者の子孫であるが、どういうわけか、守の父も守自身も、蔵人にもなれず、昇殿を許されなかったので、宮中のしきたりについては聞いてもおらず、まして見ることもなかった。当然子供たちも知らなかった。
そのため、この五節所の内にかたまっていて、御殿の建て方や造り方、各宮様に仕える女官たちの唐衣や襷襅(チハヤ・神事などで首から肩にかける領巾(ヒレ)のような物らしい。)を着て歩く様子、殿上人や蔵人が出し袿(イダシウチギ・下着である袿を出している着方)して絹織物の指貫を着て様々に着飾って通る様子を、折り重なるようにして見ていたが、殿上人が近くに寄って来ると、屏風の後ろに逃げ隠れたが、先に逃げた者が後から逃げてくる者に指貫の裾を踏まれて倒れ、後の者は先の者にけつまずいて倒れた。ある者は冠を落とし、ある者はわれ先に隠れようと慌てて屏風の後ろに入り込む。入ったなら、そのままおればいいものを、またちょっとした者が通ると先を争って出て見ようとする。そのため、簾の内の醜態はこの上ない。
若い殿上人や蔵人などは、その様子を見て笑い興じた。

そのうち、若い殿上人たちが、宿直所に集まっていたが、皆で相談して、「この尾張の五節所は様々の物の色合いもすばらしく飾り立てている。介添えの女童も今年の五節ではここが一番優れている。しかし、この守の一族は宮中の作法については聞いてもおらず見てもいないようだ。ちょっとしたことでも知りたがって追い回してみようとする。また、我らを恐れて、近くに寄ると隠れて大騒ぎするなど、何とも馬鹿げたことだ。どうだ、何かはかりごとをして、もっと驚かし慌てさせようではないか。どうすればよいかな」と話し合った。
一人の殿上人が言った、[ 欠文があるらしいが、不詳。]。またある殿上人が言った。「驚かす方法があるぞ」と。「どうしようというのだ」と別の者が聞くと、「あの五節所へ行き、いかにも好意があるような顔をして、『この五節所のことを殿上人たちはひどく笑っていますぞ。お気をつけなさい。この五節所を笑い物にしようと殿上人たちがこのようなことを企んでいますよ。その企みとはね、ありとあらゆる殿上人が、この五節所を脅そうとして、皆が紐を解いて直衣の上衣の肩を脱ぎ、五節所の前に立ち並んで、歌を作って歌おうというものですよ。その作ったという歌とは、
『 鬢(ビン)タタラハ アユカセバコソ ヲカセバコソ 愛敬付タレ 』 
( 鬢たたら(耳際の毛)は、揺り動かせばこそ、歩めばこそ、かわいらしい。 といった意味らしいが、一部誤記された部分があるらしい。)
といったものですよ。この『鬢たたら』というのは、尾張守殿の毛が薄くて鬢が抜け落ちているのに、そんな鬢たたらで五節所にいて、若い女房たちの中に交じっているのを歌っているのです。『アユカセバコソ愛敬付タレ』というのは、守殿が後ろ向きに歩かれる様子があてやか( この部分欠字あり。「高貴な」という意味らしい。)なことを歌っているのです。こう申し上げることを本当とは思われないでしょう。しかし、明日の羊申(ヒツジサル・午後三時頃。)の頃、殿上人や蔵人が総出で、皆が肩脱ぎになって直衣の上衣を腰に巻き付けて、老若を問わずこれを歌いながら近づいてきたら、私が申し上げることが本当だと信じてもらえるでしょう』と、言ってやろうと思うのです」と言うと、他の殿上人たちは、「それでは、貴殿が行って、うまく言いきかせてくれ」と約束して別れた。

                                         ( 以下、(2)に続く )

     ☆   ☆   ☆


 


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