雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

長屋王異聞 ・ 今昔物語 ( 20 - 27 )

2024-02-29 07:59:06 | 今昔物語拾い読み ・ その5

      『 長屋王異聞 ・ 今昔物語 ( 20 - 27 ) 』


今は昔、
聖武天皇の御代、奈良に都があった時、天皇は天平元年( 729 )二月八日に、左京の元興寺(ガンゴウジ・蘇我馬子が飛鳥の地に建立したものを奈良の地に移築した。観音堂など一部が現存。)において盛大に法会を行い、三宝を供養し奉った。
その折、太政大臣である長屋親王(ナガヤノミコ・長屋王のこと。)という人が、勅を承って諸僧を供養した。

その時、一人の沙弥(シャミ・見習い僧。ここでは半僧半俗の正式でない僧。)がいて、無作法にもこの供養の飯を盛っている所に行き、鉢を捧げて飯を乞うた。
親王はこれを見て、沙弥を追い払い殴りつけると、沙弥の頭を傷つけ、血が流れた。沙弥は頭を撫で血を拭いながら泣き悲しんでいたが、突然姿を消した。どこへ行ったか全く分らない。
法会に出席していた僧俗の人たちはこれを聞いて、ひそかに長屋親王を謗(ソシ)った。

その後、長屋親王をねたましく思う人がいて、天皇に讒言(ザンゲン・陥れるために事実を曲げて告げ口すること。)して、「長屋は、『王位を倒して国位を奪おうとしている』と思っているので、あのように、天皇が善根を催された日に、不善を行った」と告げた。
天皇はそれをお聞きになると、たいそうお怒りになって、大軍を遣わして長屋親王の屋敷を包囲させた。
その時に、長屋親王は、「私には罪がないのに、このように咎めを蒙った。きっと、殺されるであろう。そうであれば、他の者に殺されるよりは、自害する方がましだ」と自ら思って、まず、毒を取って子や孫に飲ませ、即座に殺してしまった。その後、長屋も又自ら毒を飲んで死んだ。

天皇はこれをお聞きになると、人を遣わして、長屋の死骸を取って、都の外に棄てて焼かせ、河に流し海に投げ棄てた。
ところが、その骨は流れて土佐国に着いた。すると、その国の百姓(人民の意味)が多く死んだ。百姓はこれを愁えて、「あの長屋の悪心の邪気によって、この国の百姓が多く死んでいます」と申し出た。
天皇はそれをお聞きになって、王城からさらに遠ざけようと、長屋の[ 欠字。「骨」か ]を、紀伊国海部郡のハジカミの奥の島(有田市の沖にある「沖島」か)に置いた。
これを見聞きした人は、「あの沙弥を罪も無いのに罰したため、護法神がお憎みになったからだ」と言った。

されば、頭を剃り袈裟を着ている僧を、事の善悪を問わず、貴賤を選ばず、畏れ敬うべきである。その中に、仏や菩薩の化身が身を隠して、交じっていらっしゃると思うべきである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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2 コメント

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千年マルテンサイト (ものづくり安来)
2024-03-07 06:11:14
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズムにんげんの考えることを模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。なにかしら多神教的で日本的ななつかしさを感じさせるなにかによって。
コメントありがとうございました (雅工房)
2024-03-07 08:34:45
ものづくり安来さま
今昔物語には、ごく普通の常識として納得性のない物語も数多くあります。史実と乖離のあるものも同様です。そうしたことを承知の上で、どう楽しむかというのも、楽しみの一つだという気がしています。

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