←0系新幹線最後の日~前編 最終日前夜からの続き
平成20年11月30日。
ついに、0系新幹線が定期営業運転を終了する「お別れの日」が来た。
小倉駅の新幹線改札口には、0系最終運転日の告知ポスターが。
今日は運用を終えた0系を博多南の車輌基地まで戻してしまう為にか、本来0系で運転される「こだま」のうち上り列車の大半が別型式の車輌に変更されての運転となる。
従って実質0系最後の定期運転列車となるのは、博多駅18:21着の「こだま659」号。
この列車の、最終走行区間となる小倉駅から博多駅までの指定券は確保してある。お別れ乗車の希望が殺到した「こだま659」号の指定券は1ヶ月前の発売と同時に売り切れてしまい僕も入手出来なかったが、運良く数日前にキャンセル待ちが取れて購入できたのだ。
夕方の「こだま659」号乗車まではまだまだ時間があるので、普通電車に乗り込み関門トンネルを潜って下関駅へ。
ここで、東京からやって来た寝台特急「はやぶさ・富士」号をお出迎え。
下関駅に入線するEF66牽引の「はやぶさ・富士」。コンデジでの撮影だとこれが限界。
並んで撮ってた人の1眼レフカメラだとカッコいい写真が撮れてるんだろうなきっと。。。
しかし、昨夜もここで上り東京行き「はやぶさ・富士」を見送ったばかりだ。0系よりもブルートレインの追っかけレポートみたいになってるような。
しかも、今から「はやぶさ」でヒルネ(寝台車の座席利用)して博多駅まで乗っちゃいます。
約1時間半で博多駅に到着。
「あっ、『ゆふいんの森』Ⅰ世だ!」
「あっ、500系新幹線だ!」この時間帯に博多駅にいるはずはないので、臨時列車でしょうかね?
0系で運転されていた「こだま」の一部は、今後この500系が後を引き継ぐことになる。
「はやぶさ」は終着駅の熊本に向かって出発。
博多駅に着いたら暫らく時間を潰して、13:29発の博多南行き特急列車に乗車する。
この博多南行きの列車、実は新幹線の車輌基地への回送を利用した列車。時刻表上では在来線の特急列車扱いだが、しっかり新幹線の車輌で運転されている。しかも、特急料金は「特定特急料金」という名目で破格の100円!運賃と合わせても僅か290円で新幹線に乗れてしまうのだ。尤も、乗車時間もたった10分間、速度もゆっくり徐行運転なのだが。
そしてこの13:29発特急列車こそ、最後の博多南行きの0系なのだ。
新幹線のりばに上がって、ここまで「こだま639」号として走って来る0系を待つ。「こだま639」は博多駅で名無しの特急列車となり、博多南駅へと向かうことになる。
プラットホーム上では今夜の「0系新幹線定期運転終了セレモニー」の準備が始まっていた。
博多駅から福岡市近郊の昼下がりをのんびりゆっくり走った、最後の博多南行き0系。
下車前に、誰もいなくなった車内を振り返る。
いくつもの人生を、喜びや哀しみまでも運んだであろう0系の車内…
博多南駅で乗客を降ろし、車庫へと引き揚げる0系を、乗客皆が見送った。
子どもの「ばいばーい」の声が印象に残った。
一番最初に生まれた新幹線に乗ったこと、いつまでも憶えていて欲しいな…
博多南駅に隣接する山陽新幹線の車輌基地、博多総合車両所には、最期の日を迎えた大先輩を出迎えるように現在の新幹線の主役たち、700系とN700系が勢揃いしていた。
いかにもエリート集団然とした、凛とした彼らがこれからの新幹線を担う。しかし、彼らもまたそう遠くない日に後進に鉄路を譲り、0系の後を追って表舞台から去っていくのである。
新幹線に諸行無常の響きあり…
博多駅に戻ってくると、在来線ホームに珍しい列車が停まっていた。
急行「出島」。かつて博多と長崎を結んでいた往年の列車である。今日は特別にリバイバル運転をしていたようだ。
使用されているキハ58がオリジナルの国鉄急行色でないのが残念。
さあ、陽もだいぶ傾いてきた。
0系最後の定期運転列車「こだま659」号も、既に始発の岡山駅を発車している筈だ。
僕も、「こだま659」号を出迎える為に小倉駅へ行こう。
平成20年11月30日、午後6時半。
最後の0系定期運転列車「こだま659」号は定刻よりやや遅れて終着駅博多に到着した。
昭和39年、世界で初めての超高速鉄道「東海道新幹線」の専用車輌として登場し、以来44年間に渡って君臨し続けた、新幹線0系。
日本の鉄道の、いや最早「日本という国」の象徴として、愛され走り続けた、我らの超特急。
0系は駆け抜けた。
日本を、そしてすべての日本人の心の中を。
「ありがとう…」
博多駅の新幹線のりばは「こだま659」号を出迎えた人たちで大変な混雑となった。
1号車付近で「0系新幹線定期運転終了セレモニー」をやっているらしいのだが、3号車辺りから先は完全に人の海で身動きすら取れない有様。
その時、「列車が入線します、下がってください!」という悲鳴にも似たアナウンスと共に0系の向かい側に滑りこんで来た列車が…
「完成したばかりの、山陽新幹線と九州新幹線との相互直通運転車輌だ!」
九州新幹線全線開業時には恐らく「はやぶさ」と名付けられるであろう、山陽新幹線と九州新幹線を直通運転する列車の為に製造された最新型車輌が、去りゆく0系に会いにやって来たのだ。
プラットホーム越しに束の間の対面を果たした、0系と山陽九州直通車輌。
やがて最新型車輌は再び試運転の走り込みへと向かうために慌しく折り返し発車して行き、それを見送った0系も博多南の車庫へと向かい走り去った。
その後ろ姿は、頼もしく成長した末っ子の雄姿に満足し安堵した老父のように安らかだった。
「零はすべての始まり。」
世界で最初の、誰も創ったことのない超高速車輌として生まれ、育まれ、後を継ぐものの礎となった0系新幹線。
0系は走り去っても、「何よりも速く、そして安全に走る」というその崇高な志は確実に受け継がれた。
0系の精神はこれからも、永遠に新幹線の線路の上を走り続ける。
そして、実は僕の0系との旅もまだ終わらない。
12月に3日間だけ、0系が「ひかり」号になって帰って来る!
その最終日、12月14日の0系最後の「ひかり」号に乗車します。
「2週間後にまた会おう、0系!」
平成20年11月30日。
ついに、0系新幹線が定期営業運転を終了する「お別れの日」が来た。
小倉駅の新幹線改札口には、0系最終運転日の告知ポスターが。
今日は運用を終えた0系を博多南の車輌基地まで戻してしまう為にか、本来0系で運転される「こだま」のうち上り列車の大半が別型式の車輌に変更されての運転となる。
従って実質0系最後の定期運転列車となるのは、博多駅18:21着の「こだま659」号。
この列車の、最終走行区間となる小倉駅から博多駅までの指定券は確保してある。お別れ乗車の希望が殺到した「こだま659」号の指定券は1ヶ月前の発売と同時に売り切れてしまい僕も入手出来なかったが、運良く数日前にキャンセル待ちが取れて購入できたのだ。
夕方の「こだま659」号乗車まではまだまだ時間があるので、普通電車に乗り込み関門トンネルを潜って下関駅へ。
ここで、東京からやって来た寝台特急「はやぶさ・富士」号をお出迎え。
下関駅に入線するEF66牽引の「はやぶさ・富士」。コンデジでの撮影だとこれが限界。
並んで撮ってた人の1眼レフカメラだとカッコいい写真が撮れてるんだろうなきっと。。。
しかし、昨夜もここで上り東京行き「はやぶさ・富士」を見送ったばかりだ。0系よりもブルートレインの追っかけレポートみたいになってるような。
しかも、今から「はやぶさ」でヒルネ(寝台車の座席利用)して博多駅まで乗っちゃいます。
約1時間半で博多駅に到着。
「あっ、『ゆふいんの森』Ⅰ世だ!」
「あっ、500系新幹線だ!」この時間帯に博多駅にいるはずはないので、臨時列車でしょうかね?
0系で運転されていた「こだま」の一部は、今後この500系が後を引き継ぐことになる。
「はやぶさ」は終着駅の熊本に向かって出発。
博多駅に着いたら暫らく時間を潰して、13:29発の博多南行き特急列車に乗車する。
この博多南行きの列車、実は新幹線の車輌基地への回送を利用した列車。時刻表上では在来線の特急列車扱いだが、しっかり新幹線の車輌で運転されている。しかも、特急料金は「特定特急料金」という名目で破格の100円!運賃と合わせても僅か290円で新幹線に乗れてしまうのだ。尤も、乗車時間もたった10分間、速度もゆっくり徐行運転なのだが。
そしてこの13:29発特急列車こそ、最後の博多南行きの0系なのだ。
新幹線のりばに上がって、ここまで「こだま639」号として走って来る0系を待つ。「こだま639」は博多駅で名無しの特急列車となり、博多南駅へと向かうことになる。
プラットホーム上では今夜の「0系新幹線定期運転終了セレモニー」の準備が始まっていた。
博多駅から福岡市近郊の昼下がりをのんびりゆっくり走った、最後の博多南行き0系。
下車前に、誰もいなくなった車内を振り返る。
いくつもの人生を、喜びや哀しみまでも運んだであろう0系の車内…
博多南駅で乗客を降ろし、車庫へと引き揚げる0系を、乗客皆が見送った。
子どもの「ばいばーい」の声が印象に残った。
一番最初に生まれた新幹線に乗ったこと、いつまでも憶えていて欲しいな…
博多南駅に隣接する山陽新幹線の車輌基地、博多総合車両所には、最期の日を迎えた大先輩を出迎えるように現在の新幹線の主役たち、700系とN700系が勢揃いしていた。
いかにもエリート集団然とした、凛とした彼らがこれからの新幹線を担う。しかし、彼らもまたそう遠くない日に後進に鉄路を譲り、0系の後を追って表舞台から去っていくのである。
新幹線に諸行無常の響きあり…
博多駅に戻ってくると、在来線ホームに珍しい列車が停まっていた。
急行「出島」。かつて博多と長崎を結んでいた往年の列車である。今日は特別にリバイバル運転をしていたようだ。
使用されているキハ58がオリジナルの国鉄急行色でないのが残念。
さあ、陽もだいぶ傾いてきた。
0系最後の定期運転列車「こだま659」号も、既に始発の岡山駅を発車している筈だ。
僕も、「こだま659」号を出迎える為に小倉駅へ行こう。
平成20年11月30日、午後6時半。
最後の0系定期運転列車「こだま659」号は定刻よりやや遅れて終着駅博多に到着した。
昭和39年、世界で初めての超高速鉄道「東海道新幹線」の専用車輌として登場し、以来44年間に渡って君臨し続けた、新幹線0系。
日本の鉄道の、いや最早「日本という国」の象徴として、愛され走り続けた、我らの超特急。
0系は駆け抜けた。
日本を、そしてすべての日本人の心の中を。
「ありがとう…」
博多駅の新幹線のりばは「こだま659」号を出迎えた人たちで大変な混雑となった。
1号車付近で「0系新幹線定期運転終了セレモニー」をやっているらしいのだが、3号車辺りから先は完全に人の海で身動きすら取れない有様。
その時、「列車が入線します、下がってください!」という悲鳴にも似たアナウンスと共に0系の向かい側に滑りこんで来た列車が…
「完成したばかりの、山陽新幹線と九州新幹線との相互直通運転車輌だ!」
九州新幹線全線開業時には恐らく「はやぶさ」と名付けられるであろう、山陽新幹線と九州新幹線を直通運転する列車の為に製造された最新型車輌が、去りゆく0系に会いにやって来たのだ。
プラットホーム越しに束の間の対面を果たした、0系と山陽九州直通車輌。
やがて最新型車輌は再び試運転の走り込みへと向かうために慌しく折り返し発車して行き、それを見送った0系も博多南の車庫へと向かい走り去った。
その後ろ姿は、頼もしく成長した末っ子の雄姿に満足し安堵した老父のように安らかだった。
「零はすべての始まり。」
世界で最初の、誰も創ったことのない超高速車輌として生まれ、育まれ、後を継ぐものの礎となった0系新幹線。
0系は走り去っても、「何よりも速く、そして安全に走る」というその崇高な志は確実に受け継がれた。
0系の精神はこれからも、永遠に新幹線の線路の上を走り続ける。
そして、実は僕の0系との旅もまだ終わらない。
12月に3日間だけ、0系が「ひかり」号になって帰って来る!
その最終日、12月14日の0系最後の「ひかり」号に乗車します。
「2週間後にまた会おう、0系!」
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