一燈照隅

日本が好きな日本人です

戦争責任

2005年08月14日 | 日本の戦後
 戦争責任
 大東亜戦争の開戦の責任は日本にあるという意見がありますが、はたしてそうでしょうか。
 何故、真珠湾攻撃に至ったか 日本だけが責任を負わなければならないのか。よく考えていただきたい。 日本とアメリカの関係だけで見ても、

  1924年(大正14年) 排日移民法
  1937年(昭和12年) 隔離演説
  1940年(昭和15年) 日米通商条約の廃棄
  1941年(昭和16年) 日本資産の凍結
  1941年(昭和16年) 石油全面禁輸
  1941年(昭和16年) ハル・ノート


これは、アメリカが日本に対して一方的に行った行為です。まだアメリカと戦争になっていたわけではありません。
 まして日本がアメリカに戦争行為に当たる事をしていたのでもありません。しかし、アメリカは義勇軍という名目で、シェンノート大佐率いるフライング・タイガー戦闘機隊を中国に派遣していました。(これがアメリカ軍でないなら、朝鮮戦争での中国義勇軍も中国軍にならなくなってしまいます。)
 今、日本がアメリカに対して同じように行ったらどうなるでしょうか。火を見るより明らかです。
「日本がアメリカに干渉したことは一度たりとも無いが、アメリカが日本に干渉し脅威をあたえた事は何度もあり、しかもそれは屈辱的な仕打ちである。」1938年(「アメリカはアジアに介入するな」ラルフ・タウンゼント著芙蓉書房)
 
 それでも日本は東條内閣によって日米交渉の妥結をしようとしていました。
そこへ、1941年(昭和16年11月26日)実質的最後通牒(宣戦布告書に等しい)ハルノートを突きつけられたわけです。それで、今まで交渉してきたがこれ以上は妥協できないとの判断で大東亜戦争に踏み切ったわけです。
世間で誤解されていることに、東條英機元首相が戦争を始めたと言われていますが、正確には“戦争を決断しなければならなかった”時に総理大臣になっていたのです。
東京裁判でローガン弁護士は

 『ABCD諸国は完全なる軍事及び経済的包囲網を2つとも造っていた・・・もしそれが続けられたなら、それだけでも、日本を滅亡させたかもしれなかったのである。日本の人々はそれを知り、それを信じ、それを信じる理由を有し、そして彼らは自信のために行動したのである。・・・ 彼らは国を愛した、そして彼らの決定は、祖国にとっても生きるか死ぬかの決定であった。彼らは祖国を愛した。そして決定しなければならぬ地位にあった。我々はこの裁判をされる方々に、彼らの立場に立って考えていただきたいと思う。その立場に立ったら、愛国者として、あなた達はいったい他のどのような決議をすることが出来るだろうか。・・・』

戦争は一国だけで起こるのでなく、相手がいるのです。
こう見てくると、アメリカの策略にはまったのは仕方がなかったと思います。ハルノートを受け入れていてもアメリカの国内事情から、いずれは戦争に成る条件を出してきたでしょう。
ですから、日本人ならアメリカにこそ戦争責任があるので、軽々しく戦争責任とは言わないでほしいです。
 また、侵略戦争という人もいます。しかし侵略戦争の定義が決まったのは1974年12月14日の国連決議3314によってです。それまでは侵略の定義がありません。東京裁判では侵略の定義が何か分からないままに行われたのです。






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1 コメント

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その通り! (ponko)
2005-12-08 21:51:47
いま初めてまささんのこの記事を読み、そうなんだと思いました。わたしたちは列強の植民地政策に巻き込まれた日本が窮地に追い込まれてやむなく戦いを始めたことを忘れてはなりません。それは歴史の必然であったと思います。それを戦争責任→自虐史観とスパイラルに落ち込んでいく日本人はバカです。
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