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近現代史評論家の田中正明氏死去

2006年01月09日 | Weblog
近現代史評論家の田中正明氏死去
2006年 1月 9日 (月) 19:16 asahi.net
 
田中 正明さん(たなか・まさあき=近現代史評論家)が8日、肺炎で死去、94歳。通夜は11日午後6時、葬儀は12日午後12時30分から東京都武蔵野市吉祥寺東町1の1の21の安養寺で。喪主は娘婿信茂さん。自宅は同市吉祥寺本町4の8の2。  
1937年の「南京大虐殺」の最高責任者と東京裁判で認定され、処刑された松井石根(いわね)・陸軍大将の秘書だった。戦後、「東京裁判は違法」「南京大虐殺はなかった」と主張。84年には「虐殺を記述した教科書で精神的苦痛を受けた」などとして、教科書を検定し合格させた国を相手取り、国家賠償訴訟を起こしたが敗訴した。


田中正明氏の平成十年に出版された著書「国亡ぼす勿れー私の遺書」の後書きにこう書かれています。

私は序章に於いて、日本はまさに亡国の岐路に立たされていると説いた。かつて日本は「政治は三流だが、経済は一流」といわれた。その経済界の乱脈と頽廃ぶりはどうか。大証券会社や一流銀行の倒産に続く“政・官・財の頽廃と癒着”等による逮捕、逮捕の連続である。加えて国と地方の負債は合わせて400兆円あまりという天文学的な数字だ。

神戸における中学生の連続殺人事件に続いて、黒磯に少年による女教師刺殺事件、女子生徒の集団的老女殺害や小学生の窃盗団事件等々、教育の頽廃ぶりは目を覆はしむるものがある。加えて教科書の記述は、自虐というよりも、日本を敵視し、日本を貶める目的をもった記述をいまだに改めようともせず、国旗・国歌すら教えることを拒否する教育が続けられている。

外交はいまだに“謝罪・土下座”の連続である。中・韓両国の内政干渉を許し、北方四島も竹島も盗られっぱなし。尖閣諸島も危殆に瀕しており、北朝鮮に拉致された邦人も放置されたままだ。

七年半の占領政策と東京裁判で、日本国民はマッカーサーのマインド・コントロール にあやつられたまま、いまだに目覚めていない。愛国心も、民族の誇りも、自信も、自立精神までも喪失させられたままである。日本が占領から解放された昭和27年秋、インドのパール博士が二度目に来日されたとき、記者団にこう言われたことがある。

独立には少なくとも次の四つの条件が満たされなくてはならぬ。一つ、基本法である憲法は自らの手で書くこと。二つ、自国の主権や国防は自らが守る=国防体制の完備。三つ、自国の宗教・祭祀に他国の干渉は許されない。四つ、異国の歴史・文化・伝統を子孫に伝承する教育権の確立…日本はこの四条件が果たして具備されているかどうか。諸君が独立という言葉を使いたければ“半独立国家”というがいい。》と。

それから約半世紀近くになるが、パール博士の言われる「独立の四条件」はいまだに少しも具備されていない。靖国神社の参拝さえ、首相は十三年間も欠礼のままである。


田中正明さんのご冥福をお祈り申し上げます。



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