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2021.03.31 江坂まで、ピザを食べに行く。



昨年まで、1年程の間、阪神電車西宮駅フードコートに、一流のピザ屋の
「ジラソーレ リッコ」が、出店していた。
結局、コロナの関係で、店は撤退し、その後、豚汁屋に変更した。

私は、リッコのピザが大好きで、それで、江坂の本店に食べに行こうと思って
いたが、コロナ自粛等で、なかなか叶わず、ようやく、本日、Bちゃんと
さくらさんと3人で、行って来た。
フードコートでは、極小さな店だったが、本店は、広くて、おしゃれな内装で、
素晴しかった。







これこれ!これが懐かしい。
マルゲリータが最高。
クワトロフォルマッジも大好きなので、次回は、それも食べよう。
久しぶりの美味に、満足した。




帰路、梅田まで来てから、モロゾフでパフェを食べようと誘う。
私はチョコレートパフェで、Bちゃんは、プリンパフェ。
彼女は美味しい美味しいと、感動していた。

私は、彼女を、ブログ等をいつも見て貰ったり、相談したり、
私設秘書扱いしていて、毎日こき使っているのに、給料を
全然払ってないので、今日は安い給料だけど払わせてねと言った。
喜んでくれた。又、来ようねと、約束した。
楽しい日であった。

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2021.03.30 ネックレスの金属にかぶれる方は、チタンのチェーンにお取替を!



昨日、ネックレスの金属にかぶれる方へ、チタンのチェーンにお取替される
ことをお薦めしようと決めたことを書きました。

そこで、今日は、朝から、その為の作業を始めました。
メーカーの担当者が外出中だったので、打ち合わせが出来ないので、商品番号
等を、自分で決めて待った。(出しゃばり!)待ちくたびれて…。
チタン(titan)のチェーン(chain)なので、そしてそれの60cmと65cmと
70cmなので、(TC60, TC65, TC70)とした。
メーカーさん、ごめんなさい。

案の定、やり出すと、久しぶりの更新だったので、大分忘れていた。
思い出して、やってみても、何故かうまくいかず、脳みそをぎゅーぎゅー絞る。
「.jpg」とするところ、「..jpg」と「.」が一つ多かったのを見付けるのに、
時間が掛った。(なにしろ、老眼はつらい。)
「こりゃ、表示されない訳だ。」とようやく、納得。

朝から、七転八倒して、もう、今日は無理だ、頭を冷やして、ゆっくり
思い出して、明日、改めて頑張るしかないと思いつつ、でも、ひつこい
性分(仕事の時だけ)の為、まだ、少しずつ、解明して行くと、何と!
とうとう夕方には、何とか、辿り着いた形になった。
自分でも、よく頑張ったね〜と、又又、自画自賛状態。(笑っちゃう?)

一日中、うんうんと七転八倒を重ねて、ようやく夕食にありつく。
先日、鰻茶漬け用の鰻を買って来ていたので、楽だった。




そういうことで、顎を出しながら、ようやく出来上がったページと、
   ⬇️
   ⬇️
そして、やり直した、ネックレス全体のページを、どうぞご覧下さいませ。







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2021.03.29 ネックレスが切れたが、怪我の功名だった件。



私の大好きな銀製のネックレスです。
50年間、愛用しています。


ペンダントトップは、銀製で、素晴しい手作りです。
写真では、分かり難いですが、真珠も、その横のルビーも天然の本物です。

当時、職場で、これを気に入る人が多い様で、ふと見ると、廻りの人が、何故か
似た様なネックレスや、ブローチ等を付けていることが多くなって、ちょっとした
ブームとなったことがありました。
これを付ける度に、そんなことを思い出します。

そんなことで、何十年も愛用した私でしたが、最近、これを付けると、首に
ミミズ腫れが出来る様になりました。
歳を取って、皮膚が劣化し、弱くなったのですね。
真っ赤なミミズ腫れが出来て、2週間程治らず、痒くて溜まらなくなりました。
金属負けの痒さは、格別酷くて辛いです。
私は、20才の時、時計の裏面の金属に負けた時は、気がおかしくなりそうな
痒さだったので、金属負けの辛さは知っていました。
最近まで、手首に跡が残っていました。

なお、私の友人が、クリーニング屋さんでアルバイトをしていて、ある時、
預かったTシャツをクリーニングした時、胸のところが、V字型に切れて
しまったそうです。

お客様に聞くと、毎日、同じTシャツに、銀製のネックレスを連日付け続けて
いたそうです。
銀は、相当アクが強いのか、繊維を傷めてしまって、切れてしまったらしいです。
それぐらい刺激が強いのですから、皮膚が負けるのは当然だと思いました。

私は、銀製品に負ける様になって以来、丸首のシャツは無理なので、首に襟が
付いている物を着た時だけ、このネックレスを付けていました。

すると、昨日、ショッピングカートの出し入れで、しゃがんで立った時、
カートの持ち手に、ネックレスを引っ掛け、チェーンが切れてしまいました。
しまった!とがっかりしていると、あっと、思い出しました。



『チタンのネックレスがあるので、それに取り替えれば良い!』
そしたら、夏でも大好きな襟無しのTシャツを着ても、チタンなので、かぶれ
ないじゃないの?大正解。なぜ、今まで、それを思い付かなかったのかしら?
あのネックレスが切れたことは、逆に良かった。
これこそ、「怪我の功名よね。」 (^0^)と喜んだ。
ネックレスが切れなかったら、気が付かないところだったから。 (^0^) (^0^)!!

そこで、ふと思いました。
私と同じ様に、大好きなペンダントトップなんだけど、チェーンの金属に
かぶれるから、付けられないと言う方に、これは朗報ではないか?
私と同じ様な悩みをお持ちの方も、多いかも知れない。
だったら、このチタンのネックレスを、販売しようと思い付きました。




私のチタンオンラインショップの中に「勾玉ネックレス」のページがあります。

価格は、勾玉とチタンのチェーンを合わせて、10,800円です。

メーカーと相談した結果、これを、チェーンだけなら、6,000円で、
勾玉だけなら、4,000円で、販売開始することに致しました。

思わぬ展開となりました。
しかし、久しぶりに、「勾玉ネックレス」のページを見て、驚きました。
以前の私は、こんなことをしていたんですね。
こんなに素晴しいページを構築していたんですね。
こんなに大変な、死に物狂いの仕事が出来ていたんですね。
ネットショップの構築は、素人では絶対に無理だと、プロに断言されていた
けど、耳を貸さず、全く諦めずにこんなことをやり抜いていたんですね。
信じられません。
今は、作れません。どうやったのか、自分に驚いています。

死に物狂いになれば、何でも出来ると言うことですね。
又、自我自賛病が再発しました。ごめんなさい。

では、販売実施の手続きを、今から頑張ります。
この続きは、明日のブログで、ご覧下さいませ。
明日、又、お待ちしております。






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2021.03.28 チタンのお箸のこと。



今日は、私の大好きなチタンのお箸の話です。


これは、ネット上で、最後の1個が売られていたのを見付け、買いました。
このメーカーは、今はないと思います。

お箸が、2万円で、箸置きが1万2千円ぐらいだったかと思います。
高いので、買うかどうか、迷っていました。

その上、中身が空洞ではなくて、全体が無垢の純チタン製なので、結構重量が
あって、持ち重りがあると聞いて、私は、ちょっと迷っていました。

その時、お箸など のことに、とても詳しい知人の意見を聞き、驚きました。

彼女は、昔の上流階級の出身で、使用人が44名居たようなお宅のお嬢様でした。
吉田茂さんが訪ねて来られた時の、逸話も聞きました。

幼い彼女付きの使用人は、ばあや、じいや、ねえや、運転手の4名だったそう
です。

学者で、政治家であった父親は、抱擁力のある方で、自分の書斎にある大量の
蔵書を、使用人達が読んで、勉強することを、推奨されていた様です。
それで、勉強好きのばあやさんは、書斎にこもり、勉強を重ねて素晴しい知識を
持っていました。

そのばあやさんに育てられた彼女の賢いこと。
驚く様な豊富な知識を持っておられます。
始めてお会いした時、私が、チタン製品を取り扱っていると知ったときの彼女
の驚き、それはばあやさんから、チタンの信じられない素晴しさを、絶えず
聞いていたので、まさか、そのチタン製品を売る人と出会うとは?と、私との
偶然の出会いに仰天されたのです。
その彼女からは、その後、チタンのことを沢山学びました。

さて、お箸のことですが、その彼女から、「お箸は、重い方が縁起が良いの
です。昔は、家長は、わざわざ重いお箸を使ったものでした。」と聞きました。
純金のお箸等は、大変重く、最も縁起の良い物だった様です。

それを聞いた私は、安心して、ネットで、その無垢のチタンの少々重いお箸を
手に入れたのでした。
これを手に入れて以来、10数年間、このお箸と箸置きは、私の一番好きな物
の一つとして、毎日の食卓でずっとそばにいます。





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2021.3.27 大内人形のお雛様のこと。



みえちゃんが、大内人形と言う、可愛い塗り物のお雛様を持っていると教えてくれた。

写メを撮って送って欲しいと頼んだところ、送ってくれたのが、上の写真。

ネットで調べたところ、下の様な記事があった。

大内人形は、大内氏中興の祖・大内弘世とお姫様との心温まるお話から生まれ
たといわれる、大内塗の技法をいかんなく発揮して作られた伝統工芸品です。 
山口市のシンボルともいえます。 まるまるとしたお顔におちょぼ口。 
細く切れ長で垂れた目元が特徴で、現代で言う「癒し系」のお人形。
http://www.choshuen.co.jp/%E5%A4%A7%E5%8...
大内人形について | 長州苑


写真は、昔、ご主人と旅行した時に、この長州苑で買った塗り物のひな人形で、
毎年3月には、これを飾っているとのこと。
昔の日本では、この様な、丸い福々しいお顔のお人形が多かったのかしら?
日本国中、地方地方に、いろいろなお雛様があるのだろうとなと、興味を持った。


これを読んだBちゃんから、メールが来て、「な、な、何と!ウチにも
大内人形あるんだな〜。」とのことで、写メが送られて来た。




これが、Bちゃんちの大内人形。
ちょっと、こちらの方がたれ目だけど、これも、可愛い。
まさか、Bちゃんちにもあったとはネー、驚いたな〜。^0^



(これは、我が家の童雛です。ふっくら、ふっくらです。)


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2021.03.26 来客の翌日、みえちゃんから電話



昨日、Hさん来訪時、この青銅の花瓶のことを、誉めてくれた。
骨董屋で、1800円と言うのを、更に値切って、200円まけてもらって、1600円
で買ったことを、私は自慢した。
更に、この花瓶の下の黒い塗りの花台が500円で、これに合うとは知らずに
買って来たところ、合わせてみると、まさにぴったりだったので、大喜びした
ことも、自慢しいの私が、言わない筈は無かった。
こんなことを、おしゃべりな私が、全部話そうとするので、昨日は、時間が
足りないのは当然だった。

すると、今日、みえちゃんから電話があった。
を、読んでくれたとのこと。
感心したと言ってくれた。
彼女自身も、7~8年前、脊椎滑り症になって、激痛の中、お母さんの介護、
ご主人の介護を続けていて、5年程後、痛みが治まったときは身長が5センチ
縮んでいたとのこと。
これを聞いた時は、私も、衝撃を受けた。
その頃、久しぶりに会った私が、「みえちゃん、もともと、そんな背丈だった
かしら?」と聞いた時、やっと、それらのことを教えてくれた。
私がブログで書いていた、自分の激痛を、ほとんど他言することなく、突き進
んでいた姿は、まさに彼女と同じだったらしい。

彼女も、人には言うチャンスが無かったと言うか、言っても、人には分から
ないと言うのが、私と同じだったことで、同感して、電話くれたらしい。



又、彼女は、私のお雛様を見たいとのこと。
近く我が家を訪ねて来てくれる由。
しかし、私が20年かけて、少しずつ、揃えて行った私のお雛様3組は、全部
の値段を合計しても、2万円するかしないか、そんな、言わば粗末なものである。
でも、私の大切な宝物だというのは確かで、それを見たいと言って頂くのは、
私としては、嬉しく、光栄なことだと思う。
又、彼女は、私が青銅の花瓶を買った、あの骨董屋にも行きたいと言っている。
近日中に、会って食事をし、骨董屋に一緒に行くことを、楽しみにしている。





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2021.03.25 15年目に伝えた飾り棚の御礼



今日は、待ちに待った日。
元職場の50年来の親友Hさん来訪の日ということで、前日に百合を買って来た。
いつもの紅白の南天の実の青銅の花瓶の中に、百合の花を加えた。
リリー荘の主としての歓迎の気持を込めて。


当日、玄関を入ると、「わ〜、良い香り。」と彼女は言った。
入るとすぐ、百合の馥郁とした素晴しい香りがしたらしい。
居間に活けてある百合の香りが、玄関まで拡がるんだと分かった。
そう言う意味でも、来客歓迎に百合はふさわしいと思った。
リリー'S cafe のプレートがお出迎え。



駅で待ち合わせて、一緒に割烹へ行く。



お酒も取って、ゆっくりおしゃべりする。



家へ帰ってからも、積もる話で、おしゃべりばかり。
わたしが、一方的にしゃべっていると、
「もしかしたら、これが、あなたの言っていた飾り棚?」と、逆に向こうから
質問有り。

あ、わ、わ。「そ、そうなんです。実は、15年前、貴女に頂いて、御礼を
言っていなくて、申し訳なく思っていた飾り棚とは、まさしく、これなんです。」
とあわてて、説明して、深く御礼を申し上げる。(ドジですねえ。)イヤハヤ!
今日来て頂いた目的を忘れていた私。



<一番上段>
中を開いて、スワロスキーのミニ置物などを、見て貰う。
これは、たまたま旅行先の香港でこれらを買った日に、神戸で阪神大震災が発生した。
九死に一生を得た私は、これを神戸の全壊の我が家へ持ち帰って来た。
これらは、もし、この飾り棚が無かったら、今でも、包み紙の中で、全部引き出しか
戸棚に入れられたままだった筈だった。

この飾り棚が、季節季節にどれだけ我が家の生活を、明るく彩ってくれて
いるかを伝える。
私の感謝の気持が伝わった模様だった。



3年振りぐらいの再会の為、話すことが多すぎて、私は、しゃべりっぱなし。
今日は、私が一人でしゃべって、写真を撮ることも忘れがちな日であった。

彼女は、犬2匹、ハナちゃんとミミちゃんの散歩に間に合う様にと、明るい
内に帰られた。
次回ゆっくりと会うことを約束して別れた。

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2021.03.24 はじめてCGで描いたお雛様(その2)


   

そのマック教室は、生徒募集30人、授業料30万だった。
講習期間は、6カ月だったかと思う。
CADのときと同様、殆どが20代で、10代の人も居た。
40代以上は、居なかった。60歳の私は、特異な存在だった。

面白いことには、10代の子は、ほとんど辞めてしまった。
それも、難しすぎると言う理由で。
授業料30万を、親に出してもらったから、簡単に辞められる、自分で払って
ないから、やめられるのよねと、廻りはひそひそと言っていた。

20代の女性で、こんなものを習って、一体何に役に立つのか?と、余りにも
言い立てる人が居たので、言い分を聞いてみると、会社で何か指示待ちをして
仕事をする、そんな明らかに事務員の立場で考えて居ることが分かった。
これは無理だ。この人には、クリエイティブな仕事は、無理がある。
自分で何かを見付けて、形あるものに成し遂げようという気持も考えも全く無い。
ここに居ても意味が無い人だった。
退学を止めなかった。この人も、辞めて行った。
教室は、だんだんガラガラになっていった。

私は、「パソコンは何でも有りの世界だ、自分さえ頑張れば」、と思って職場
を辞めて挑戦した。
パソコンは、人間が考えることは、何でも、人間の能力以上にやってくれる。
しかし、自分を高めないと、じぶん自身の技術を磨かないと、つまり、自分が
命令する力が無ければ、彼は自分では動けない。
そこを間違えるから、パソコン教室の仲間は次々に辞めて行った。

私は、先生に教わった手法を使って、家で明け方まで、独自で絵を描いた。
その頃は、パソコンでは、漫画しか描けないと思われていて、たまに「僕は
絵が描けます」と言う人がいるので、見せてもらうと、ミッキーマウスや、
アライグマラスカルを、コンピューターを使って同じ形に描くことが出来ると
言う自慢だった。
パソコンで、自分で独自に絵を描こうとする人は0であった。(当時は、先生
でさえも、パソコンでは、漫画しか描けないと思われていた。)

私は漫画には全く興味がないオバサンだったので、コンピューターで、自分で
絵を描きたいと思った。
我が家の庭のガーベラを初め、花屋で買って来たりんどう、水仙、コスモス、
などを、コップの中に差して、それを見つめながら写実しようとした。

3月になったので、お雛様を描こうと、立ち雛に挑戦した。
グラデーション機能を習ったので、金屏風の衝立てを描いてみようと思った。
下を赤にして、上を黄色に設定して、グラデーションを掛けると、金屏風に
なるのではないか?
すると、思った通り、見事な金屏風になった。
次に、ぼんぼりは、縦のグラデーションではなく、真ん中から外へ向かっての
グラデーションにすると、中の炎が光り、その廻りが桃色になって、ぼんぼり
が点っている様に見えるのではないか?
これも大成功した。

お雛様の繧繝(うんげん)模様の台座も、色塗りの線をぴっちりと合わせて行く
と描けたので、大喜び。
お雛様のお顔を書いてみると、何故か、私の姪の一人の顔とそっくりだった
ので、「え〜?◯◯ちゃんにそっくりじゃないの?」と大喜びした。
帯も、衣装も、どうやって描いたのだろう。とにかく、必死だったのは確かだった。

始めは、ここまでだった。金屏風の上部は、空白だった。
その内に、この上へ、桃の花があれば最高なんだけどと思い始めた。
挑戦することにした。
花屋から、桃の花を買って来て見ながら描いたことは、覚えているが、どんな
ツールで、どうしたか思い出せない。
桃は、どうやって描いたか、今では思い出せない。
グラデーション機能を使ったのかしら?
それとも、筆ツールで?

しかし、この桃の花のあでやかな美しさ!
雌しべの輝き!
この葉の上品な美しさ!
きりっとした、枝の美しさ!
つぼみの愛らしさ!
又、お雛様のお顔、衣装、冠、帯の模様、どうやって描いたっけ?
よく描いたな〜、
そして、このぼんぼり、本当に灯が点っているみたい〜。‥…

ごめんなさい。自画自賛が止まりません。
この世界を目指して以来、毎日ほとんど徹夜状態だったので、脚の筋肉を
落としてしまい、激痛の脚を抱えての毎日だったが、そんなことぐらいで、
諦められる訳はありません。
当時14インチの小さな画面で、スクリーンに部屋の電気が写り込むので目に
悪く、画質が粗い機器で超細密画に一晩中挑戦するので、目を傷めて手術をした。
又、当時、パソコンで作業する人には、必須だと言われていた電磁波除けの
ゴムのエプロンもしなかったからか、脳腫瘍が出来た。
手術したら、40日の入院が必要と言われたが、それらの日々が惜しくて、
放置していたら、全然悪化せず、でも病院にはマメに行っていたが、5~6年後、
もう、病院に来なくていいと言われた。
先生に「どうして?」と聞くと、「運命の神様のお陰です。」と言われた。

この立ち雛の絵を書き上げた時、3月だったので、これをプリントして、女性
の生徒さん達に配った。

その後です。
先生が、血相を変えて(と言ったら、悪い例の様ですが、そうではなく)
やって来られて、「これは、あなたが描いたのですか?」そうですと答えると
「今後、何か絵を描く度に、必ず私にプリントを下さい。」と何度も念を押して
言われた。

その後、私の別の花の絵で雌しべの書き方等を、これはどうして描いたか
(何のツールを使ったのか)と、聞かれたが、私は懇切丁寧には答え
なかった記憶がある。いえ、正直に言えば、聞こえない振りをした。

申し訳ないが、それには、訳が有る。
この少し前に、何かのことで、パソコン学校に1〜2回見学に行くチャンスがあった
ときのこと、若い学生さん達が、授業が終っても、そのまま帰らず、夜中中、
その機器を使わせてもらっていた。
当時、パソコンは高価で、マッキントッシュは、特に高価で、親に買って
貰える様なものではなかった。
その学校は、大変親切で、その様な学生の為に、夜でも学校を閉鎖せず、
機械を使うことを許していた。

それだけでも、凄いことなのに、さらに、衝撃的なことを聞いた。
次の日、午前の授業の生徒さん達が教室に入ると、夜中頑張っていた徹夜組が、
TシャツにGパン姿で、床にごろごろと眠っていたのと遭遇したとのこと。

その時、私は思った。
もうだめだ。若い人のこの様な体力と目の力で、勝負されたら、私等、
たちどころに追い越される。
こうしてはおられない。
私は、激しい焦りで一杯になった。
すぐ追い越される。その不安で、眠れない日が続いた。
私が独自に開発した手法は、絶対に人に教えられないと思った。
危ない危ない。若い力のある人に、たちどころに追い越される。

それを、親友のHさんに訴えると、大物の彼女は、呵々大笑して言った。
「大丈夫!こんな大変な作業を、若い人がすると思う?絶対するはずないよ。
絶対に追っかけて来ない。絶対に追っかけて来ないよ。」と。

そうか、その通りだ。これは大変すぎる。人はやらない、特に若い人は!
と大いに同感して、それから、ストンと憑き物が落ちて、眠れる様になった。

偶然ながら、その彼女が、明日、我が家へやってくる。
飾り棚の送り主のHさんだが、飾り棚以外に、このことも、お話しようと思った。

そんな、色々なことがあり過ぎて、当時は、1年で10年分ぐらい苦労した、
ぎゅっと詰まったそれらの年月を、今思い出している。
脚以外に、両手もストレスからか激痛で、痛くない個所は、両肘のみ、
なのに不思議なことに、包丁は握れて、布巾は絞れるという、この二つの幸運が
残されていたことに驚喜して、震災復興支援の友人達への感謝から、震災後
神戸再出発後の10年間は、ご近所の人も含めて食事接待を100回程と、
おせちも毎年数組招待した。
身障者が、健常者を接待していることを自覚していたが、全く止めなかった。
余りにも激痛で、気絶しそうに痛い日々だった。
朝起きて、起き上がるだけで、25分掛っていた。
彼女達は、私が手足が治った今でも、当時、私の手足が激痛だったことを
ほとんどの人は知らない。私が言わないから。

整形外科の先生に、私の足が治ったことを「近代医学では証明出来ない。
神の領域だ」と何回か言われた。

今日書いたことは、そんな私の激動の時代のほんの入り口の幕開けの頃のことで、
その後の苦難こそ、これらの30倍あったと思うし、よく死ななかったねと
言われるが、けれど、激痛だからと自分を守って寝込まなかったから、結果
足と身体がそれ以上は衰えきらず、今日がある(偉そうに言える程の今日では
無いけれど)と、私は、脚と身体の不調が治ったことの理由を問われると、
震災復興協力への感謝から、一生ご恩返しをしたいと言う決心は、一度も
揺らぐことなく、激痛をものともせず、ひるまず使いつづけて、酷使したから
ではないかと、答えるしかないと思っている。


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2021.03.23 はじめてCGで描いたお雛様〔その1)




この絵は、何でしょうか?
私が、生まれてはじめて、マッキントッシュのCGを習いに行って、最初に
フォトショップで描いたコンピューターグラフィックの絵です。

これを.折角3月なので、お雛様のCGをブログに上げようかなと、思っていた
のですが、お雛様なので3月一杯にUPした方が良いとは思いつつも、なかなか
UP出来なかったには、理由がありました。

それは、私が、後1年で60歳の定年退職と言う、そのたった1年を待てずに、
59歳で都市銀行の管理職と言う安定した職を捨ててまで、まだマッキントッシュ
を買ったばかりで何も知らないと言うのに、未知の分野であるコンピューター
の世界に飛び込もうとした過程を、書かねば、充分でないと思ったからです。
だから、一旦、踏み出したら(=書き出したら)、しんどいことになるのは、
わかっているので、二の足を踏んでいた。

59歳で、退職した後の短い短い期間の間に、驚く程の多くのことがありました。
それほど、コンピューターの世界は、急速に上へ向かって走っており、その
疾走している乗り物に、えいっとばかり乗り移って行かねばならない努力の
連続は、今思えば、想像を絶するものがありました。

退職後、家で独学で勉強していた私は、ある時、職業安定所でCADを教える
講座があると聞き、応募しました。
私は、絵を描くことよりも、図面を描くことに興味がありました。
その時の、私の受験番号が93番だったので、おそらく120〜130名前後の
応募者があったものと思われます。合格者は30名の予定でした。
合格の入所式の時、職業安定所の所長が、合格結果は、試験成績の上から
30名、厳正に成績順で取らせてもらったこと。
実際に職を求めている人に必ずしも、入所してもらえない状態であることを、
入所者は充分心得て勉強する様にと、訓示があった。
確かに、まだ子育て中の男性が、たまたま失業したりなどの、そんな窮状を
救うための制度である筈なのに、定年の者が、その権利を奪うのは良くない
ことだと納得して、申し訳なく思った。
試験は、私の様な年配者は、国語は自信があるが、数学は、私は自信がなかったが、
その時の試験だけは、たまたま私でも充分分かる問題だったので、幸運だった。
私は、全体の中で3位の成績だったと聞いた。
真夏の暑い何ケ月か、CAD(と建築学)を習いに通った。

その教室は、パソコン学校の1室を借りて開催されていた。
しばらくしてから、そのCADの教室の廊下の先にマッキントッシュを教える
教室があることが分かった。
しかも嬉しいことには、CADの講座が終了する翌月から、その教室は、新規
講座が始まるとのことだった。
これは、嬉しい運命だった。

そして、私は、そのマキントッシュの教室に通うことになった。

私が何故、このCGのお雛様の件を投稿することに、逡巡したかというと、
こういう、長い長い前置きが必要だと思ったからに他ならなかった。
これを言わなければ、私にとって、何の値打ちも無い話になるからであった。

ということで、マッキントッシュ教室との出会いのお話を、この続きに書き
たいと思います。
よろしくお願い致します。




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2021.03.22 私の自慢のガラスのバケツ



いつ頃だったか、私は、ガラスのバケツを見付けて購入した。
持ち手も、付いていたと思うので、探がせば、あると思う。

いつも、来客の前に、お花を買って来たら、取りあえず、このバケツに水を
張って、翌朝まで浸けておく。
同じバケツでも、ガラスのバケツなので、本当に気持が良い。
衛生的にも、見た目も清潔である。



数日後に、友人がやってくることになっているので、お花を買ってきた。




その友人とは、15年前に、この家に引っ越した時、「引越祝い」に、この
飾り棚を贈ってくれた友人である。
何度も遊びに来てもらっているのに、この飾り棚の御礼が言えずに居た。
15年目にして、はじめて見て貰って、面と向かって御礼が言いたい。


   

お正月や、Xmas、そして来客の度にお花を買って来ては、お花を水の中に
浸けておくが、私は、バケツはバケツでも、この美しいガラスのバケツに
浸けておく方が、心が明るくなり、楽しみが倍加するような感じがする。
ガラスのバケツ等と言う、ユニークな物を作ってくれて、ありがとうと思って
いる。
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2021.03.21 いかなごの釘煮でお茶漬け



今日の昼食は、昨日頂いたいかなごの釘煮で、お茶漬けをした。
美味しく頂いたが、少し驚いたことには、釘煮の塩味が大変薄く、お茶漬けを
するには、塩味不足だったこと。
普通のご飯のおかずとしては、良かったかも知れない。
世間では、塩分を薄くという傾向だが、それが、佃煮にまで及んでいるんだな
と思い、少々驚いた。


これは、私の日本茶の急須。
歳を取って、握力の低下を感じていたので、割れ物は危ないと思って、数年前
に、割れることのないこれを見付けたので、安心だと思って取り替えた。
ポリピロピレンは、赤ちゃんの哺乳瓶の材料なので、安心感を持った。
私は、日本茶が大好きなので、大きな茶碗で、1日に3〜4杯、濃い日本茶を
飲んでいる。



同じ製品の色違いで、茶色の物があったので、これを紅茶のポットとして買って、
毎朝愛用している。私は、紅茶も大好きで、しかしティーバックは、苦手。




昨日、Hさんが釘煮を持って来てくれた時、インターホンの画面に、彼女が
見えたので、私の大好物のこのチョコレートを脇に挟んで、玄関に出た。
Hさんが帰られる時に、これを渡した。

私はチョコレートが大好きで、でも、このチョコレートしか食べないこと、
家には、お菓子の買い置きは全く無いけれど、これだけは買ってあること、
バレンタインデーには、必ず、このハーシーのアーモンド入りキスチョコを
利用することを伝える。
とても、喜んで頂いた。


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2021.03.20 私の老後に、光を与えてくれて、ありがとう。

昨日、インターホンが鳴ったので、出てみると、一階下のHさんだった。
「いかなごの釘煮が、友人から送られて来たので、ほんの少しだけだけど、
お裾分けに持って来ました。」と言った。

彼女は、「届け物が届いたときは、いつも必ず、最初に貴女に持って来る
ことにしてるのよ。」と言われた。
確かに、その様にして下さっていることを感じる。
彼女の持って来てくれる物は、全て上質なもので、どれも美味しい。
上質のかまぼこを1本、持ってきて貰ったことがあるが、子供の頃に食べた
あのプリプリした上質のかまぼこの味わいを思い出して、感動した。
秋刀魚の干したもの3本も凄かったし、最近では、小蕪の漬け物の美味しかった
こと。懐かしい鄙びた食べ物が多かった。

私がいつも思うことは、この方は、多分真剣に人と付き合っていて、郷里の人達
との絆が続いているのだろうと思っていた。
すっかり感心した私は、「貴女は、随分人のお世話をして来た方なのでしょ?
でないと、そんなにして貰えるはずないもの。」と言った。
すると「いえいえ、それはお互い様。お互い様。」と言われた。
お互い様?そうか、やっぱり、そうなのね?

そこで、つくづく思ったことは、この方との関係は、Bちゃんのマスクから、
始まったこと。
この方に差し上げたBちゃんのマスクが、彼女が大好きで、Bちゃんから送って
来る度に、何度も差し上げた。
それを大喜びされて、その御礼に、私へのいろんなお裾分けが始まった。
同じマンションに住んでいても、お顔さえ知らなかったのに、お互いに仲良く
なれた。
マンションの若いお母さん達とも、子供用マスクを差し上げて以来、知り合い
になって、良くして頂いている。

これは、本当に,何と言っても、Bチャンのお陰だ!
このHさん始め、マンションの方々に仲良くして頂けるのは、何と言っても
Bちゃんのお陰。
その上、毎日、ブログを書く度に、Bちゃんに電話して、見て貰っているが、
その時の応答に、心がパッと明るくなる。
毎日全く変わらない明るい応答。
何度電話しても、全然変わらず、全く恩に着せる感が無い。
つまり、やって上げている感が全く無い。

これは、言うは易いが、なかなか無いのではないかと思う。
あの、のばらさんと全く同じだ。
(普通は、だんだん上から目線になって来るものではないか?)

のばらさんとは、60年の付き合いだったが、5年前に亡くなった。
まるで、のばらさんと入れ替わってくれたみたい。
私が、「あの私の観音様ののばらさんを失って、その後、Bちゃんが現れて
くれた。私は、本当に幸せ者やわ。」と言ったら、Bちゃんは、大笑い。
「現れたって…、私は、最初から居るよ。」と言った。
そうそう、そうやね。Bちゃんと知り合ってから、もう40年経つよね。
確かに、ずっと前から居るよね。

「私、いつも感謝しているよ。私の老後に、光を与えてくれて本当にありがとう!」
と、私は、Bちゃんに、心の底から御礼を言った。

このブログを読んだBちゃんから、下記の様なメールが来た。
「読ませて頂きました!
私のマスク作りが、大島さんのマンション生活、楽しくなったと知ったことが、最高の喜びやわ!
それにしても、一階下のひとから、たくさんいろんなもん、もらってんじゃん!」

いえいえ、Bちゃんが、どうしてくれたこうしてくれたではないのよ。
マスクもあるけど、そんなことよりも、Bちゃんの存在そのものが、私にとって、光なのだからね。本当に感謝です。




Hさんから頂いた「いかなごの釘煮」
ほんの少しだけと言われたけれど、なかなか多い。
明日のお昼、これで、お茶漬けをしたい。
美味しいべったら漬けもあることだし。

なお、このお箸は、私の自慢のチタンの無垢のお箸と箸置きです。
中は、空洞ではなく、全部が無垢のチタンです。
私は、これをネットで処分品となっていた、最後の1個を手に入れた。
これについては、また後日、項を改めて書きたいと思います。




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2021,03.19 味の好き嫌いは、人それぞれだと思ったこと。

先日、Bちゃんから、「ブッロコリーご飯の美味しいこと、感動したよ。」と
メールが来た。
聞くと、ご飯を炊く時に、お米の上にブロッコリーを乗せて炊くのだとのこと。
良いブロッコリーだと、途中で、栗の様な美味しい臭いがしてくるけれど、
良くないブロコリーだと、良い臭いがして来ないので、良いブロッコリーを
買う様にと。
ヘ〜?そんなに感動するほど美味しいブロッコリーご飯とやらを、早く作って
みなくちゃ〜,身体に良さそうだし、ということで、梅田の百貨店で、
ブロッコリーを買う。



帰宅して、ご飯を炊く。お米を1合半に、ブロッッコリーを、半分に切って、乗せる。



蓋をして、炊き始める。


炊き上がって、一口食べてみた。
「クサ〜」「マズ〜!」
臭くて、不味い。驚いた。
私は、元々、ブロッコリーの臭いが嫌いだった。火を通したときの臭いがもっと,
嫌だった。
聞いてみると、Bちゃんは、もともとブロッコリーの臭いが好きなんだとか。
息子さんのサトシ君は、これをお弁当に入れて上げると,美味しいと喜ぶのだとか。
知らなかったな〜、これを喜ぶ人が居るなんて。



気の毒に思ったのか、Bちゃんは、「そしたら、明日カレーにしたら?と
言ったので、今日はカレーにした。お酒は、梅酒の水割り。
ますます、不味かった。
私は、カレーを作る時、いつも、カレー粉だけを使う人なのに、今回は、
カレールーを買って来た。カレーのルーが、こんなにとろみが濃い物だとは
知らなかった。カレー粉だけのあっさりした方が、私は好き。

しかし、勉強になったな〜、味の好み(今回の場合は、臭いの好みだけど、)は、
まさに、人それぞれなんだな〜、自分が美味しいと思っても、人はそうでもなく、
人が美味しいものが、自分は嫌いと言うことがあるんだ。
今回のことは、そのことが、大変分かりやすい例だったな〜と、つくづく思った。

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2021.0318 たった1粒の赤い実。

私は、赤い実が大好きで、今まで、わがやの植物の赤い実のことを、散々
自慢して来た。


確かに、我が家の万両の赤い実は、素晴しくて、木の下から生えて来た
ヒコバエの方にも、つやつやとした赤い実が成っていて、目を楽しませてくれる。


こちらが、ヒコバエの赤い実。
艶も色も美しさも、親の樹に遜色が無い。



ちょっと残念なのは、枸杞の樹。
去年植えたが、なんだかカサカサだった。
ところが、今年の1月に、たった1粒、可愛い小さな実が成っているのを
見付けて、びっくりした。


何とも小さいけれど、真っ赤で綺麗な実が、たった1粒だけ、つやつやと
光っていた。

以前住んでいた神戸の家では、奥庭に枸杞の実が鈴生りに実っていたが、
今思えばもったいないことには、全く手を付けたことがなかった。
漢方薬でもある、貴重な実だったのに。


嬉しいことには、去年植えたばかりだったこの枸杞の樹は、今年は、見違える
様な青々とした葉を付けはじめていること。
きっと今年の秋には、赤い実を沢山付けてくれるのではないかしら?
そうしたら、お粥に入れたり、多ければ、お酒に漬込んだり、出来るかも知れ
ない。



もう1つ、残念なことは、あれほど自慢(タラタラ)だった、万年青の実が、
昨年は、1本だけ実ってくれたが、色がわるく、育ちも悪かったこと。
万年青には、半日陰が良いと聞いていたので、北側の玄関前に出すこと10年、
その間日光に当てていなかった。
やはり、少しは、日差しを当てて上げなければならなかったのかと思って、
今年のお正月から、ベランダに移した。
春先まで、ここに置いておこうと思っている。

友人達が来たら、玄関で立ち止まり、「あ、万年青は?」と探している。
それほど、有名人(?)になってしまった。

また、元気になってくれたら玄関に出そうと思う。
それから、肥料が要るのかも知れない。
私は、ほとんど肥料をやらないので、この点は調べなければならないと思って
居る。









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2021.03.17 百貨店へ行ったので、あの親切な店員さんに会う。

昨日は、百貨店の店員さんに、親切にしてもらったことを書いた。

今日、久しぶりに、梅田の百貨店に行った。
コロナになってから、特に最近、梅田に行く回数は、以前の4分の1になった。
地下のお菓子売り場に行き、先日のお菓子屋さんに行く。
「先日、「◯◯静」のお菓子の売り場を教えて頂いた者ですが…」と言うと、
「ああ、そうでしたね。」と言われたので、その人が当事者だということが
分かった。
「ご親切が嬉しかったので、ブログに書きました。」と伝えると喜ばれた。

改めて、そのお店のお菓子を見てみると、黒豆のお菓子の店だと分かった。
そこは、黒豆を煮詰めた物に、抹茶を絡ませたもの、砂糖の衣を絡ませたもの
など、いろいろな黒豆のお菓子の売り場だった。


私は黒豆好きなので、お菓子以外でも、茹でた黒豆をサラダにトッピング
したり、夏場は黒豆茶を沸かして飲んでいる。この店にも、黒豆茶があるらしい。

その親切な女性に先日の御礼を言って、少しおしゃべりして帰って来た。


(中を開けたところ)
そこのお菓子を、買って帰り、帰宅後、お雛様にお供えした。
お菓子は、美味しいと思った。
お菓子を食べながら、煎茶を飲んだ。
小さなサイズ感といい、趣と良い、この黒豆のお菓子はお雛様のお供えに
ぴったりだと思った。
来年からは、「二人静」と合わせて、このお菓子も、お雛祭りに登場する
ことになると思う。

ということで、昨日のブログの件は、本日になって、そんな思わぬ結末を
迎えましたことを、お知らせ致します。



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