質素な毎日☆ひとりごと

主婦 斜め上からみる雑感いろいろ。

正しい道とは生きにくい道

2021-03-11 20:40:00 | 日記



今日の晩御飯は 鶏ちゃんこ
鍋物は それだけで良いので楽ちん、さらに明日の昼御飯も食べれる。

メニューが全然思いつかないので、図書館で料理本を借りてみたけど、やっぱり思いつかない。


私はもうただ生きているだけの身分になった。自分のしたい事だけして生きていけるかもしれない身分に。

でも、自分のしたい事だけする残りの人生ってやっぱりつまらないと思った。

本当は社会に伝えたい事がある。

いまの大量消費社会では、私たち動物は生きていける環境をどんどん失ってしまう。 人間なんてどうでも良い。人間は自業自得。でも その他の動物まで巻き添えにして良いものか?

すでにグローバル化してしまった地球だか、 環境にやさしい暮らしをするには

小さな単位の暮らしをしていく。

つまり、地産地消、自給自足。

全く何年たっても上手く言葉にできない。自身ですら実践できない。

社会に上手く伝えられない。

正しい道とは生きにくい道
ダンマパダ より




ワクチン接種するかしないか

2021-03-04 11:25:00 | 日記
日本でも 量は少ないながら、新型コロナウイルスのワクチン接種が始まった。

私のように この病気で家族を失った者にとっては ワクチンこそ高齢者にとっては救世主だと感じてしまう。

しかし、ふと このワクチンは安全なのだろうか?という疑問も出てくる。

日本では 安心安全 だから打ちましょうと言われているが、アメリカの報道を見ると意外と打ちたくないという声も多い。

これなら日本で打たれるワクチンはどのようなものか?

短い期間で開発が成功したのには裏がある。
今までにないタイプのワクチンだ。いわば歴史のない未知のワクチンを打とうとしている。ある意味壮大な人体実験ですらある。

前代未聞の状況に対応するため、今までにない手法、mRNAワクチン、ウイルスベクターワクチンなど、で製造されている。

短期的な効果、有害事象は概ね許容できるが、長期的な効果、有害事象はまだ情報がない。

日本人の15歳以下、75歳以上のデータが、ない。

50代の自分は この先人生に必要性はないので 未知のワクチン接種して 、たとえ、長期的に有害でも今の感染爆発を防げるのであれば打ちたいと思う。 しかし、私の場合 もしかしたら抗体があるのかもしれない。

もし、私が まだ若く 子供を産む年齢なら 慎重なるだろう。つまり 打たないで様子を見る。

超高齢者に勧めるだろうか?
打ったら それが引き金となって死んでしまうかもしれない。ある程度覚悟を持ったほうが良い。




電力

2021-03-04 10:19:00 | 日記
先月 アメリカテキサス州で 寒波による電力不足による停電が発生しました。

日本でも 寒波の時、電力供給量がギリギリだけど、なんとか大丈夫と少しだけ報道がありました。

世界的に再生可能エネルギーが叫ばれていますが 再生可能エネルギーにも問題があります。

再生可能エネルギーとは 太陽光・風力・地熱・中小水力・バイオマス などですが、安定供給とはなりません。

特に太陽光は昼間のみ。 もちろん、従来の火力、石炭、原子力からは脱却しなければなりません。

しかし、今と同じように電気を使っていたら、電力不足になることは容易に想像できる。

今と同じように電力を使う

ここから 思考転換をしなければ 気候変動対策は進められません。

なのに、 まだまだ世の中は 今までと同じ生活、いやむしろ これからは電気自動車だと さらに電力を必要とする生活を夢みている。

さらに、新しい事業だ、それ! 山を崩して開発だ!となっている。

結果 いたるところに 太陽光パネルが山肌を覆っている。 これでは ゴルフ場の方がまだマシです。

私は 開発の後始末の事も危惧しています。
何十年か経つと 最初に作った人は何処へやら? 放置。

最近 田舎の国道沿いを歩いていると、廃墟となった ホテルやドライブインを多く見かけます。 放置され 野ざらしのまま、台風の時は飛ばされている。

こんな風に 放置されれば、何十年も経つと使い物にならない太陽光パネルだらけになるでしょう。

少なくとも メーカーはこの後始末をするべきだけど、法律になければ何にしない。

再生可能エネルギーも良いけど、それよりもっと 電力に頼らない生活を目指すべき。

電気がなかったころの生活、これは私たちがこれから見習うべき生活でしょう。
もちろん 電気無しでは もはや無理。私など 高台に住んでいるので もっとも重要な水ですら 電気無しでは使えません。 明治の初めの頃から人口は4倍になっているのです。

昔は飲料水はどうしていたのでしょう。
ほとんどは井戸水です。 昔の集落は大体 山の麓に形成されている。 山を通して濾過された水を飲料水として使えば まずまず清潔な水です。
川水は 汚水が流されていたので よほど上流でないと不衛生だったでしょう。

江戸時代、江戸では水売りがいたようで 綺麗な湧き水を 汲んで売ったりすることもあったようです。
それでも 今よりずっと不衛生なので病気になる人は多かったでしょう。今でも 昔の人は 生水はだめ、煮沸した湯冷ましをと言います。

現代では、上水道が整備されました。麓に住めないあふれた人が生活するためには 電気で高台に水をポンプで汲み上げなければならない、知らず知らず、私達は電気がなければ生きていけないようにさせられてしまっています。

なので、電気無しの生活を目指そうなどとは無理です。ただ、湯水のごとく電気を使うというのは もはやお伽話の世界です。