痛い(州´゜◆゜)>イタタ ★☆★☆日記

私の思う日々の疑問を伝えてみたい。

貧しい人に心を留められる方。

2023-12-22 15:56:37 | 日記
この世の中には裕福な人と貧しい人そしてどちらとも言えない人々がおられ

るのでしょう。

何をもって裕福?何をもって貧しい?何をもっていて何をもっていない?

「心の貧しい人は幸いです」というイエスのことばを思い出させてくれます。


お金持ちの人はそのお金を使って多くの貧しい人たちや誰かのために役に立

つようにとお金を寄付したり何か必要な物を買ってプレゼントしたりしてお

られますね。

寄付やプレゼントだけではなくそのような貧しい人たちと共に生きる道を選

んだ人たちもおられますね。

それぞれが自分の心に忠実に誰かのために寄り添う道を選んで歩んでいるの

でしょう。


わたしは一人で生きているという人でもやはりどこかで誰かの手助けを受け

ていることでしょう。

人は助け合うためにこの世に存在しているのでしょう。

それは人間をお造りになった神さまの本性ともいえるのでしょう。

愛するためにということばに抵抗がある人がいるならお互いを大切にするこ

とによって神の愛が人々のうちに全うされていくということになるのでしょうか。


神様は貧しい人と共におられることに間違いはありません。

救いはいつも貧しい人たちから与えられているからですね。

財産を貧しい人々のために分かち合っている人たちも「心の清い者は幸い。

その者は神をみる」なのでしょうね。

清さを持つ人も貧しさをもつ人も神を仰ぎ見ているのかも知れませんね。

マリアの貧しさはすべてに置いてそうでしたし、だからこそその目はいつも

神を見ていたのでしょう。そして神もアリアに目を注いでいたのでしょう。


何一つもち合わせのない者は神を仰ぎ見る時、すべてを持つことになるので

しょう。

このことを理解するために信仰がいりますが、それは何もむずかしいことで

はありませんね。

ただ神を信じること。

神から救いと恵みが与えられることをただ信じることだけなんですね。


マリアはその身に神の子イエスを宿すことになりますが、その生涯を通して清さと貧しさと主への信頼で歩まれていかれます。養父ヨセフの助けを借りながら。神は心の謙遜な貧しい人たちといつも共におられますね…😊 

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