読書と映画とガーデニング

読書&映画&ガーデニング&落語&野球などなど、毎日アクティブに楽しく暮らしたいですね!

青来有一「てれんぱれん」

2010年04月06日 | さ行の作家
てれんぱれん
九州の北の方や山口で使われている言葉
なんとなくぶらぶらと過ごして怠けている人を非難するときによく使われるそうです


1枚20円のニラ焼きを焼いて生計を支える母
いつも母に「てれんぱれんせんと!」と叱られていた父
そんな両親と過ごした町に40年ぶりに戻ってきた「よっちゃん」

よっちゃんと父の秘密
それは「てれんぱれんさん」が見えること
父は小学生くらいの年齢で被爆した後「てれんぱれんさん」が見えるようになったという
ゲンバクの時いっぱいの人が水を求めてきて死んでいたという浦上川

葦のあたりにボーっと白いものがいるやろ?
よっちゃんには見えんか?
神さま
死んだ子どもはそこで神さまになる
そこにしがみついておる
ずっと昔からいろんなところで子どもは死んでおるからどこにでも神さまはおる
ほらぁ、あそこにぼーっと立っておるやろうが?

なにをしているの?

なんもせんさ
子どもはいつもてれんぱれんしておるやろうが
ぼーっとしておるよ
お父ちゃんやお母ちゃんが迎えに来るのを待っているだけや

お父ちゃんもお母ちゃんも死んでしまって誰も迎えに行かんならどげんなる?

だんだん薄くなって消えてしまうやろうなぁ
黙って消えていく
恨みもせん、なんも祟ったりもせん


父の背中にしがみついている時だけ見えていたてれんぱれんさん
父が早死にした後、進学、結婚、子育て、そして離婚
故郷の町に戻ったことで自分が忘れようと避けてきた「てれんぱれんさん」と再び関わることになってしまう


重きを置かれているのはオカルトの部分でなく
よっちゃんが自分や両親の人生を振返り、両親の生き様を何となくでも理解し、また明日に向かって生きていこうと走り出すところです


朝の光はまぶしいくらいで、大気は澄んでなんともすがすがしく、坂道にさしかかると、わたしは深呼吸をひとつして、小走りに駆けはじめました


今も、長崎にはてれんぱれんさんがたくさんいるのかもしれません



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 松本清張「西郷札」 | トップ | 4/10~12 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

さ行の作家」カテゴリの最新記事