三神工房

2006年1月11日から約8年、OcnBlogで綴った日記・旅日記・作品発表は、2014年10月gooへ移動しました。

カンボジアレポート

2009-08-23 | 旅行記

8月21日(金)午後10時半(日本時間22日午前12時半)ソウル
からプノンペンへ入った。気温27度。

これが何度目になるだろう。パスポートを見れば分かる。だがどう
もそんな気にはなれない。いったいこの国はどこへ行こうとしてい
るのかと疑問を持つ。だがその前にじゃあいったい日本はどうか?

国を出て国を振り返れば愕然とすることがある。具体的にどうこう
いっても仕方がない。だがどうしようもないこの思いはなんだろうか
と思うと、今度カンボジアへ来るのは何度目かという思いは霧散し、
いったい俺はなにをしているのだろうと考えてしまう。

機会がありカンボジアの若者の日本語の文章を読んだ。7名の男
子だった。どれもこれも美しい日本語。それ以上に感動する文章で
あった。素直な文章である。日本へ行きたい。日本人と働きたい。
日本の文化に触れ、日本の技術を学びたい。ほとんど全員が同じ
文脈で日本への思いの丈を述べている。だがこの美辞麗句のあと
に続く言葉は総じて同じ文脈に至る。それは家族の為に働きたい。
カンボジアの為に働きたい。国を良くしたい。言葉は違えどもそこに
はなんびとも立ち入れない慄然とした筋が通っている。読んでいて
どうにも面映ゆい気持ちになる。日本はその思いに答え得るのか。

人は動機があって動く、と信じてきた。だがこの国は違う。動かねば
どうにもならない、と若者が知っている。どんな仕事でも日本へ行け
ば残った家族に金を送り、弟が高校へ行けるとして働く若者がいる。
なんだかんだと理屈を後付けして動いている自分が惨めになるよう
な気がする。人生に限りはある。だが思いに時間はなく際限はない。

この先自分になにが出来るのか、もう一度よく考えてみよう。その上
で今出来ることをやってみる。この国へ来るのは何度目か、いったい
日本を出たのは何回か、それはいつか振り返れば良いと思う。

以上プノンペンにて、雑感である。

三神工房


ターミナル、夏の日の夕暮れ

2009-08-21 | 旅行記

ブログに書こうと取った写真が残ったまま、すぐに書くつもりが、
忙しさにかまけて、あっと言う間に一週間が立ってしまった。

・・・・・・・・・・・・

8月14日午後七時過ぎ、伊丹の大阪国際空港に降り立った。
ターミナルを出て、ふと空を見上げると、雲ひとつない晴天。
夕暮れ近くだが、秋かと見まがうような気持の良い空だった。
人と出会い、集い、別れて辿り着いた、静かな夕暮れだった。

空港ターミナルと良く言われる。しかし、Terminalとは、実際
英語でいうと「病気などが末期の、死に至る」という意味の方が
強いとされる。よって最近はあまり使われなくなっているらしい。

だが私はこの言葉が好きである。

人は出会い、笑い、泣き、感動し、落ち込み、そしていつか別
れる。一期一会。でも、なにかが残る。決して失われないもの、
それを言葉でどう表わすのか、どう文章で表現するのか、今の
私には出来ない。でも、一生かかって、いつか表現してみせる。
その為に一所懸命、生きて行かねばならない。確信を持って。

ターミナル、それは物事の節目でしかない。

三神工房

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夏の街路樹

2009-08-08 | 日記・エッセイ・コラム

梅雨が明け、酷暑がやってきた。暑い。蝉がうるさいほどである。
だが木陰に入ると、夏もいい!と感じる。春の若葉もすっかり育ち、
日焼けした若者に似て、たくましく夏の太陽にテラテラと光ってる。

駅で、某政党のマニフェストをもらった。夏の昆虫を思い起こすよ
うな目が印象的である。まさか本当に複眼ではないことを祈る。

彼らは4年間のことしか謳わない。その先はどうするのだろうか。
過去50年掛けて、山を崩し、川を去勢し、海を汚してきた。挙句、
若者は切れやすく、中年は世をはかなみ、年寄りは餓死していく。

初めて大阪の街に出て、高速道路なるものを走り、世界中の人が
集うエキスポを見た時、ああきっと将来日本は素晴らしい国になる
んだと信じて疑わなかった。あれから40年、夢は夢だった。

今から50年掛けて、日本の自然を世界一美しい元の姿にする。
そのために消費税を25%にして、若者は自分の将来のために、
中年は自分の孫のために、そして老人は自らの尊厳を守るため。

某政党が政権を取れば、木材の自給率を現状10%から50%に
するという。応援したい。あの50年前の、日本中どこへ行っても
美しい山々・木々・里山・川・松林・海浜などなど、あの風景を取り
戻すため、是非政権を取ってほしい。夢で終わることのないよう。

三神工房

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広島

2009-08-03 | 旅行記

梅雨は明けていないという。
朝、ドンというような熱気の中、蝉の声が驚くほど。で一句浮かんだ。

耳破る 今を盛りに 蝉しぐれ
 また行く夏に 想いひとしお

今日は広島にいる。暑い。ホテルの部屋に入り、ビルの谷間の100
m道路を撮影。また広島に暑い夏がやってきた。もう原爆投下から、
64年の月日が流れた。長崎もしかりである。

広島には祖父がいた。昭和も戦前、泥沼の戦争に入る前であろう。
伊勢の船大工の家に生まれた祖父は、恐らく徴用されて、広島の
海軍工廠にいた。技師の下で図面を描く、技手という職種である。

時期からすれば、戦艦大和を建造していた頃より以前である。定か
ではない。朝も夜も食するのは、飯と汁と大根漬けであったと、母が
いう。結果若くしてリュウマチにかかり、アル中の軍医の手で腱を切
られ片足の自由を失った。結果、始終立って線を引く技手の職を失
い失意の帰郷となった。ただこれがなければ私は生まれていない。

また夏が行く。幸せであろうと、不幸せであろうと、季節は巡る。何万
何十万という人の生を一瞬で奪い、それは戦争を早く終わらせる為
と嘯いた大統領も、B29のパイロットもこの世を去り、ただ夏が巡る。

時の流れに意味はない。ただその時を生きる人の生に意味がある。
だからこの夏を忘れず、死を語り継がねばならない。この世に人が
生きる限りに於いて。そして、生きる者の責務として。

三神工房

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