8月21日(金)午後10時半(日本時間22日午前12時半)ソウル
からプノンペンへ入った。気温27度。
これが何度目になるだろう。パスポートを見れば分かる。だがどう
もそんな気にはなれない。いったいこの国はどこへ行こうとしてい
るのかと疑問を持つ。だがその前にじゃあいったい日本はどうか?
国を出て国を振り返れば愕然とすることがある。具体的にどうこう
いっても仕方がない。だがどうしようもないこの思いはなんだろうか
と思うと、今度カンボジアへ来るのは何度目かという思いは霧散し、
いったい俺はなにをしているのだろうと考えてしまう。
機会がありカンボジアの若者の日本語の文章を読んだ。7名の男
子だった。どれもこれも美しい日本語。それ以上に感動する文章で
あった。素直な文章である。日本へ行きたい。日本人と働きたい。
日本の文化に触れ、日本の技術を学びたい。ほとんど全員が同じ
文脈で日本への思いの丈を述べている。だがこの美辞麗句のあと
に続く言葉は総じて同じ文脈に至る。それは家族の為に働きたい。
カンボジアの為に働きたい。国を良くしたい。言葉は違えどもそこに
はなんびとも立ち入れない慄然とした筋が通っている。読んでいて
どうにも面映ゆい気持ちになる。日本はその思いに答え得るのか。
人は動機があって動く、と信じてきた。だがこの国は違う。動かねば
どうにもならない、と若者が知っている。どんな仕事でも日本へ行け
ば残った家族に金を送り、弟が高校へ行けるとして働く若者がいる。
なんだかんだと理屈を後付けして動いている自分が惨めになるよう
な気がする。人生に限りはある。だが思いに時間はなく際限はない。
この先自分になにが出来るのか、もう一度よく考えてみよう。その上
で今出来ることをやってみる。この国へ来るのは何度目か、いったい
日本を出たのは何回か、それはいつか振り返れば良いと思う。
以上プノンペンにて、雑感である。
三神工房