三神工房

2006年1月11日から約8年、OcnBlogで綴った日記・旅日記・作品発表は、2014年10月gooへ移動しました。

「哀愁のアンコールワット」

2012-08-30 | 日記・エッセイ・コラム

今、会社のHome Page改訂を企画し、今後Net Shop
構築する計画を立てている。
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要はいかにSNSを使ってビジネスを拡大するかの実験
である。

その手始めに、サンプルとして昨年発売してCDの
「哀愁のアンコールワット」
と、3年前に訪ねた際の
現地撮影ビデオをまとめてみた。
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なにか面白いことが始まるのではないか!?

http://www.youtube.com/watch?v=ZqRyGYIqyn4<o:p></o:p>

 

三神工房

 


電子書籍出版サービス”バブー”(booklog)

2012-08-25 | 日記・エッセイ・コラム

「世の中、便利になったものである。」とは、父が晩年良く口にした
言葉ではなかったか。気がつけば自分も還暦を過ぎ、母方の祖父
の寿命を超え、毎日毎日父の年齢に近づいていく。幼い頃から、
親の歳に近づくなど考えもしなかったが、親が死ねば至極当然の
ことなのだと、今更のように思っている。

電子書籍出版サービスなるものを知り、さっそく下記愚作3篇を、
アップロードしてみた。己の判断で一編3000円(最高6000円)
までの販売価格を設定出来るが、愚作は、当然”無料”である。
運営のサービス名はバブーといい、次のアドレスから入れる。

http://p.booklog.jp/

公開作品

1.生きた羊
2.牛とコウモリとあり
3.哀愁のアンコールワット

いずれも神戸新聞文芸に投稿したものである。確か1は昨年佳作
に入ったが、あとは落選ものである。自分では頑張って書いている
のだが世の中そう甘くはない。まあ「継続こそ力なり」と信じている。

しかし、作品をバブーに掲載して、各編とも一日で10件近い閲覧
があった。中にはダウンロードして下さった方も何人かある。ご奇
特な人もいるものだと感心しつつ、実は内心はほくそ笑んでいる。

人間還暦を迎えたといえども、まあこんなものである。私もいつか
黄泉の世界へ行くのだが、どうせまた父にどなられるに違いない。
だが、それもまた楽しみのひとつである。酒でも酌み交わしながら。

三神工房


斑鳩の里大学21

2012-08-21 | 日記・エッセイ・コラム

8月19日(日)午後、松坂での夜の法事の前に奈良へ寄り、昨年
に続いて、連続公開講座第1回「法隆寺と四天王寺」を聴講した。
講師は、奈良大学名誉教授の水野正好氏である。

結果から言えば、14:00~15:30までの予定が16:00まで延び、
私は時間に焦って駐車場へ急いだ。斑鳩から松阪まで急いでも
車で3時間は掛る、と考えていたからである。しかし講義は最後
まで面白かった。120分の講義があっという間であった。

しかし講師曰く、予定していた講演内容の1/3程で終わったと、
残念そうに講義を終えられたのである。時間さえ許されれば、と
悔しい思いをしながら、駐車場へ小走りに向かったのであった。

・・・・・

西暦571年第29代の欽明天皇から始まる。話は、神道で口火が
切られる。米と先祖を最重要視する日本社会に、大陸から仏教
が伝来する。朝鮮半島にあった百済からである。その頃の朝鮮
半島の様子など、今の時期が時期だけに、興味をそそられた。

そして天皇家を中心として物部・中臣氏と蘇我氏の争いが生じ、
時代は推古天皇と聖徳太子の時代へ至る。複雑に入り組んだ、
天皇家の中と豪族の覇権争いが、仏教の導入を巡って大きな
渦となり、やがて相手を滅ぼすまでの戦へと突き進むのである。

正に物部を滅ぼさんとする中で、聖徳太子は仏に縋り、四天王
を呼び、戦に勝てば寺を寄進すると誓う。そして太子は勝利を
得て仏教を国家の礎とする。こうして建立されたのが大阪下町
に残る四天王寺である。(我が檀那寺、津四天王寺は曹洞宗)

政権を握った太子は、遣隋使をして「日出国より日沈む国へ」
と書いて隋の皇帝を怒らせる。だがそこは大国の中国である。
(太子が生きていたら今の外交には呆れるかも)皇帝は答礼と
して官人裴世清官を派遣し、様々な経典をもたらすのである。

話は佳境に入っていく。少し色っぽい話である。太子は蘇我氏
一族の女子を妃にする。しかし本当に惚れたのは、難しい名で
あるが「膳部菩岐々美郎女(カシワデノホキキミノイラツメ)」という人で、
天皇の御膳を司る部族の女子である。歴史の陰に女あり!?

太子はそれまで住んでいた飛鳥の地を引き払い、彼女のいた
斑鳩の里へ移りすむ。これにより仏教の普及のために建立した
飛鳥寺は以後廃れていく。そしてかの地で法隆寺は建立され、
一度炎上したが建て替えられ、現代に至り世界遺産となった。

だが当初の飛鳥寺は588年第32代の崇峻天皇の要請に従い、
百済王が派遣した、僧侶4人・寺工2人・露盤博士(鋳造)1人、
そして瓦博士4人等のテクノクラート達により建立されたのである。
度重なる新羅との戦を支援した日本への、誠の答礼であった。

・・・・・

私は、この辺りまで講師の話をメモリ、資料を見ていた。しかし
これ以降メモはない。講師の話に引き込まれ、時をも忘れた。
時計は15:30を過ぎ、やがて16:00になろうとしたのであった。
これほど講義に集中したことはない。(専門は船舶工学にて)

その後百済は歴史上から消え、聖徳太子の一族も抹殺される
に至る。だが彼らが伝え、目論んだ想いは、今の仏教・建築技
術・絵画を経て日本の歴史と文化を形成している。見事である。
だがその背景に大陸の人々の支援があったのは間違いない。

「血は水よりも濃い」といい、また団地の近所付合いほど難しい
ものはない。だがそのいずれも引越せば済む。しかしこの日本、
沈没せぬ限り、大西洋やインド洋へ引っ越す訳にはいかない。
故に、なんとかして近隣諸国と仲良くするしかないのであろう。

なにはともあれ、次回9月の第2回を楽しみにしている。斑鳩の
里を借景にして、平山郁夫画伯の緞帳が下がる会場で開演を
待つのは、至福の時である。ただ、会場に蔓延する「加齢臭」
さえなければ・・・・・まあ、いつか行く道ではあるのだが。

三神工房
 


「黄金の国・ジパング」

2012-08-15 | 日記・エッセイ・コラム

2012年6月26日、長崎県松浦市の鷹島沖で、全長27m・
竜骨が13.5m以上もある、元寇船が確認された。発見した
のは九州の大学ではなく、なぜか琉球大学の先生である。

陸上を走る大型コンテナが40’(約12m)、そのコンテナが縦2本も
並ぶ大きな船である。恐らく海岸防衛に当たっていた侍には
山のようであったろう。それが数百隻も押し寄せたである。

いわずと知れた、1274年文久の役と、1281年の弘安の役
である。時のモンゴル帝国皇帝、フビライ(チンギス・カンの孫)は、
1271年に国号を大元と改め、1368年までの礎を形成した。

元は建国を皮切りに高麗を征服し、その勢いを駆って博多
の海に押し寄せた。対馬は真っ先に侵され、血に狂った軍
は人々の手に穴を開け船の舷側に吊るし、盾にしたという。

元寇船は、日本でも有数の厳しい海域である、玄界灘の中
で嵐から船を守るため舷側を合わせ連結した。そこへ押し
寄せた台風は艦隊を木っ端みじんに。日本は救われた。

それはともかく、その頃遥か遠くのヴェネツィア共和国の商人
マルコ・ポーロが旅をして、フビライの夏の上都(現在の張家口)
に滞在していた。そこで東洋の様々なことを聞いたのである。

彼の旅は1271年に始まり、国に帰ったのは1295年だという。
18歳の男が42歳を超えて故郷に帰った。そして遠く東の国
で見聞きしたことを4冊の本にまとめ、1300年頃に出版した。

これが「東方見聞録」である。その第3巻に「中国の東方、約
1500マイルに独立した島国があり、莫大な金を産出する」と、
記したのである。これが「黄金の国・ジパング」の登場である。

今でいう「百万長者になる秘訣本」とでも言おうか、欧州人は
夢中になった。その中の一人C.Colomboは、15世紀発刊の
本を読み、その中には366箇所もの書き込みがあったという。

彼は「西に向かえば」と船を出す。大航海時代の幕開けである。
そして辿りついたところがアメリカ大陸の東、とは知らず、その
名も「西インド諸島」となるのである。彼こそがコロンブスである。

コロンブスの第1回目の航海が1493年。そしてその後様々な
探検家が船を出し「黄金」を目指す。そして1555年、イギリスに
「モスクワ会社(東インド会社)設立」となって、組織化されていく。

これと前後して、欧州人がようやく日本の海岸に辿りついた。
1543年ポルトガル人種子島上陸。1549年スペイン人F.ザビエル
が鹿児島に入る。そして、日本の戦国時代を彩るのである。

ここでようやく長崎の登場となる。1636年出島完成。1641年
東インド会社が平戸から出島に。1281年の弘安の役からして
実に350年以上掛って、欧州人は「黄金の国」に入ったのだ。

それから370年以上の歳月が流れた。しかしもう「黄金の国」
はない。すでに斜陽の国となって久しい。だがここはもう一度、
日本こそ、「黄金」の輝きを世界に放つ国、とせねばならない。

・・・・・

とは言っても、人間一人に出来ることは限度がある。しかし、
この国の自然と歴史と文化は、今だ輝きを失ってはいない。
故に出来ることなら長崎の地から新しい「輝き」を放ちたい。

「長崎・チーム・かいと」・・・小さな心の灯を掲げて、いつか
大きな輝きを放つ、新しい文化を発信したい。12月10日、
そんな想いを、香港上海銀行記念ホールから発信する。

世界はまわり人は巡る。その想いは「黄金の国」を目ざす。
いつの世も、人は代われど、思う心は同じ。大切なことは、
想いを必ず伝えて、人から人へ、紡いでいくことが肝要と。

・・・・・

以上、「長崎・チーム・かいと」結成の趣意書とします。

総合プロデューサー
三神工房