三神工房

2006年1月11日から約8年、OcnBlogで綴った日記・旅日記・作品発表は、2014年10月gooへ移動しました。

長崎ランタン祭り

2015-02-23 | 日記
今月も第1週は中国、第3週は東京・長崎と、光陰矢の如し。結果的に、
ホテルの予約の難しい時期に居ながら、ランタン祭りは見ずじまい!
会食のあと、中央橋を渡るに際して、橋とアーケード街の光景に見とれ、
撮った写メ一枚の記憶となってしまいました。こうやって歳を重ねます。

街は大型客船の入港もあり、中国人観光客で溢れていました。タクシー
運転手曰く、家電量販店に殺到する中国人を乗せようとすると、数人の
客でもトランクと座席は買い物で溢れ、前が見えないようになるとか。
それでも、閑古鳥が鳴いている街より活気があり、春節も忙しそうです。

世の中、世知辛いを超えて世知酷なニュースばかりの中、中国人観光客
の客層も、日本政府の規制緩和でもって年収制限が約200万円まで下がり、
いわゆるバックパッカーとも言える、女性の一人ないしは二人旅が増え、
口コミで見つけた都会の安宿もいっぱいだとか。ちょっとほっとします。

大金持ちばかりではなく、青年達が下町を歩き素顔の日本人と接すれば、
どんな立派な外交官100人よりも、きっと相互理解が進捗する筈です。
彼らは予算を決めて、缶で造ったアクセサリーに日本の美を見いだし、
上海よりも安い一杯のラーメンで、中華とは違う日本の味を堪能する筈。

まあしかし日本人の自分が四季を忘れ、はちネズミの如く動き周るのも、
そろそろ賞味期限が過ぎようとしています。廃棄する前、せめて定めら
れた期限の前に、まだやっておくことがある。そんなことを思いながら、
ランタンの灯りの下を、今もワクワクするアーケードへ向かったのです。



三神工房

清晨我覺得在橋上憂鬱旅程

2015-02-10 | 日記
出張の最終日、同行者が気を使って下さり、旅の思い出にと、水郷の町の
旅館を手配してくれた。湖に囲まれた街は、かつて小舟が唯一の交通手段
であり、街にはりめぐらされた水郷は、遠く上海まで通じていたという。

街の名を周荘という。かつて栄えた街の主は沈万三という。13世紀の頃の
人であり、水運により巨万の富を築く。しかし余りの栄華に時の為政者の
不興を買い遠くミャンマーへ。そこで再興しようとして粛清されたという。

現地への到着が午後も遅く、旅館へ荷物を放り込むと、さっそく五つ星の
国家的水郷を探索。歩いて歩いて写真を撮り、乗った小舟で舵を操る女性
の歌を聞きながら、のらりくらりと夕暮れの水郷を水上から堪能した次第。

日が暮れて水郷に面した通りの、まるで三国志の面影を残す小酒店で夕食。
男四人、小ぶりな丸テーブルに載せきれないほどの数々の料理を前にして、
通訳を介してながら気の置けない仲間との、乾杯・随意・乾杯の繰り返し。

そこで座興に詩を一遍・・・

男四人周荘に集いて
ここに契りを交わす
窓の外は寒く
夜は深くなれども
心ここに篤く
先を想いて酒を交わす
また楽しからずや
必ずやまた四人で

・・・・・

朝起きて、旅館の前の橋まで出てみると、小舟を操る女性が屯し、やがて
舟を器用に繰り出すと丸い小橋を潜りぬけ、のらりのらりと水郷へ向かう。
そこに何百年と続く日常がゆったりと・・・旅の最後の日の朝であった。



三神工房

2月1日

2015-02-01 | 日記

今週は、日曜日に所要があるため、珍しく週末も長崎です。朝、空腹で目が
覚め、早めに起きだし、近くのレストランまで朝食を取りに歩きました。
定宿のホテルにて同じ味付けに飽き、これぞグルメとまめに散歩に出ました。

今日の長崎、日の出は07:16とか。外に出たのは少し過ぎていましたが、街は
いまだ夜明け前。上天気の模様に空を見上げると、背中の方の山の上には、
見事にあさあけが広がっていました。



後ろ向きに歩きながら、写めを撮り、振返って前を向くと、出島の洋館から
朝日を受けて光る稲佐山が透けて見えました。



朝日の中、いまだ銅座・思案橋界隈は夜の街が続いていました。店のネオンが
朝焼けの中で色褪せて見えるものの、扉の奥からは酔いに任せた演歌が聞こえる。
なぜか男三人、女一人のグループが数組、それぞれ小さく嬌声を上げながら闊歩。
多くのスナックが入る雑居ビルの入り口では、酔いつぶれた女性を介助する若者。
それぞれが青春といえるのか、覚えのあるいつか来た道を歩いているようです。

ほっとしてレストランへ入ると即座に「朝朝食」を注文。手にした新聞の一面を
読み終える頃、湯気の上がる白みその味噌汁の載ったお盆が運ばれてきました。
小魚の焼き物、卵焼き、大根おろしとのり、そして白ご飯と漬物、しめて580円。
(+消費税47円)は驚くばかり。(こんな時、消費税の大きさが目立ちます)

店を出る頃には、街はもう眩しいばかりの朝日に包まれていました。きっと竜馬
も懐手で背を曲げながら、洋靴に着物姿で石畳を闊歩すながら、同じ朝日の下を
歩いていたのでしょう。混沌とした時代の中で何を考えて歩いていたのでしょう。
 
朝一番に8500キロ向こうから届いた残虐なニュースに想いを馳せ、冥福を祈りつつ、
人は170年の時を経てもなお、更なる混乱を作りだし、いったいどこへ向かおうと
しているのか、疑念を抱きます。命は永遠とは信じつつも、それが本当に人間の
命の連鎖なのか、死を痛みつつ、この先の道を誤ることがないよう祈るばかり。

三神工房