三神工房

2006年1月11日から約8年、OcnBlogで綴った日記・旅日記・作品発表は、2014年10月gooへ移動しました。

ハラボジ

2009-04-29 | 旅行記

ソウルから戻った。今年2回目。ただ20数年前初めて韓国の地を
踏んで以来、数えたことはないが恐らく120数回目の訪韓である。

ソウルの街に立ち、空港へ向かうバスを待つ間、腰の曲がった老婆
が私に道を聞いた。右隣に代理店の部長が立っているにも拘らず、
彼女は顔を上げて私に聞いた。「???」まるで人を恫喝する如く、
道を聞く迫力に押され「ミハナミダ ハングルマル モラヨー」と返した。

一瞬、彼女の眼が皺の中に消え、まるで洞窟の奥から威嚇する狼の
如く、改めてジロリと睨んだ。と、「◎X▽◇〇*」と機関砲のように
口角泡を吹きながら怒り始めた。言葉は分からずとも意味は分かる。
「助けて!」と隣の部長に泣きついた。と彼曰く「これは貴方が悪い。
その顔で韓国語を喋り、しかも韓国語を分からないといえば、だれで
もからかっているのかと怒りますよ!」と、まるで冷たい反応。

まあそういわず、今度一杯おごるから!と小声で頼み、ようやく彼は
老婆に説明をした。老婆の目が再び皺の奥に消えた。伸ばした背を
ゆっくり曲げながら、口をもぐもぐ言わせながら、やっと去っていった。

あれから二十何年、今月彼は長男に第一子を得た。初孫・男の子。
久しぶりにソウルの路地裏で一杯飲んだ。酔った。二次会へ行き、
「爆弾」をやった。気がついたらホテルのベッドで寝ていた。しかし、
快い一時は二日酔いの辛さを凌ぎ、今も心に爽快さが残っている。

私の二人の祖父も、同じように喜んでくれたのか。共に盃を交わす
友がいたのか、今となっては知る由もない。だが、自らの携帯電話
の待ち受け画面に孫の写真を載せ、満面の笑顔に包まれた、古き
良き友人の笑顔を見て思う。たとえ国は違えども、きっと私の誕生
まで営々と繋がる血脈も、皆の笑顔で送り継がれてきたのだと。

願わくば、両国で二度と血を血で洗うことがないよう、祈るばかり。

三神工房


小さな幸せ

2009-04-19 | 日記・エッセイ・コラム

四月も二十日を迎えようとしている。眩いばかりの桜花も散り、
桜の老木までも、すこし喧しいような若葉に包まれている。

この身はあとなんど季節を巡るのか、いつも春になると考える。
決して人生に倦んでいる訳ではない。嘆いている訳でもない。
時間が欲しい。遊ぶ時間ではなく、人生を無駄にしないと確信
を持って生きる時間が欲しい。それほどに、この心は怠惰に流
れ易く、また時は容赦なく流れていく。まるで人に倦んだように。

時を決めて、なんらかの交通手段を使い、人を尋ね、話をする。
その間ものを読み、外を見て、季節を感じる。小説に疲れると、
毎週表紙を変えて人間を伝える誌を読む。まあなんと人の生は
忙しいものか。一世を風靡した老若男女の悲喜こもごもを伝え、
これでもかこれでもかと殺伐とした事件を暴く。途中ふと茶菓でも
供する如く人の運を知らしめる。まるですべてを知ったかの如く。

辰年、B型、双子座の、どれであったか、決して吉ではないその
週の運勢も、”焼き豆腐”を食べれば、きっと好転するとあった。
「!」と認識した訳ではない。すっかり忘れていた。それが、夕暮
れ一杯飲みに立ち寄った店で、(ああ今日も終わった)と、一服し
た時、(ああそんな記事があったなあ)と、はたと思い返していた。

(そう都合よく食べれる、焼き豆腐など…)と、思い巡らすその目
の前に、冷えた生に添えられ出された突き出し。その椀の中に、
あろうことか、件のものが一切れ肩身を怒らすように入っていた。

その時の自分の横顔を見る人がいれば、恐らく訝ったであろう。
まるで竹の中にかぐや姫でも見つけたかの如く、目が光り輝き、
年甲斐もなく頬を染め、小椀に両手を添えていたかも知れない。

幸せとは、どこからかやってくるものではないのであろう。決して
その大きさで決まるものではないに違いない。その日私は快活に
酔い、もうベテランに近いママに、その小さな幸せを語っていた。
まるで、自分ほどこの世で幸せなものはいないとばかりに。

三神工房


神戸 垂水 海神社 桜

2009-04-08 | 日記・エッセイ・コラム

お昼を取りに、海神社の前を通って、行きつけの食堂へ。行きに
桜を愛でながら、帰り思わず携帯に撮っていた。上天気、暖かく、
春、浜風を頬に感じながら見上げる桜、最高の季節である。

神社は国道2号線に面している。通る車はひっきりなし。事務所の
入口、放っておけばひと月に何ミリかのスラッジが貯まる。いつか
東京都知事が手に翳して大口を叩いていた、排ガスの廃棄物で
あろう、室内の壁まで薄汚れてしまう。沖に台風でもくれば大風に
直面し、寒くなればなったで六甲降ろしとまではいかないまでも、
厳しい北風を受ける。それもこれも今日のこの花を咲かせるため。

花を見て思う。木よりもなお短い時を過ごすものの一員として、せ
めて生きている間に花を咲かせてみたいものだと。

三神工房

200904081