ソウルから戻った。今年2回目。ただ20数年前初めて韓国の地を
踏んで以来、数えたことはないが恐らく120数回目の訪韓である。
ソウルの街に立ち、空港へ向かうバスを待つ間、腰の曲がった老婆
が私に道を聞いた。右隣に代理店の部長が立っているにも拘らず、
彼女は顔を上げて私に聞いた。「???」まるで人を恫喝する如く、
道を聞く迫力に押され「ミハナミダ ハングルマル モラヨー」と返した。
一瞬、彼女の眼が皺の中に消え、まるで洞窟の奥から威嚇する狼の
如く、改めてジロリと睨んだ。と、「◎X▽◇〇*」と機関砲のように
口角泡を吹きながら怒り始めた。言葉は分からずとも意味は分かる。
「助けて!」と隣の部長に泣きついた。と彼曰く「これは貴方が悪い。
その顔で韓国語を喋り、しかも韓国語を分からないといえば、だれで
もからかっているのかと怒りますよ!」と、まるで冷たい反応。
まあそういわず、今度一杯おごるから!と小声で頼み、ようやく彼は
老婆に説明をした。老婆の目が再び皺の奥に消えた。伸ばした背を
ゆっくり曲げながら、口をもぐもぐ言わせながら、やっと去っていった。
あれから二十何年、今月彼は長男に第一子を得た。初孫・男の子。
久しぶりにソウルの路地裏で一杯飲んだ。酔った。二次会へ行き、
「爆弾」をやった。気がついたらホテルのベッドで寝ていた。しかし、
快い一時は二日酔いの辛さを凌ぎ、今も心に爽快さが残っている。
私の二人の祖父も、同じように喜んでくれたのか。共に盃を交わす
友がいたのか、今となっては知る由もない。だが、自らの携帯電話
の待ち受け画面に孫の写真を載せ、満面の笑顔に包まれた、古き
良き友人の笑顔を見て思う。たとえ国は違えども、きっと私の誕生
まで営々と繋がる血脈も、皆の笑顔で送り継がれてきたのだと。
願わくば、両国で二度と血を血で洗うことがないよう、祈るばかり。
三神工房