銀の人魚の海

日々の思いを好きに書いています。映画、海外ドラマ、音楽、本。
スヌーピー、ペコ、NICI、雑貨グッズ画像。

アマゾン先住民 イゾラド、生きているの?

2018-01-24 | ドキュメンタリー NNN、Nスぺ、ガイア、BS世界のドキュメンタリー~など
このブログは二ヶ月に一回くらいか、アクセス解析、分析がある。
有料でいつでも利用できるようだが…
いつもはアクセスページ、十位までが、ざっと見られる。

今日は、また、一昨年八月のNHKスペシャル、
アマゾン先住民、イゾラドへのアクセスが三くらいあった。

衝撃的な映像だった。
今、彼らは生きているのか?

命がけくらいで、撮影したカメラマン、今でもしっかり残る。
BDに保存した。
日本ではいろいろな自然災害が多発、
イゾラドは、確実にそれを超えて生きている…まだ生きている?か。

サスペリア リメイク

2018-01-24 | 外国~ 映画 TV DVD 芸能人など
久しぶりにスクリーンを買い少し読んだが、
この数年、映画ほとんどみていない〜レンタルDVDのみ〜
最近の若い俳優をみてもわからない!
若くなくても、か。

好きな、イタリアンホラー、サスペリアのリメイクができた。
今年、米公開。

クロエGモレッツ、彼女は知ってるよ。
三時間、長い。

監督、ルカグァダニーノは知らない。
サスペリア、イタリアンホラーリメイクで三時間…
長さを活かせるか。
音楽はオリジナル、ゴブリンに勝てるか〜
米のホラーになっていても面白ければいい。^ ^

雪 タクシー 火炎放射器

2018-01-24 | 日々の雑感
雪の日のこと再び。
家族が今日タクシーに乗ったら、運転手さんが、
雪の月曜日、渋谷から三茶まで100分かかったと、
普通は10分で行けるのに。(~_~;)
十倍の日だった。

大雪、S63年、長岡の豪雪時は火炎放射器で雪を溶かしたという。
長岡市は新潟市と違いかなり降る市。昔、車で走った地域なのでわかる。
火炎放射器で溶けるの?
火炎放射器、映画、華氏451を想った。

代理母 そのお値段

2018-01-24 | 日々の雑感
知らない芸能人、アナウンサー、女優さん?が代理母で子供を授かったというニュース。
41で結婚時に子供が欲しいと言ったそう。

昔なら考えられないが、医学の進歩、特に妊娠は進んだ。

私は三十代で生んだが、その前、三十歳頃、
ある感じの悪い産科医は、産むのは遅い、難産になるかもと言われた。!(◎_◎;)

今は、その十歳上でも可能になった。

芸能人夫婦は、ロシアの代理母。600万!高い。

これ、サラリーマンだと簡単には払えない額よね。

お金出せば、子供が授かるって。

ここへも富裕な中国人が、米へ代理母を求めて殺到していることを書いた。
米だと二千万!

血が繋がった子供がどうしても欲しいらしい。
お金がからむ代理母、妊娠の世界になってきている。

養子という選択はなかったのか。
それぞれに、身体など事情があるのはわかるが。。

一体、いくつまで子供が持てるようになるのか。

人類の欲望が進みすぎている気がする。

雪 噴火 地震 低温

2018-01-24 | 日々の雑感
八時頃、FMをつけてていたら、地震速報!
FMで始めて聞いた。
あの音。
雪、噴火、地震か…
クラシックがとまり五分くらい地震情報になった。
震度四で、ラジオだと緊急地震速報が出るのか。

低温注意報。33年ぶり。
寒さもハンパじゃない。

明日朝、東京でマイナス四度は48年ぶりくらいのよう。
測定場所は今は北の丸公園で低めに出ているが。
東京は気温が低くても陽射しがあり、長くなっているから、まだいい。

特攻隊振武寮 大貫健一郎

2018-01-24 | 本、雑誌
特攻隊振武寮、証言帰還兵は地獄を見た 講談社09年

NHK渡辺ディレクターとの共著。

全く関係のないイスラム、自爆テロのことから書いてみたい。

彼らのテロは犯罪で許されないものだが

宗教が根底にあるので、犯罪だが精神的には純粋な心で行うと思う。

アラーの神の教えに従う、そうすれば救われると思っている。

ジハードでモハメッドの所に行くという、おかしい幻想だが~。

戦争中、日本は昭和天皇教だった。

だが、心から信じてた人はいるのか。


大貫氏、小倉生まれ。父が台湾総督府勤務、台湾で育つ。

帰国し中国語を学ぶため拓殖大へ。

繰り上げ卒業する。

当時は医師も足りず、四年で免許取得医師もいたと思う。

赤紙が届き小倉の連帯にはいる。

厳しい訓練。二十キロを持ち五十キロを歩行にはうんざりした。

一年で将校になれる制度ができると知り、特攻へだと知らずに入った。

特別操縦見習士官制度、通称、特操だった。

13000人もの応募、厳しい試験、視力など2500合格。

実際はその後も募集し6500名いた。

戦況悪化で飛行訓練を受けたのは、四千名位のみだった。

人間魚雷、小型特攻、人間爆弾など

特攻機の製造が急ピッチで進んだ。

短期間で飛行を学ぶので訓練は厳しく、軍は学徒兵にはつらくあたった。

学生は使えないと怒鳴られた。

入隊から一ヶ月で六名が殉死。

訓練での殉死だった。

操縦が難しいなどで、墜落してのこと。

死者が多くでて、死にたいして鈍感になっていった。

19年、秋に発令で少尉に任官。

上官の言葉は特殊任務に志願を期待するだった。

~絶対に生還はできない任務へ行け。

紙に、熱望する、希望する、希望せず、とあり

丸をつけ提出をと言われた。

皆で話すと人間爆弾の事だと。

希望せず、とつけても、いかされると思うなど、

いろいろ考え、学徒だからでバカにされたくないと、

全員、熱望するに丸をし提出したが

レイテの海で死んだ友も出て怖くなった。

いつ特攻へ出るのか待つ日々に。

今も、死刑宣告人に呼ばれる夢をみる。

死刑囚の気持ちに近かったと思う。

大貫氏の隊は「黒マフラー隊」と言った。

おしゃれからでなく、事故で火災時、油漏れで顔を覆うもの、

包帯変わりにもなるからつけていた。

東京からが多かったが、いろいろな大学からきていた。

特攻は死ぬのだから勇ましく行く、英雄気取りもいたが、

成功はしない、懐疑的なもの、諦観に支配されているものもいた。

世間で言われたように、国のために勇ましくは死んでない。

誰かの特攻の前夜には、サントリーの角など食料も多く

芸妓も来て最後の夜をワイワイ過ごした。

二十年四月、準備のため知覧に到着、米軍が沖縄に上陸を開始した頃。

機の不具合などで、もし島に不時着したら、まずエンジンに撃ち込み飛行機を燃やす、

自分に発射自決するための

二発玉が入った銃を渡され持った。

必ず自決すること。

お前たちは神だ。国のために任務を遂行してくれ。

軍司令官は興奮していた。

最後の時間を過ごした兵舎は、杉林に覆われ暗く、

半地下の部屋に裸電球がl一つ。

戦後、笑みを浮かべる特攻の写真を見たが、誰も笑顔などなかった。

雨だと水浸しになり最悪だった。

参謀から遺書を書け、と見本を渡された。天皇陛下万歳!など。

皆、見本なんて!と憤慨した。

出撃前はビフテキもある贅沢な食事がでた。

月給の残りが300円 。

持っていても仕方がないので登番兵に渡した。

今の価値で五十万くらいだったそう。

仲間が順に飛び立っていった。

享年22。一人、黒焦げになる死を見る。

敵はどこにいるかわからない時は?と聞くと、

雲の割れ目からみろ、と。

撃つ船がなかったら、どうするのか?

ないはずはない。司令官は言い切る。

疑念がわいた。

状況も全くわからず、船に突撃は無茶すぎる。

無謀な作戦でも逃げ出すことはできず、軍神に祭り上げられた。

飛行を拒否したら家族が辛い目に~軍神はそういう意味だった。

前日はエンジンが不調だったが、なぜ、朝はかかかった。

いよいよ出撃。

まだ出ない仲間がツツジの花を持ち、ボロボロ涙を見せた。

定刻、知覧を出て、なんの情報もないまま喜界島をめざした。

二時間で到着。

そこから沖縄へ向かう。

訓練時代からの親友と一緒に、飛び続けたがグラマン戦闘機がおって来た。

戦後になり知ったが、米軍は当時沖縄へ向かう特攻機の動きを事前にキャッチできた。

攻撃からかろうじてのがれ、陸地が見えた。

親友は空の中で、一人、21歳の人生を終えた。

徳之島の穴だらけの滑走路に私はなんとか不時着した。

S少尉も消え、飛行可能な隼は一機もなくなった。

黒マフラーは終わりをつげた。

前に渡された拳銃を眺め、ここで自決するか~などの話もでた。

上官もいないので命令はない、陸軍に居候することになった。

命令違反かもしれなかったが歓待してくれたので、ほっとした。


特操42名、喜界島では困窮生活で、まず食料が足りなかった

小麦粉のかすを団子、毎日同じように食べ、三食とも野草の味噌汁。

サトウキビ小屋に寝泊まり、蒸し暑く、若い男はいない集落の人とは言葉が通じない。

~これは驚いた。沖縄の離島は言葉がそれほど違っていた。

沖縄、当時はそうだったんだ。

毒草を知らず食べ下痢が続き皆、やせた。

救援隊は来るのか?いったいどうなるのか?

青酸カリで死にたいという者もいた。

二週間経ち区長が来て相談がという。

ここには若い男は出兵でいない。

このままでは子ができず、無人島になる。

村の娘と結婚してくれないか?

そうすれば食料はあげます。

唖然とした。断ったが区長はさらに、

結婚しなくても一夜を共にするだけでもいい、という。

五十人も後家さんがいて、こっそり関係を持ったものもいたが、

それを書くことはしないとある。

~地図でしらべたら、喜界島は奄美大島の東にある小さな島、

四方は十キロあるか、ないか、小さい。

今は空港もあり人もいるから、無人島にはならなかったのね。

食料もなく、一ヶ月で生活は限界に来た。

内地へ戻れば、また特攻ができると思った。

ある日、救援機が来るというので山道を三時間あるいた。

一機だけきてた。42名いる。

定員は15くらい。

くじ引きとなる。

大貫ははずれた。

当たった隊員は乗り飛んでいったが、見ていると、

すぐ米の攻撃を受け発火、大爆発。全身死亡。

くじにはずれた者、飛んで死んだ隊員たち。

もう本土には戻れない、絶望的になった。

一週間後、五月末、ニ機の救援機が来て全員、乗り、

超低空で飛び、28名は無事、福岡に奇跡的に到着した。

着陸したが水も飲めず、いきなり軍用トラックに乗せられ

一時間待たされた。司令部へ到着。

ふらふらで整列したが、座り込んでまった。

少佐が、貴様らは人間のクズだ。なんでかえってきたんだ!

怒鳴り続ける罵倒は30分続いた。

帰還の理由は、悪天候、機の不具合、調子などいろいろあるが、

一切聞いてはもらえない。

その後、五十日ぶりに風呂へはいれた。

そして、翌日、決して忘れることはできない場所、

思い出したくもない、振武寮へ連行された。

生き地獄の生活が始まった。


しんぶ寮生活は、先に入っているものとは話すな、

逃げて帰還は修養が足りない、勅諭を毎日言わされ、

毎晩書いて提出が日課になった。

部屋の外へは食事と用便のみ、食事も麦飯貧しいもの、

朝食には参謀が来て、酒臭い息で、軍人のクズがよく飯がくえるな、

そんなに死ぬのが嫌か!卑怯者、人間のクズだ、と毎朝いう。

再出撃できると思っていたが、気配はない。

名簿を見る機会があり、そこには帰還したにもかかわらず、

飛び立った日で戦死広報が作成、軍籍から抹消されていた。

飛んだ瞬間、戦死だった!

戸籍上、名誉の戦死をとげていた。

飛行機を頂きたいと参謀に言うと、

竹刀で滅多打ちにされ、意識が消え二晩寝込んだ。

渡す飛行機はない、と。

なぜここにいるのか?

精神修養だ、卑怯者だから。

飛行機は圧倒的に不足していた。

六月、突如、集合がかけられ、

お前たちは沖縄戦には使わない、本土特攻として死んでもらう、

隊にもどれということだった。

士気に関わるので、生還したこと、この寮のことはいっさい他言を禁ず、


この寮は終戦まで存続した。

16日間だが、とても長く感じられた日々だった。

軍参謀は、特攻、国のために死ぬ英霊というイメージで、

美談を新聞などに書かせていた。

生還は言ってはいけなかった。

なぜ死んでこなかった、国賊だとせめられた。

特操縦士に比べ、少年飛行兵は扱いやすいと参謀は言った。

12才から入り、子供なので洗脳しやすい。

何も知らないのでちょうどいい、深く死をえないから。と。



八月15日、暑い日、天皇の言葉があるという、

本土決戦のことかと?正午、外で玉音放送を聞いたが、

雑音、蝉の声もうるさく全くわからない。

大佐がきていたので、大事なことだ~、

やっと終戦だとしる。

待機するようにといわれた。

戦死者は浮かばれないという思いもあった。

緊張からとかれると、精神状態がおかしくなる。

酒を持ち飲んでいるもの、なくもの、わめくもの、大騒動だった。

翌朝、六名が自決などで死んだ。

特攻隊員は戦犯として逮捕されるのか?不安な日々をすごす。

8月末、しょうこうが来て復員を告げ、お給料などを渡された。

全く行くあてもないので、弟がいる東京へ出た。

でも仕事はない、新橋あたりで、ポン引きまがいをしていたが、

思いだしある将校を尋ねることにした。

そこで、ある男を紹介された。

松田組、闇市を取り仕切っている人のもとで、忙しいく、なんでもやった。

ヤクザと呼ばれる人の中、当時は今のようなやくざではなく、男気を出す集団だった。

特攻の中尉さんと呼ばれたりした。

21年春、台湾から母が帰ることがわかり、準備し、山口へ帰ることにした。

宇部へ帰り母と六年ぶりに再会、

母は特攻の事は言うなと、云った。

運良く宇部興産に就職したが、母は一ヶ月もしないうちに

ガン、53歳で亡くなった。

東京に戻ろう、また松田組へと。

だが松田組長が暗殺され、そのまま宇部興産で必死に働いた。

学歴、大卒であることをかくしていて、小卒で募集の仕事のため

その理由で解雇になった。

母の叔父を頼り、東京へ出た。

お見合いの話があった。

こせきはなく、死者、抹消されている。

結婚には部隊長の照明が必要と言われ、会うために切符を手に入れ、

青森までようやく行き、証明書を書いてもらい戸籍復活、結婚できた。

そのご、トヨタに勤務。

長男と長女、ミュージッシャンとなる大貫妙子も生まれた。

S36年独立し仕事は順調だった。

戦死した仲間のことを思うようになったのは、四十年代、

生活も安定し、ゆとりもでた。

秋に、元特別操縦士官、五十名が初めてあつまった。

ちょうど22年前に学校へ入った日だった。

熱心なものが、慰霊をしようと言い出した。

名簿を作ることになったが、お役所にプライバシーがあるなど言われ進まない。

一期生は2500人いたが、はかどらない。

半年で、やっと382名の名簿完成。

その後、皆仕事を終えてから集まり、協力し名簿はだんだん増えた。

住所判明者は580名、一期生名簿は六回改訂版をだせた。

戦没者の慰霊をしようと募金をしたら1500万円集まった。

名簿などの事で厚生省に通っていた。

陸軍上層部には恩給が復活していることを知った。

なぜ、作戦に失敗した人たちが軍人恩給をもらい、

のうのうと暮らしているのか疑問に思った。

下は期間も短く死んでいるので、もらえない。

元特操縦士仲間はこの制度には憤慨している。

特攻を美化し礼賛し

志願したとなっているが本当は命令だった。

戦死した仲間の墓参りもして行った。

何人かの親、兄弟にあった。最後を知らなかった方には事実を話した。

遺族にあなたは死ななくてよかったですね、と言われるのが辛かった。

生還した仲間、Mは自衛隊に入りパイロットになり58で亡くなる。

Tは国鉄で定年まで、69出なくなる。

日系のI。はじめは語学力があるので進駐軍で仕事をした。

職をてんてんとし母に会いに、米へ行った。

特攻だったことを心配する母がいたので、大使館に市民権復帰を求めるため

特攻を言った。

何の問題もなく市民けんを得られ、59でカリフォルニアへ移住。

米ではカミカゼの話はせず、亡くなる。

Sは歯科医になり仲間の供養をしている。

86才、元気。もう私と二人だけになった。

私は弟と自営業をしていたが、S61年に引退した。

しんぶ寮で罵声、殴った参謀は86でガンで死去。

慰霊祭で彼に会った時、

私たちに悪かったと詫び、小さくなっていたので、もう怒る気もなくなっていた。


~~喜界島のこと。

奄美大島の東、小さい島。

村の上の方が心配したが、無人島になっていない(^_^)

しゅういは10キロないほど。

大貫妙子とNHKのディレクター渡辺孝とのインタビューが

ラスト三ページ載っている。

歌に父の特攻、戦争の影響はいっさい入っていないと云う。

共著である渡辺氏、NHKディレクター、66年生まれ。

戦争関連のドキュメントで幾つか賞を受賞している。


●ウィキペディアより。

終戦後、倉澤~大貫らを罵倒し、殴った寮の上官軍人~は

一橋大学を卒業し印刷会社の社長にまで栄達したが、

1945年の終戦から1996年までの51年間もの間、

生き残りの特攻隊員や遺族の報復を恐れて、

軍刀や拳銃を隠し持っていた。

「多くの隊員を出撃させたので、恨みに思われるのは仕方ないし、

遺族からも反感を買っているので、いつ報復されるかわからないと、

夜も安心して寝ることができなかった。

80歳までは自己防衛のために、ピストルに実弾を込めて持ち歩き、

家では軍刀を手離さなかったんです」と告白している

●ついでに、ドラマ、NCIS、ジェットパック、のエピソードから。

「空を飛ぶ夢」

この中に、軍のパイロットのストレスは、相当なものというセリフがあった。

人が飛ぶというストレス。鳥ではないことへの思い。重さ。



06年10月21日NHK、ETV特集、

07年10月21日、NHKスペシャルで、この特攻の事の特集を放映した。

ネットでは、この寮についての記事はいくつかあるが、

この本は、そこで16日間過ごし、まだお元気な大貫氏の素晴らしいきおくから

生まれたと思った。

突撃して死ぬ、というおかしな作戦は誰が初めに言い出したのか?

何人かの幹部たちが、不利な戦況の中で考えたことなのだろう。

自分は死を選ばず・・

共著なので、間の章に渡辺氏が歴史、資料などを詳しく書いている。

戦争の一つの姿を、たんたんととらえた本だった。