海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「バーレーン王国にとってのストレステスト」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年11月08日 | 福祉と経済
バーレーンをペルシャ湾岸の原油産出国のなかで特別の國にしている多くのファクターがある。早い時期に油田が発見された。1932年に、40キロメーター×20キロメーターの面積の島は、最初の原油輸出国となった。石油の生み出すドルは、200年前から支配している王家を金持ちにした。それまで、商業と真珠採取で生計を立てていた国家は、教育に投資した。隣国にバーレーンのノウハウを輸出するために、教師や専門的労働者は、数十年間、祖国を後にした。
けれども、1970年代に原油価格が上昇すると、バーレーンの支配者も金の誘惑の犠牲となった。「石油は恩恵であると同時に、呪いだった」とバーレーンの首長であるモハメッド・ビン・エッサ・カリファは言う。石油で稼いだドルで福祉国家は賄われた。
金はバーレーンが一度も成し遂げたことのない快適さへと導いた。その隣人と比べると、それは殆ど無一文だった。隣にあるサウディ・アラビアは、日量1千万トンの石油をくみ上げていたが、バーレーンでは、日量僅か、3万トンに過ぎなかった。25年間で埋蔵量の大部分が汲みだされた。
上層階級は、数十年間、豊かさを享受したが、国民は最低限の生活をしていた。1990年代後半まで、この状態に対する抗議は、小さく押さえられた。次に新しい国王が即位した。彼と共に、用心深い改革が行われたが、十分ではなかった。今日でも、規則的に、スンニー派支配層に対するシーア派住民の反抗が起こっている。
貧しいシーア派と金持ちのスンニー派。人口70万人のバーレーン社会には、憤激がプログラムされている。サルマン・ビン・ハマス・アル・カリフ王子は、それゆえ、1年前に、「2030年構想」を公表した。「バーレーンの経済的発展のための協会」によってそれを実行に移すことが意図されているこの計画は野心的だ。石油の富から世界的に競争能力のある業績社会へ」、「地域のパイオニアからグローバルな競争者へ」が、モットーである。私的経済が駆動力となるはずである。2030年には、この島国の家計の収入を二倍にするという目標に到達するはずである。
他の湾岸諸国のように、バーレーンは、高価な原油価格を利用して、仕事を創出し国民を国家のお布施に対する依存から解き放とうとしている。公式の失業率は、目下、3.8%であるが、専門家は、本当の数字はもっと大ききいと考えている。五カ年計画は、土着の住民の18万5千人に職を与え、外国人労働者をドラスチックに減らすはずである。大学卒業資格をもった3万5千人の土着の人たちを養成して、これまで外国人が占めていた職を彼らに与えようとしている。私的企業の中に仕事を見つけるために、更に15万人の高校卒業資格を持った土着の人たちを養成する予定だ。
特に金融産業は、バーレーンでは、将来有望であると考えられている。すでに現在、この島国は、この分野に属する400以上のサービス企業がここに拠点を置いている。銀行は、国民総生産の4分の1を占めている。
バーレーンが金融危機を上手く通り抜けたのは、イスラム的バンキングのせいである。つまり、イスラム法に基づく金融ビジネスのせいである。(後略)
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