日本で日本語教師

東海地方で、日本語を教えている。

2月26日 来月より韓国へ

2011年02月26日 20時26分01秒 | 日本
今月末で、今の職場を退職する。

中国から帰ってきたのは2009年8月だった。
帰国した次の日に面接を受け、
その場で「事務所の契約スタッフで」という話をきいた。
(本当は時給の現場講師で応募していた)

中国でビンボウ暮らしをしていた私に、
日本での契約スタッフの条件や待遇はまぶしいぐらいで、
いまいち仕事内容にぴんとはこない部分もあったけど、
面白そうではあった。

韓国へ行きたいという気持ちもあり、少し迷ったが、
その場で「お世話になります」と伝えた。

それから1年7ヶ月。
波もあったけれど、大体ずっと忙しかった。
一年目は、シフトに穴があいた場合の代講をしたり、
現場講師の授業見学に行って話を聞いたり、
現場で使われる共通ハンドアウトを作ったり、
新しい10日間の会話コースを考えたり、
日系人むけの基金訓練の研修内容を考えたり、
常に新しいことの連続だった。

二年目は、会場を持ってもう一人の担当と
研修を最初から最後まで実施・運営する仕事だった。
正直言って、二年目の方がきつかったと思う。
研修が始まる最初の2ヶ月は、
現場講師に配布される授業マニュアルも作ったのだが、
今思い返してもこれが一番大変だった。
少人数だったし、何回チェックしてもミスがでてきたし、
もっと上手いやり方があったのだろうが、
それを考える余裕すらなかった。

ただ、本当に最初から最後まで見ることができて、
とてもよい経験ができたと思う。
人に仕事を依頼するということや、
人に授業をしてもらということの難しさと面白さ、
多数の人を対象とした事業をするときに気をつけるべきこと、
事業実施・運営を支える事務や庶務仕事の重要さ、
そういうことを目の当たりにした。

また日本に住んでいる外国籍住民を取り巻く環境や状況について、
身近に感じるようになった。
日系ブラジル人、ペルー人と一緒に働いたことも大きい。

職場は人間関係が非常に良く、とても働きやすかった。
あそこで働いている人達とわかれるのは、本当にさびしい。
そういう職場で働けたことは、幸運だったと思う。


これからは、韓国で働く。
4年前に働いていたことがあるとはいえ、
全然違う環境で働くと思ったほうがいいだろう。
前の経験にすがることはしないように、
まずは新しい学校の環境に無心に飛び込もう。

不安なことはたくさんあるけれど、
目の前の学生のために自分ができる精一杯のことをしよう。
そこは手抜きをしないように。

そして、この1年7ヶ月は仕事以外のことについて
楽しむことを少しないがしろにしてしまったので、
仕事以外のことを豊かに楽しめるようになれたら最高だな。

いってきます。