イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

紀ノ川河口釣行

2022年07月17日 | 2022釣り
場所:紀ノ川河口
条件:中潮 8:15満潮
釣果:キス 57匹 メゴチ1匹 キビレ1匹

7月半ばを過ぎ、気が付けば今年はキス釣りに一度も行っていない。例年は6月後半ぐらいからスタートしているがアマダイを釣りにばかり行っていたのでこんなことになってしまった。

梅雨は明けているというが、今週は雨の季節に逆戻りしたような天気だ。今日は雨の合間の晴れで、かつ、前日、六十谷の鉄橋から川面を見てみると濁りは見えない。
この後も雨が続くようなのでイチかバチかでキス釣りに出かけてみようと思い立った。

BSテレ東で、「ちょい釣りダンディ」というドラマを放送している。魚釣りに詳しい人種から見ると魚を釣っているシーンというのはまことにリアリティがないのだけれども、30分という短い放送時間というのでつい見てしまう。
昨夜、2話目の放送を録画で観ていたのだが、偶然ながらキスについてだった。
ドラマのテーマとなっているのは「鱚断ち」という習慣だった。キスという魚は、古くから神様にお供えする神聖な魚とされてきたらしく、何か願掛けをするときには「鱚断ち」というのをしたのだそうだ。ちなみにキスの語源は、「潔し(きよし)」という言葉からという説があると紹介されていた。
全国的な習慣でもないのだろうが、なかなか興味深いエピソードだ。しかし、キスというのはスーパーでもあまり見かけない魚になってしまっているし、意外と値段も高いのでわざわざ買ってまで食べようと思う一般庶民はほとんどいないと考えられるから、現代日本のほとんどの人は自動的に通年「鱚断ち」をしている状態になっているのだと思う。しかし、願い事が叶うどころか、ますます生活は苦しくなるばかりということは、「鱚断ち」も大した効果はないようだ。
せめて今日、僕も鱚断ちしてしまわないよう、3人分のおかずになる分だけは釣りたいと思い港に向かった。

朝、バイクを出すために外に出ると、道が濡れている。おまけに、バイクの横に置いている燻製箱の上も濡れている。僕の家の勝手口周りは建付けが悪く、大雨が降るとトタン板のすき間から雨が漏れてくる。と、いうことは昨夜、僕が寝たあと相当な雨が降ったことになる。雨降りに弱いキスにとっては致命傷だ。しかも、今日向かうポイントは水深3メートルほどしかないところなので特に雨には弱いはずだ。
これはまずいと思い、念のためアマダイの仕掛けも用意して港に向かった。
明るくなるまでは水軒一文字の沖でメタルジグを投げてみて明るくなってから海の様子を確認して紀ノ川に向かうかそのまま沖に向かうか判断をしようと思っている。

港に到着して見ると、薄暗い街灯の灯りだけでも水が濁っているのがわかる。



あらまあ、これじゃあ紀ノ川もダメかもしれないと半分落胆。鱚断ちが信ぴょう性を帯びてきた。

とりあえず港を出てみると、濁っているのは川の部分だけで港内の途中からは濁りは確認できなかった。これはありがたいと水軒一文字の切れ目に向かう。
ここまで来るとまったくと言っていいほど濁りはない。ルアーロッドを準備してキャストを開始。ボイルもなく、アタリもないので明るくなるのを待って紀ノ川へ。
こっちも濁りはない。これはありがたい。100円橋を越えたところに碇を降ろし釣りを開始。



最初にアタリがあったのはキビレだった。こういうのが釣れるとキスは釣れない。次もチャリコだ。これも悪い兆候だ。ああ、やっぱり目に見えない濁りと真水が影響しているのかとますます鱚断ちが確実になってきた。
しかし、ここで諦めるわけにはいかない。仕掛けを投げる方向を変えてみたりしているとやっとアタリがあった。
どうも河原寄りではなく流心寄りがいいようだ。
釣り座の向きを変え、竿を2本とも流心へ向けると少しずつだがアタリが増えてきた。もう少し流心に近づこうと船の位置を変えるともっとアタリが出るようになった。鉤に乗るかどうかは別にして、仕掛けを投げるたびに必ずアタリがある。

エサが底を尽くまでアタリは出続け、午前9時前に終了。結果はキスが57匹。久々に50匹を超える釣果となった。

ここは川の中なので水は上流から下流へ流れるのは当たり前だ。舳先から碇のロープを出すと船は常に上流を向いている。今日の潮時からすると、ちょうど満潮時刻を迎えた頃、船の向きが変わり、水の流れているはずの方向と直角の状態になった。下流の方から海水が上ってきたのか、西からの風が吹いてきたからなのかはわからないが、その時突然、釣れてくるキスのサイズが明らかに大きくなった。15センチはありそうなものもあった。ほんの数分で終わってしまったが・・。
ここにはもとから大きいサイズのキスはいないと思っていたのだが、そうでもなさそうだ。風といっても、流れに逆らって船の向きを変えるほどの強さの風でもなかったのでやはり水の流れ方も変わったと見る方がよさそうだ。大きなサイズの魚は水の流れが強い時は動くと流されてしまうからエサを探さずに川底でじっとしていて流れが緩くなったときだけエサを探すのだろうか。でも、そんなことをしていたらエサを食べられる機会が少なくて魚自体は成長できないから大きな魚はいないのではないかというジレンマが発生しそうだ。
これは不思議な現象だ。もう少しこの場所での経験を積んでこの現象の解明をしてみたいと思う。

キスは天ぷらにかぎるのですべて背開きにするのだが、小さい魚体と数がたくさんとなるとかなり骨が折れる。老眼の目には辛い作業なのだ。三分の一ほどは叔父さんの家に持っていき残り40匹を捌き終わるのに1時間以上を要した。しかし、天ぷらを食べるためには絶対に必要な作業なのである。



叔父さんの家に持って行ったキスは、ナスとオクラとシシトウという天ぷらには欠かせない野菜と交換になった。サツマイモはもう少し先になる。ついでにトマト各種とスイカも持たせてくれた。



長く釣果がなくて叔父さんの家を訪ねていなかったものだから、僕が感染したかもしれないと心配してくれていたそうだ。僕はコロナよりも恐ろしい「ツレナイ症候群」に陥っていたことには間違いはないのだが・・。

今日は日曜日の釣行になったので、複数の人にその姿を目撃されていた。今日は珍しく悪いことはしていないのだが、悪いことはできないなと改めて思ったのである・・。

 


「鱚断ち」という言葉を調べている途中で、「釣舟清次」という厄除け札というものを知った。
この話にはキスが関係していて、こんな話である。
清次という名前の漁師があるとき、100匹以上のキスを釣ったそうだ。買い取りをしてくれる先に持っていく途中、身の丈6尺はあろうかという大男に出会った。その大男が、「見事な鱚だ、1匹くれないか。」というので差し出したところ、「お前は正直でいいやつだ。じつは俺、疫病神で、お前の家の前に「釣舟清次」と書いた札を出しておけばその家には行かないようにしてやる。」というのである。
家人や近所の人にそんな話をしていると、「自分の家内が疫病に罹っているので名前を書いてほしい。」というひとがいたので、自分は文字が書けないので他の人に書いてもらった文字をまねて書いた札を渡したところ、その人の疫病が治ってしまったという。
というのが大雑把なあらすじで、江戸時代の文人、大田南畝の随筆『半日閑話』に掲載されているそうだ。

アマビエもいいけれども、「釣舟清次」というお札も効果があるのかもしれないなと第7波を迎えて思うのである・・。
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