あぁ、湘南の夜は更けて

腱鞘炎やら靭帯断裂やら鎖骨骨折やら…忙しいッス。
自転車通勤往復100kmは、そんなこんなで自粛してました。

『どうしてインドなのだろう』印度旅行記-その3

2005年01月02日 | 印度旅行記
1987年の年明け、卒業旅行でインドへ飛んだ。

仲間はハワイやヨーロッパへ行ってしまった。
何故インドなんかへ行くんだ、とよく聞かれた。
今でもきっかけはわからない。

大学生活はありきたりの学生のように学校にもあまり行かず、
バイトと麻雀とブランドの服と女の子のことだけだった。
就職はどうしたはずみか金融業界に決まった(3年次までに『優』は5個しかなかったけど)。
でも僕はいつも「何か面白くないナ」と感じていたのだ。
僕が「インド」に最初に出会ったのは、三島由紀夫の『暁の寺』の中だった。
けれど仲間たちと当時流行のカフェバーや雀荘に行くのに忙しかった僕は、
あまりインドのことを気に留めなかった。

大学3年の夏休みが終わって、
友達ではなかったがクラスメートの1人が一人旅から帰ってきた。
普段は無口のあまり友達のいなかった彼は、7月にトルコに飛び、
それからイラン、アフガニスタン、パキスタンを列車、バス、ヒッチハイクで通り抜け、
陸路インドに入り日本に帰ってきたと言っていた。
彼は相変わらず無口で友達も少なかったが、僕は強烈に彼を意識するようになった。

大学時代、
僕は時間があるとバイトで買った中古の軽自動車で1人、日本のあちこちを回っていた。

 17万円で買ったスバルR2、
 後ろにエンジンを載っけていた。
 エアコンなんてないし、
 東名高速を飛ばすと前輪が浮いた。
 2年後に18万円で売れた。

能登半島や神戸の街や…。
眠るのは車の中か、あまりに暑い日は駐車場の車の陰。
身体が汚れると夜中の学校に忍び込み、校庭で素っ裸になって身体を洗った。
ついでに洗濯をして神社の境内の干したり…。
何かをするわけでもなく、できるだけ長く旅行を続けるために1日の出費を切りつめた。
そして「明日はどこへ行こうかなぁ」なんて。
あの頃は何故こんなことをやってるのだろうと思うときもあったが、
今になってみればできない経験で懐かしいよね。
僕の大好きな人たちが住む漁師町、能登半島の先端にある珠洲市は
今、原発建設で分裂してしまった。
都会の人間の利便性と金を儲けたい山師たちのために犠牲になった人たち…。
出会った人やツーリングをしていた人々は元気だろうか。

片道2時間の通学だった僕は本もよく読んだ。
1ヶ月2万円くらいが書籍代に消えた。
無口なクラスメートの話を聞いてからは、
何故か手にする本の中に「インド」という文字が出てくるようになった。
インドには何かあるのかも知れないと思うようになった。
漠然とインドに行きたいと思った。
それが徐々に「行かなくちゃ」という思いに変わっていった。
決定的だったのは、横尾忠則の『インドへ』という紀行文の中、
三島由紀夫が横尾に「インドには、人それぞれに行く時期が自然と訪れる」という場面。

その瞬間だった。

僕はもう一度『豊饒の海・暁の寺』を読み返した。インドに行かなくては…。
就職も決まって卒業の目処も立ったので、僕は躊躇わずインド行きのチケットを買った。

今は、あのインド一人旅が転機だったと思っている。

Bus to CHHATARPUR、チャタプールは僕の地図にも載っていない小さな街だった

あの時インドに出会わなければ、皆と同じスーツを着て、
皆と同じ列車に皆と同じ無表情で乗り込み、
それで僕の一生は終わっていたかもしれないと思う。
高い給料と保証された生活の中で、ぬるま湯に首まで浸かり出られなくなっていただろう。
世界中の旅人にも会えなかっただろう。
サラリーマン生活は2年ほど経験したのだが、それは別に悪いものではなかった。
しかし、その世界で出会えた人よりも、
一晩安宿のドミトリー(大部屋、ベッドだけがたくさんある部屋)で一緒に過ごした旅人や、
街中の食堂で茶を飲みながら話した旅人から、
生きることについてより多くを学んだし、インパクトが強かった。

まして、インドというのは僕にとって特殊な国だった。
一人旅をしていると否応なしに考えさせられてしまう。
インドの旅というのは
「僕は誰なんだろう」、
「僕はどういう風に生きていけばいいんだろう」、
という問いかけが常に聞こえる内面への旅だった。

特等席は、On the Roof

インドは万華鏡世界で、旅をした人はその断面しか見られない。
しかし、求める人にはその人にあった答えを用意してくれるのだと思う。
ひとこと言えるのは、インドを旅したあとには2種類の人間ができるということ。
1つはインド大嫌い人間。
彼は日本の政治家、あるいは官僚にでもなれるだろう。
もう1つは僕のように何度もインドに戻ってしまう人間。
中間の人はいないらしい(観光旅行は別だけど)。
(wrote in 1990)

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