MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

作品か人間か

2013-06-22 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

06/22 私の音楽仲間 (501) ~ 私の室内楽仲間たち (474)



              作品か人間か




         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




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                 不協和音の余波
                  牙を剥く脇役
                  嫌われる飛躍
                  作品か人間か
                  歩くメヌエット?
                   鋭い演奏者




 以下は、私が以前に記した文章です。



 次の譜例は、この不協和音の第Ⅱ楽章、ヘ長調の
"Andante cantabile" です。 よく見ると、ここにも先ほど
半音階全音階、またターンと思われる進行が顔を
出しています。

 半音階と言っても、ここは "混沌" とはほど遠く、平安
な歌に、溢れる感情を添えています。







 “先ほどの” というのは、第Ⅰ楽章の序奏のこと。
そこに登場した数々のモティーフが、この第Ⅱ楽章
でも活躍しているのです。

        関連記事 Mozart の "混沌"



 このうち全音階は “”、ターン (“Sol La Sol” など短いものも
含む)
は “” と、勝手に名付けた私。 それぞれは、様々な
“音程モティーフ” の主役として、私の最近の記事でも登場
しています。

        関連記事 嫌われる飛躍 など



 演奏例の音源]、Violin の O.さん、Viola の M.さん、チェロの
T.さんとご一緒した際のもので
、[譜例]の最初からスタートします。

 音源には談笑の声も入っています。




 「やあ! maru。 相変わらずだね。」

 あ、ソフト君…。 “相変わらず” って、どういう意味?



 「あんまり “モティーフ、モティーフ”…って言ってるとね、
誰も読んでくれなくなるよ? maru…。」

 そう?



 「だってキミは演奏家なんでしょ? だったら、音だけで
勝負しなくちゃ! アナリーゼもいいけど、ちょっと冷たい
響きがする言葉だしね。」

 そうかな……。




 音楽は聴くもの。 分析作業も必要ですが、確かに最終
目的ではありませんね。

 PCソフト君からは、手痛い忠告を受けてしまいました…。




 一つの作品全体が、どういう部分から成っているか?
形式は? 調性のプランは? またそれらを構成する
部品として、どんな主題やモティーフなどがあるか?

 これらを知るために、アナリーゼは演奏家にとっても
必要な作業です。



 しかしまた、こんな一面もあります。

 作品を分析すればするほど、「こんな作業は必要なかった。」
…そう感じることもあるのです。

 優れた作品であればあるほど。



 それは、全体の構成プランに沿って、すべてがみごとに調和
しているからでしょう。 形式も調性も、主題、モティーフも。

 また不要な音符も、ほとんど無い。 作曲者の言いたい事が
すべて音になり、過不足も無いからでしょう。




 では “そうでない作品” の場合は?

 何か、“しっくり来ない” のです。



 レガートの音階を、いくら滑らかに演奏しても。 難しい
分散和音を、たとえ鮮やかに弾き切っても。 リズミカル
なモティーフを、いくら強調しても…。

 音楽の流れに乗れない。 部品の精度を上げても、
全体が噛み合わない…。



 こうなると、演奏家の出来る事は限られてきます。
せめて、部品を磨き上げることしか残されていない…。
残念ながら、そう感じることがあります。

 分析作業の成果も半ば…といったところでしょう。
“作業” といっても、そのためにわざわざ時間を割く
必要を感じない場合すらありますし。




 では優れた作品のほうは、分析しても無駄なのか?

 ある意味では、そのとおりです。



 なぜなら、分析したからといって、それほど演奏内容が
変わってくるわけではない。 精度の高い部品を、設計図
どおりに正確に組み合わせさえすれば、「音楽自らが物を
言ってくれる」…からです。

 言いかえれば、「“忠実に” 演奏すれば、それで充分。」
もちろん、“忠実に” の中味が問題ですが。




 しかし音楽は、人間が作るものです。 天才たちは何を考え、
どんな材料を用いて曲を作っていったのか?

 ときには、作曲家自身が無意識で、混沌とした状態から出発
したり。 また、その “混沌” が “明快な秩序” に変容していく
過程自体を表現しよう…とすることさえあります。



 アナリーゼをしていると、その一端が垣間見られるように
思えることがある。

 秘密に包まれた作曲作業。 その過程を追体験できるの
ですから、嬉しくないはずがありません。



 「凄い! こんなこと、もちろん自分には出来ない…。」

 …そんな驚異の念を抱き、作曲家を改めて尊敬し直す。




 その瞬間の喜びのほうが、私にとっては大きいようです。

 作曲家を、一歩だけだが深く理解できた。 そして、個人
的にも “親しくなった” ようにさえ感じるのです。



 “作品を深く知った”…というより。




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