06/08 私の音楽仲間 (495) ~ 私の室内楽仲間たち (468)
作曲家 対 演奏家
これまでの 『私の室内楽仲間たち』
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やさしいのに合わない…
減七で幻惑
序奏は倉庫
細く長く
曲との出逢い、再会
支え合い?妨害?
忠実な片腕
事前のインプット
単純な音符の二面性
優美な音階
各馬一斉にスタート…しないね
沈黙を呼ぶ第Ⅳレース
第五コーナー?
Beethoven の騙し絵
刻苦勉励
作曲家 対 演奏家
演奏家 対 ギャラリー
繰り返しは嫌
Beethoven の弦楽四重奏曲 『ラズモーフスキィ』第3番。
その第Ⅱ楽章は、美しいイ短調の歌です。
しかし歌とは言え、作曲者は Beethoven。 全曲の設計者
としての厳しい目配りには、ここでも抜かりがありません。
[譜例]は第Ⅱ楽章の冒頭。 繰り返しが2箇所ありますが、
[演奏例の音源]では、一番〔 〕を編集でカットしています。
Violin は私、T.さん、Viola S.さん、チェロは T.さんです。
音源には談笑の声が入っています。
相変わらずの塗り絵ですね。 色は2色。
それぞれ、上昇音形と下降音形を表わします。
全曲の主要モティーフを、さらに分解すると、
まず [Sol La Sol]のように、上下する形 (A、A’)。
そして [Fa Mi Re]、[Do Re Mi] など、方向が
変わらない音階 (B、B’) とに分かれます。
共に3つの音符から成る、原子モティーフです。
これが [Sol La Sol] [Fa Mi Re] のように合成
(A+B) されると、第Ⅳ楽章の主要テーマに。
また運動方向が逆になると、[Do Si Do] [Re Mi Fa]
(A’+B’)、第Ⅲ楽章 Menuetto の主題になっていました。
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下も同じ[譜例]ですが、A、A’と記した3音符がありますね。
それ以外の “色塗り3音符” は、すべて B、 B’です。
この[演奏例の音源]は、[譜例]の後まで続きます。 そこ
では、[La Si La]、[Do Re Do]、[Mi Fa Mi] のように、A’
の3つの形が同時に聞かれます (Violins、Viola)。 2回続けて
“ダメ” を押しながら。
これまでは作曲上の問題でした。 では今度は[譜例]を、演奏
家の視点から見てみましょう。
二段目から三段目にかけて、fp や sfp が頻繁に見られますね。
何らかのアクセントが必要なので、有る意味では “強く、目立つ
ように” 演奏しなければなりません。
では、その他の部分は? 弱く、あるいは普通に、“目立たない
ように” 演奏しなければいけないのでしょうか?
[譜例]をご覧いただくと、二段目で目立つのは Vn.Ⅰ
ですね。 八分音符で動いている。
しかし問題は、その動きが止まったときです。 付点
四分音符や、四分音符などで。 すると代わりに動き
始めるパートが、2つありますね。
そう、Vn.Ⅱ や Viola です。 これらは当然 “目立つように”
聞えなければなりません。
たとえ sf などが書いてなくても。 それは、私が塗り絵を
したことでもお解りいただけるでしょう。
バランスで基本的に大事なのは、八分音符の動き。 sfp
は、ほんのスパイスに過ぎません。
しかしこれは、スコアを見ているからこそ解ること。 パート
譜だけでは、全体が把握できない。
なぜなら、自分の “横の動き” しか見えないから。 縦の
“立体的な構造”までは、なかなか捉えられません。
では対策は?
まず、スコアや音源に親しむなど、楽曲を把握すること。
そして、それと同等以上に重要なのは、音に親しむこと。
もちろん演奏者としてです。
頭で解っているだけでは不充分。 演奏の現場で “主張
する” ことはおろか、アンサンブルの流れに乗る余裕すら、
なかなか生まれません。
“音作り” を、日頃から心掛けていないと。
その意味で、Beethoven の “パート譜” は “演奏者本位” で
はありません。
全体を把握していないと、それだけでは “情報不足” だから。
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その対極は Mahler でしょう。 彼は指揮者でもあり、パート
ごとに異なった強弱記号を、頻繁に記しているからです。
瞬間ごとに。 もちろん音量バランスを考えた上でのことです。
では、そのほうが親切な書き方なのか? 少なくとも “個々
の演奏者” にとっては、“Yes!” かもしれません。
しかし指揮者、あるいは “楽曲の構造全体” を把握したい
人間にとっては…。 “横の流れ” が捉えにくい…という難点
があるので、一概に “善し悪し” は言えません。
結局のところ、「どちらが優れている」…とは言いにくい…。
一長一短ですね。
その意味で、どんな楽譜も「完全である」…とは言えない。
作曲家によって筆致は様々です。 それを、私たち演奏者
は見破る必要があります。
これは、Beethoven や Mahler に限った話ではありません。
作曲家は、みんな曲者 (くせもの)。
ブルックナー、ドヴォルジャーク、チャィコ―フスキィ。
この人たちも、みな書法にクセがあります。
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