02/04 私の音楽仲間 (134) ~ 私の室内楽仲間たち (114)
弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 作品135 ①
これまでの 『私の室内楽仲間たち』
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(1) ~ (2) Mozart 『プロシャ王四重奏曲ヘ長調』
② ③
(7) ~ (11) Schubert 『第15番 ト長調 Op.161, D887』
① ② ③ ④ ⑤
(12) ⑥ 歌曲集『冬の旅』 第1曲 『お休み』
(13) ⑦ 歌曲集『冬の旅』 第5曲 『菩提樹』
(14) ⑧ 歌曲集『冬の旅』 第15曲 『カラス』
(15) ~ (16) Schubert 『第15番 ト長調 Op.161, D887』
⑨ ⑩
Mozart の最後の弦楽四重奏曲、『プロシャ王』第3番の後
には、やはりヘ長調の曲が続きます。
休憩を挟んで演奏したのは、Beethoven の "作品135"。
そう、やはり "最後の四重奏曲" なのです。
同じ日に "最後の四重奏曲" が続いたのは、まったくの
偶然で、メンバーの組み合わせも異なります。
Violin は私、K.さん、Viola がO.さん。 チェロのSu.さんは、
この日の前半からのお付き合いです。
O.さんとは、この場でも何度かご一緒していますが、Violin、
Viola の両刀使いで、この集まりでもすでにとても貴重な方
です。 形の上では、お世話係のSa.さんと私が "一緒に
お誘いした" ことになるので、私も嬉しい限りです。 実は
それ以前から、私は個人的にも大変お世話になっている
のです。
Violin のK.さんはO.さんのご家族で、前回は Beethoven の
"第12番 変ホ長調 作品127" でもご一緒しました。 その折
は、全体を見事に支えてくれたのが印象に残っています。
今回も、やはり "後期の四重奏曲" です。
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Beethoven の Op.127
① Su.さんの提案
② スースー行く
③ 円いのはなぜ?
④ 円い骨格
⑤ モティーフへのこだわり
⑥ 変ホ長調への思い入れ
⑦ 一年の計は…
(続く)
音源です。
[楽 章 別]
А. Майборода, О. Яцына,
М. Рудой, Г. Колесов
Ⅱ
Avalon String Quartet
Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ
Emerson String Quartet
Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ
Hagen Quartet
Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ
Quartetto Italiano
Ⅲ
[上記を含む音源ページ]
[全 曲 盤]
ブッシュ弦楽四重奏団 1933年録音
ブダペスト弦楽四重奏団:1951年11月27日録音
バリリ四重奏団 1952録音
今回の "ヘ長調 Op.135" は、以下の四楽章から成っています。
Ⅰ Allegretto、ヘ長調、ソナタ形式
Ⅱ Vivace、ヘ長調、三部形式
Ⅲ Lento assai, cantante e tranquillo、変ニ長調、変奏曲
Ⅳ Grave ? Allegro ? Grave ma non troppo tratto
? Allegro、 ヘ長調、ソナタ形式
最終楽章には、"Der schwer gefaßte Entschluß" (直訳 : 難儀して
得た決心)、「苦渋に満ちた決断」(拙訳) と書かれています。
「これが何を表わすか」については、色々な説があります。
↓
① 『日々不穏』に記された内容です。
「ベートーヴェン(ジャン・ヴィトルト著)」では、ベートーヴェンの手紙を引用してこの言葉の意味を説明していました。その手紙の内容は以下の通りです。
「ごらんのとおりです。なんと私は不幸な人間でしょう!この弦楽四重奏曲を書くのが困難だったからというのではなく、私の考えていたものが何かもっと違った、もっと偉大なものであったのに、これしか書けなかったからです。その原因は、私があなたにそれを約束していたこと、そして私に金が必要だったこと、しかるにこれらのことが全部私にこのうえなく苦しく迫ってきたこと、にあります。以上が『Es muss sein』という言葉のもとにご理解願わねばならぬことなのです。」
最近、とあるサイトでゲーテの言葉が紹介されていました。そのゲーテの言葉に、「決心」あるいは「決意」という意味で、似た表現がありました。
「われわれが不幸または自分の誤りによって陥る心の悩みを、知性は全く癒すことはできない。理性もほとんどできない。時間がなにより癒してくれる。これにひきかえ、固い決意の活動は一切を癒すことができる。」
「ゲーテとベートーヴェン(青木やよひ著)」からもわかりますが、2人には交友があったそうです。ここに紹介する言葉もベートーヴェンの書き残した言葉の意味を理解する手がかりになるかもしれません。
② 『桑原茂 Diary』に記された内容です。
デンプシャーという人がベートーベンに五十ファリントを借りた。
そして、いつも文無しであった作曲家がその返済を迫った。
「Muss es sein?」(そうでなければならないのか?)と、
デンプシャー氏は悲しげに溜息をついた。
ベートーベンは元気よく笑って、
「Es muss sein!」(そうでなければならない!)と、答えた。
そしてすぐ,その言葉とメロディーを楽譜に書きとめた、
この現実的なモチーフに四声のためのカノンを作曲した。
三声は”Es muss sein,es muss sein, ja ja, ja,"
(そうでなければならない、そうでなければならない、
そう、そう、そう、)と歌い、第四声の声がそれに、
“Herausmit dem Beutel!" (さっさとお財布をお出し!)
とつけ加える。
この同じモチーフが一年後にベートーベンの最後のクヮルテット
作品番号一三五の第四楽章の基礎となった。
そのときはもうベートーベンはデンプシャー氏の財布のことは
考えていなかった。
「Es muss sein!」(そうでなければならない!)ということばは
ベートーベンにはしだいに、まるで、『運命』そのものが話して
いるように、より荘厳に響いた。カントの言語では、
「こんにちは!」ということばでも、それにふさわしく発音されると、
形而上的なテーゼの形をとりうるのである。
ドイツ語は重々しい語の言語である。
”Es muss sein!”はもはや冗談というようなものではなく
"der schwer gefasste Entschluss" (苦しい決断の末)
なのである。