音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

「痴漢」にされない方法

2007-01-25 04:13:24 | 映画・ドラマ・音楽
話題の映画を観てきました。「それでもボクはやってない」は、どうしても観なければならないと決めていました。一人で映画館に行くのは、本当に久しぶりですが、まだ公開して日が浅いからか、日比谷シャンテの最終回は仕事帰りの観客でほぼ満席状態でした。ふと周囲を見渡すと、カップル(熟年ペア含め)が異常に少ない! やはり半数以上は、私のように男性がソロで来ているパターンですが、意外だったのは女性のお一人様も2割くらいを占めていたことです。最近こそ、この痴漢冤罪が社会問題化し風向きが変わっていますが、ちょっと前まではTVではこの問題がほとんど取り上げられていませんでした。その理由は簡単で、朝のワイドショーや夕方のニュースの主要な視聴者層は家庭の主婦であり、痴漢は女性の敵ですから、このテーマはウケなかったのですね。しかし、この周防監督の久々となる新作に会場の熱気はムンムンでした。とてもコワイ映画でしたけど・・・。

「痴漢冤罪事件には日本の刑事裁判の問題点が表れている」と役所広司演じる弁護士は言います。そういえば、かの浅田次郎先生も自身の「豊富な」体験から、エッセイで「刑事訴訟法は美しい」というようなことを書いています。美しいというのは何もよくできているという意味ではなく、日本に存在する以上、ひとたび事件に巻き込まれたら最後、刑事訴訟法という名のベルトコンベアに乗り、はるかな法廷に向かって運ばれていく可能性があるということです。そしてこのベルトコンベアのオペレーターである司法関係者は実にてきぱきと業務を遂行するのです。そのことの恐怖を表現したものなのですね。

難関の司法試験をパスした頭のいい検事様・判事様が、法律に基づいて淀みなくさばいていく。いかに彼らの情報処理能力が高いといっても、件数が半端でなく多いので、自分の目の前の案件はすべからくちゃっちゃと終わらせたいわけですね。これが、容疑者および被告が罪を認めている場合は、あまり問題になりません。もともと刑事訴訟法は各行程で制限時間が細かく定められているし、ダラダラやるより早くフィニッシュして差し上げた方が被告のためになるわけですから。しかし、これが「ボクはやってない」と否認する人にとっては、かなりキツイ状況になってくるわけです。磯崎さんも指摘されておられるように、これは最近の国策捜査の問題点にも通底しています。

日本の司法は起訴されたら99.9%有罪です。特に痴漢の場合、今では被害者保護が徹底しています。長らく被害者が辛い立場に置かれていて、性犯罪被害者は事情聴取や公判でセカンドレイプを受けることも多かったので、その反省(反動)なのか、勇気を出して声を挙げた女性に応えるために、犯人を何としても有罪にしようという意識がはたらくのだといいます。推定無罪ではなく「疑わしきは罰する」になってしまう。痴漢が表沙汰になるのは、まだまだ氷山の一角でしょうが、過去から現在に至る多くの不埒な輩の悪業のツケを払わされるかのように、冤罪に苦しむ人が存在するのです。それにしても「やっていない」ことを自ら証明するというのは、難易度特Aクラスですから、こうして、ひとたび浅田氏いうところの「ベルトコンベア」に乗ってしまったら最後、ほとんど全員が有罪まっしぐらというわけです。

弁護士の知人に聞いたことがあるのですが、司法修習生時代に判事や検事への任官を勧誘されるのは、成績優秀であることはもちろん、当然ながら体制肯定的な人物であり、その中でも検事志望者というのはゴリゴリの権力オタクの連中だそうです。それはそうでしょう、公訴権(起訴するかどうか決める権限)を独占し、胸先三寸で一人の人間を地獄の底に叩き落とすことができるのですから。一方で裁判官というのはプライドの高い職人です。上がってきた案件を与えられた材料(証拠)の中でジャッジするという文字通り「さばき仕事」です。巷間「無罪判決を書くと出世できない」なんて囁かれていますが、劇中の登場人物に言わせると「無罪を出して喜ぶのは被告だけ」なんですね。原告はもちろんのこと、同じサークル内の警察・検察の面目が丸つぶれなわけですから、いいことはない。裁判官のメンタリティーを考えると、有罪率99.9%というのも頷けるところであります。

痴漢は卑劣な犯罪であることは疑いの余地はありませんので、以下はあくまで本当に「やってない」のに巻き込まれてしまうことについての論考です。


R30さんが推奨する、とにかく脊髄反射的にエスケープするという対処法は、もし鉄道警察や他の乗客に取り押さえられてしまった場合、逃げたという事実そのものが致命傷になりますから、あまり得策とは思えません。

まあ、その後の気の遠くなるような苦難や経済的損失を考えたら、たとえやっていなくても「うそも方便」と割り切って認めてしまう方が現実的かもしれないとさえ思ってしまいます。でも仮に会社をクビにならなくても、周囲のレピュテーションリスクというもののありますがね。

自由を奪われ、裸にされて指紋と写真とられて、トイレ共同の狭い雑居房でオカマやヤクザやヤク中の同房者と雑魚寝して、差し入れも制限されて、未決なのに刑務所同然の扱いを受け、長ければ半年も拘留されることを考えたら、無辜の一般人としては事故に遭ったようなものだと割り切って、さっさと謝って示談にするという道を選択するのも、もしかしたら合理的な判断なのかもしれません。上映中、もし自分がこうなったらどうするだろうかをずーっと自問しながら観ていましたが、私は、たとえ職を失うことになっても、いわれのない罪で前科者のレッテルを貼られることは耐えられそうにありません。死ぬまで後悔するような気がするからです。人としての尊厳の問題でありますが。

そうなると裁判ということになりますが、これがまたヒジョーに過酷なのですね。「それボク」も裁判がどういうものかを余すことなく描いていますが、例の植草さんの公判速記録を読んでも、様子がわかります。

ここで、電車通勤をしている方に問題です。今日の行きと帰りのラッシュを思い出してください。

【質問】あなたが電車に乗り込んだのは何両目でしたか。

【質問】あなたがその車両にたどり着いたときに、他の乗客は乗車を始めていましたか。

【質問】あなたの前に並んでいた乗客は何人ぐらいいましたか。

【質問】あなたが乗り込んだ時、あなたの直前の人はどんな人でしたか。

【質問】あなたが乗り込んだ後、電車が発車するまでに何人が乗り込んできましたか。

【質問】その乗ってきた人の性別とか身長とか、そういうものは覚えていますか。

【質問】その人については、身長はどのぐらいでしたか。

【質問】髪型についてはどうですか。

【質問】服装について思い出せますか。

【質問】車中でどんな中吊り広告を見ていましたか。

いちいち覚えてないですよね。

おことわりしておきますが、コレ導入部分だけなので序の口なんですよ。こういうやりとりがうんざりするほど延々続きます。今日のことも思い出せないのに、何ヶ月も経ってこんなこと訊かれても、答えられるわけがない。でも結局は、重箱の隅をつつくような質問ばかりです。もっともこれは弁護人の質問で、検事や判事はもっといやらしいところを突いてきますよ。警察の調書との微妙な齟齬とかね。酔っていたとはいえ、東大経済学部を出て、当代屈指のエコノミストとして鳴らした植草先生の明晰な頭脳をもってしても、しどろもどろなのです。本人でさえそうなのですから、後になって公判に呼ばれる証人の記憶なんて推してしるべし、曖昧なこと極まりないでしょう。

この映画から得られる教訓は、人間ボーっと生きていたら駄目だということです。一人の時はいいですが、他人との接触を避けられない場面においては、常に五感を研ぎすませて、後に第三者の納得が得られるような行動をとる必要がある。始終ピリピリと緊張して過ごさねばならない世の中というのは、何ともしんどいものですが、我々が生きるこの社会は弱肉強食のジャングルだと考えた方が無難です。

そういう観点からすると、加瀬亮が演じる主人公は隙だらけに見えます。20代半ばになってようやくおっとりがたなで就職活動するというのは、いかにも今日的ですが、面接の日だというのに、肝心な履歴書を持ってきたか不安になって(結局は家に忘れてきた・・・オイオイ)途中下車して、ホームのベンチでナップザックの中を探ります。まあいいかと思って、再び超満員の電車に駅員に背中を押されながら、漫然と前向きで乗車する。ドアにスーツの端が挟まれたと思って、延々とごそごそと体を動かす(どうせすぐ降りるわけじゃなし、安物のスーツなんてどうでもいいだろ)、女子中学生に捕まってから駅の事務室に連行される時も、警察の取り調べでも肝心な時に、主張すべき所をできていない、友人が置いていった制服モノのエロ雑誌や痴漢を題材にしたエッチビデオが自宅にあって押収される(状況証拠にされてしまう)、裁判の最終盤になってようやく大事なことを思い出したりする・・・という感じで、観ているこっちがイライラしてきます。もし就職活動の場数を踏んでいれば、圧迫面接も経験し、相手の意図もある程度読めたでしょうから、裁判官の嫌らしい質問に激昂して心証を悪くすることもなかったかもしれない。フリーターには酷な言い方かもしれませんが、社会で揉まれていない分、どこか弛緩していて危機察知能力が著しく減退していたように見えるのです。

例外として、ある種の人間的迫力を備えている人は、この手の被害には遭いにくいのかもしれません。威圧感があって日頃から周囲に怖がられているような人です。痴漢と思われる人の手を掴むのは、れっきとした「私人による現行犯逮捕」ですからおおごとです。女性にとっても、その後拘束されて調書をとられるし、場合によっては法廷にも立たなくてはなりませんから、告発には大変な勇気が要ります。だから、たとえ正面から顔を正視できずとも、捕まえる前には、容貌や服装、醸し出す雰囲気で、どんな人間かを一瞬でも必ず確認するはずです。そこで躊躇させるような「怖さ」を持つことは身を守るのかなあと。

そういうキャラではない気弱なヤサ男の方は、真剣に予防措置を実践する必要があるでしょうね。電車に乗るときは、なるべく女性に近づかないのは勿論、やむを得ない時は後ろ向きのポジションをとる、両手で吊革を掴むといったことですね。幸いにして、私はフレックス制のおかげで通勤ラッシュを免れ、行き帰りは座っていることが多いものですから、あまり切迫感はないのですが、飲み会の後、別の路線で帰るときなどは危険ですね。気をつけなくては。

最後に映画の感想ですが、周防監督がさすがだなあと思ったのは、主人公を若いフリーターにしたこと。妻子あるサラリーマンだと現実問題として、とことん闘うことが難しいし、仕事や家族やお金などサイドストーリーに話が拡散していかざるをえない面がありますが、この設定ならば、日本の刑事裁判制度の問題点という本当に描きたかったテーマに絞ることができます。実際、費用の話は「保釈金200万円」としか出てきませんが、当然ながら弁護士費用(マンパワーが役所広司&瀬戸朝香で×2)や再現ビデオの製作費など、諸々一体いくらかかるのでしょう。人間の尊厳をかけて徹底抗戦するにも先立つものが必要ですが、貯金だけでは苦しいので、そういう保険でもあればいいのですが。

私は田宮二郎版の「白い巨塔」フリークなので、財前側の証人として偽証を強いられ苦悩する柳原医師役で印象深い高橋長英が演じるところの、初老の傍聴マニア(実は裁判に苦い思い出があり、傍聴をライフワークにしている)が、個人的にはツボでした。













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8 コメント

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経験者^^は語る... (マルセル)
2007-01-25 22:34:41
経験者^^は語る...
捕まったらオシマイだそうでつ
ということでR30のおっしゃる通り三十六計が正解とか
そうですか (音次郎)
2007-01-26 00:00:43
>マルセルさん、ありがとうございます。
そうですか、だとしたら反射神経と、駅の階段をも猛スピードで駆け上がれるくらいの体力を増強しておく必要アリですね。
こんばんは (mig)
2007-01-26 00:44:59
TBありがとうございました。
記事面白く読ませていただきました★

本当、自分の身は自分で守らなければいけません、
ぼーっとしてちゃ、いけませんよね。
正義の味方は、結論が先。 (あかん隊)
2007-01-26 01:05:51
初めまして。TBをありがとうございます。
こちらの記事を興味深く拝読いたしました。主人公の設定についても、監督のたぐいまれなセンスが発揮されていますね。同感です。>ポイントを絞り込む手法
被疑者を疑うなら、原告の証言も疑ってしかるべき、とは思います。勇気をもって、告発したにせよ、「冷静に告発」できるとは思えません。証拠がないんですよね。どちらにしても。
日本の司法制度、やはり見直さないといけないと思います。
危機察知能力 (えい)
2007-01-26 09:49:54
TBありがとうございました。

>フリーターには酷な言い方かもしれませんが、社会で揉まれていない分、どこか弛緩していて危機察知能力が著しく減退していたように見えるのです。
>例外として、ある種の人間的迫力を備えている人は、この手の被害には遭いにくいのかもしれません。

なるほどと思いました。
危機察知能力、これはこれからの時代を生き抜くキーワードですね。
TBありがとうございました。 (Tomoe)
2007-01-28 01:03:36
こんばんは。
記事、楽しく読ませてもらいました。
私は女なので、痴漢に間違われることはないと思いますが、
男の人はいつこの映画のような被害に遭うかわかりませんもんね。
でも、いつでもピリピリ緊張していなきゃいけないなんて、大変な世の中ですね。
今まで裁判なんて興味なっかたけど、この映画を観て
私もいろいろ考えさせられました。
金額について (irie)
2007-11-22 18:11:51
今日、たまたまこのBlogをみましたが、私の先輩である弁護士に金額が幾らかかるのか聞いたことがあります。
再現ビデオも含め、なんと900万円だそうです。

しかもえん罪ですから勝っても、そのお金と時間・労力は被告には戻ってきません。
ですので大変疲労感の残る裁判になるそうです。
コメントありがとうございます (音次郎)
2007-11-24 03:53:38
>irieさん、コメントありがとうございます。
900万円ですか・・・。やはりそれだけかかっちゃうもんですね。痴漢冤罪保険が必要かもしれません。

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