音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

私立中学の時代

2010-05-25 05:35:47 | 時事問題
春はフレッシュマンが季節を実感させてくれる存在ですが、5月の連休明けからは職場研修のローテーションに入っているようで、その姿を見かけることも多くなりました。若い頃は新人に興味津々で、争って接近したものでしたが、最近は親目線というか、どういう風に育ってきた子なのかなという目で見てしまいます。いつの間にか新入社員は、自分よりも我が子の年齢に近くなっている! そんなわけで社内報に掲載された新人のプロフをつらつら眺めていると、首都圏の私立中高一貫校出身者が多いことに気付かされます。これは今年だけでなく、ここ2~3年の傾向として顕著です。

私の勤務する会社は、志願者が少なくないのに毎年数人しかとらないため、新卒に関しては贅沢な採用をしていると思いますが、現在の40代以上の社員たちは地方の公立進学校出身者が多いのに比べると、近年はだいぶ状況が変容しているのです。

少し前の城さんのエントリー「公教育から生み出せる人材は、社会のニーズとずれている」が印象的で頭に残っていました。城さん自身は山口県の公立出身で東大法学部卒という経歴の方です。

一昔前まで、人事の間では「付属校上がり」を一段下に見る傾向のある人が多かった。
同じ慶応の法学部なら、付属校より一般入試経験者の方が、受験というフィルターを経ている分、優秀に違いないというシグナル効果だ。企業自身、かつては詰め込み型を重視していたということだ。実際、幼稚舎のOBに聞いても「中学、高校と後から入ってくる人の方が成績は良い」のは事実らしいから、この先入観はあながち間違いでもない。

でも、最近こういう考えは、少なくとも企業側からはとんと聞かなくなった。いつも言っているように求める人材像が変わってきたからだ。「一生懸命詰め込んできました」というタイプは、もちろん悪くはないが別に好かれもしない。

僕もそうだったからわかるんだけど、公立の一番ダメなところは、ごくごく平均的なモデルにそってカリキュラムが組まれているため、頑張る子でも、というか頑張れば頑張るほど枠にはまった“普通の子”になってしまうということだ。


私も大学時代に、いわゆる「付属あがり」を馬鹿にする雰囲気があったことを覚えていますから、偏見は企業の人事部のみならず、一般的なものだったと思います。曰く金持ちのボンボン、純粋培養でひ弱、遊びだけは達者だが勉強は大したことない・・・・。まあ、数としては地方出身者が圧倒的に多く多数派を形成していましたし、そもそも田舎から東京の大学に出てくる子は勉強もスポーツもリーダー格(または顔と要領のいい女子)だったりしますから、存在感があり声も大きいのです。城さんは公立の平均的カリキュラムが結果的に型にはまった「普通の子」を量産してしまうと指摘していますが、私はその他にも要因があるような気がしています。

自分が現代の首都圏公立中学に通う優等生であると仮定し、色々空想してみたのですが、これは結構シンドイです。身の処し方に相当なエネルギーを費やすことになり、自分を伸ばすよりも、サバイバルの方で精一杯じゃないかと。

その優等生を仮にA君とすると、彼はとりあえず地域の伝統ある公立進学校を目指すでしょうから、中学では常に成績を最上位にキープする必要があります。地元小学校における上位層の何人かが私立中学に流れているので、A君が真に優秀であれば学業の方はそれほど心配はないのかもしれません。ただ公立には内申書という厄介なものがありますから、先生の覚えもめでたくないといけない。あまり才気走った言動は自制し、その代わりにやりたくない部活や委員会などにも所属して適度にアピールすることもを欠かせません。

そして何よりもイジメの被害に足を絡めとられないよう、級友との良好な関係維持に苦心することになります。地元の公立中学は気の良いのんびり屋さんが集まっているだけならまだしも、もし「腐ったミカン」が少なからず生息している環境であれば、授業中の雑音や妨害にも耐えつつも、それをやり過ごさねばならない。不埒な輩や心無い行いを糾す真っ当な行為は、支援してくれるようなリーダー層が薄い状況では非常にリスキーですが、云いたいことを云えず、我慢を強いられるのはストレスが溜まるものです。

出る杭は打たれるので目立たぬように振る舞い、優秀でありながらも周囲に反感を持たれないよう、時にはわざとおどけてみたりして・・・。このように空気を読んで協調していくという資質は、一昔前まではまさに企業社会で重宝されたものですが、その習性ゆえに公立(特に首都圏)出身者には、既存のパラダイムを変える思考、新しいものを生み出す発想は持ちにくいではないかと。のびのびと自分を表現し活かせる私立に対して、自分を殺す公立という構図が浮かんできます。そう考えて周囲を見渡すと、たしかに首都圏私立中高出身者は個性的な人が多く、あまり他人がどう思うかを気にせず、好きなことをやっているという印象があります。(良い悪いは別として)

もちろん私立中高一貫校だからいじめがないというのは早計です。もしかしたら同質集団のそれは、より陰湿なのかもしれない。また「受験少年院」などと揶揄される新興私学ではなく、本当に「自由な」学校を求めると、そういう学校は難易度特Aクラスが多いという世知辛い現実もあります。今のところ我が家は中学受験させない方向にありますが、公立は公立で険しい道のりがあり大変だなあと思うのです。(自分の子供は優等生ではないけれど) それでも子どもには、空気を読む時間があったら本を読んでほしいと願っています。




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2 コメント

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なるほど (meici)
2010-05-31 19:24:08
「附属上がり」はイマイチ、という認識、ありましたねえー。これって、大学まで行った場合でしょう?
それで思い出すのは、安倍総理とか麻生総理かしら・・?確かに、どっか抜けてる部分がありそうな・・(ここでは鳩山総理の例は置いておきますが)

この偏見が、わが子を私立一貫校に入れたくない理由だったりします。(経済的な根本的問題を覆い隠す意味で)
実際は、お嬢様私立出身の人がなかなかの人物だったり、例外多数なのです。

ただ、国立大学の学部のセンセイの専門分野が古臭い、というの、ありませんか?
東大の先生は、さっすが世界の論文競争で鍛えられてるから先端を行っている、と思えるのですが、東大京大から見て2軍の大学には、東大2軍の先生が行くわけで、もうトレンドから外れた研究分野の先生が来てることが多いような、気がします。
ここで頑張ってる先生は、東大に引き抜かれたり、私立にヘッドハンドされたり・・・、ねえ。
ここんとこが、市場のニーズの離れた人材を生む一因じゃあないかしら?と思ったりします。
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Unknown (Unknown)
2010-06-04 07:12:40
meiciさん毎度です。

>わが子を私立一貫校に入れたくない理由だったりします。(経済的な根本的問題を覆い隠す意味で)

>実際は、お嬢様私立出身の人がなかなかの人物だったり、例外多数なのです。

同意ですね。なかなかの人物いますよ。
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