中国四川の大地震で、学校だけがあれほどバタバタと倒れたのはショッキングでした。施工業者が役人に賄賂を渡した分、鉄筋を減らすなどで調整する「おから工事」が横行する実態が明らかになってくると、一人っ子政策をとるかの国では一粒種を失って、当初は悲嘆にくれ親たちが怒り狂って学校を提訴する動きがありましたが、例によって中国当局の締め付けが強烈で、鎮圧されそうな雲行きです。ったく中国もしょうがねえなあと思っていたら、他人事ではありませんでした。これは対岸の火事ではない。
「学校4万8000棟 耐震不足」という見出しで、昨日の読売新聞朝刊は一面トップで文科省の調査発表を報じています。全国の小中学校の校舎や体育館のうち、震度6強の地震で倒壊する危険性が高い施設が1万656棟に上り、これを含めて4万7949棟の耐震性が不十分だというのです。わが埼玉県は全国ワースト3位の耐震化率で、危険性が高い建物がなんと524棟もあります。
ヒューザー事件以降、住まいの耐震性能の重要性があらためて認識され、マンション購入者のスケルトン(躯体構造)への関心は高まりました。でも子供は1日のうちで3分の1の時間を小中学校で過ごすのですよ。いくら親がマイホームを吟味して堅牢なものを選んだところで意味ないじゃないですか。中国四川省の都江堰でがれきの下で無辜の子供たちが圧死した絶望的な状況は、明日の日本の姿でもあるのです。
ちょうど今、『増補新版 教育とはなんだ』(ちくま文庫)という本を読んでいたところでした。この本は作家の重松清が、子供たちが将来きちんと生きていけるために、教育はどうあるべきなのかを、様々な立場とテーマで現場に携わっている18人のもとを訪ね歩いたインタビュー集です。さすがにフリーライターとして夥しい数の記事を書いてきた著者の練達の取材技術はさすがで、その人選とともに、どの一編も興味深く、教育に関心のある方にはお薦めの一冊です。その中でも私が面白く読んだのは、建築計画学の専門家として、全国各地の学校の設計やコンサルティングを手がけている上野淳・首都大学東京教授に話を聞いた「校舎」の項です。
学校の図面を描けといわれたら、小学生でもトレペと鉛筆があればできるんじゃないでしょうか。教室の窓は原則南向きなので、右利きの子どもがノートをとるときに手元が影で暗くならないようにするために、陽光は左から入るように、すなわち黒板は西側の壁にかかることになっています。教室は四間(7.2m)×五間(9.1m)=20坪(40帖)で机を正面に向けて並べ、黒板の前には教壇を描けばいい。その同じユニットをクラスの数だけ描けば出来上がりです。ついでにいえば、学校の校舎は外観図も簡単です。四角い建物の真ん中に時計を描いとけばいいんですから。でもこれらは今から110年以上昔の1895年(明治28年)に定められていたことなんだそうです。
「教室の『前』はどっち?」と問われたら、全員が全員「黒板のある方」と答えるんじゃないかと思いますが、かように黒板の存在がポイントになっているのです。前と後ろという空間概念と強い正面性が教室にはあるのです。廊下に壁のある閉鎖的な教室の正面に黒板があって、一段高いところに立つ王様のもとで、40人が一糸乱れず同じ目標に従って動いていく「学級王国」は日本の教育を象徴する光景です。でも、上野教授の話によるとイギリスや北欧の特に小学校には、権威の象徴のような黒板はなく、1クラス20~25人で個別のグループ学習が授業の中心らしいです。何かを一斉にレクチャーする必要のあるときは、教師が模造紙の束を挟んだ小さなスタンドを自分の横に持ってきて、その周りに集まった子どもたちが床に座って聞き、終わるとまた散っていくとか。色んな方向性と速度があるんですね。
高度経済成長期には人口も増えており、学校量産ニーズがありましたから、あらゆる意味で画一的な建築設計方式も時代に合っていました。でも、低い天井も硬い椅子もエアコンのない環境も、貧しかった昔の子どもたちは気にならなかったかもしれませんが、現代の子どもは、自宅で遥かに快適な空間を持っています。付け加えれば、親たちの教育水準が上がって、教師の優位性も相対的に下がっています。学校をとりまくあらゆるものが変わっているのに、校舎の設計だけが旧態依然なのです。
上野教授は最後にこう結んでいます。
「いちばん大事な社会資本である子どもの通う学校に、ちゃんと手を入れて、きちっとしたいい環境にしてあげるということを、日本はいままでやらなすぎましたよね。学校はずっと、公共施設の中でいちばんみすぼらしくて、いちばん安い建物でしたから・・・・」(2002年12月)
病院や図書館なども含めた公共施設の設計料の単価は、学校が最も安いという事実は、前述したように何の変哲もないレイアウトだから頷けるのですが、普通シンプルな建物は構造的に強いはずなのに、下は長崎県のように耐震化率が40%を切っているというのはなぜなんでしょうか。自治体の財政難で、どこもハコものを造ることが抑制的になっている傾向はわかりますが、建替えでなくとも補強はしていかないと、築40年なんて公立小中学校はざらにありますからね。どうしても経年劣化は避けられないし、建築基準法の耐震基準は、過去の大地震を節目にしてどんどんバージョンアップしていますから、もっと早くに政府は情報開示すべきでした。文科省は、中国大地震の惨状を見てから、おっとりがたなでこの資料を出してきたのであれば、小学生の子を持つ親として、一体どうなってんだという思いです。
和光市議のtakeyanさんは、文部科学大臣から発表された「学校耐震化加速に関するお願い」を冷笑しています。
「今まで、補助金の縛りで耐震化のスピードを遅めにドライブしてきたのは文部科学省なのに。」
狭い国土においてほとんど舗装化が済んでいるのに、真に必要とかなんとかいって、10年で59兆円もの金と異常なほどの情熱を注ぎ込む「道路」よりも、もっと大切なことが今そこにあることに、我々は声を上げていく必要があります。少なくとも中国に比べたら、言論弾圧はありませんから。
「学校4万8000棟 耐震不足」という見出しで、昨日の読売新聞朝刊は一面トップで文科省の調査発表を報じています。全国の小中学校の校舎や体育館のうち、震度6強の地震で倒壊する危険性が高い施設が1万656棟に上り、これを含めて4万7949棟の耐震性が不十分だというのです。わが埼玉県は全国ワースト3位の耐震化率で、危険性が高い建物がなんと524棟もあります。
ヒューザー事件以降、住まいの耐震性能の重要性があらためて認識され、マンション購入者のスケルトン(躯体構造)への関心は高まりました。でも子供は1日のうちで3分の1の時間を小中学校で過ごすのですよ。いくら親がマイホームを吟味して堅牢なものを選んだところで意味ないじゃないですか。中国四川省の都江堰でがれきの下で無辜の子供たちが圧死した絶望的な状況は、明日の日本の姿でもあるのです。
ちょうど今、『増補新版 教育とはなんだ』(ちくま文庫)という本を読んでいたところでした。この本は作家の重松清が、子供たちが将来きちんと生きていけるために、教育はどうあるべきなのかを、様々な立場とテーマで現場に携わっている18人のもとを訪ね歩いたインタビュー集です。さすがにフリーライターとして夥しい数の記事を書いてきた著者の練達の取材技術はさすがで、その人選とともに、どの一編も興味深く、教育に関心のある方にはお薦めの一冊です。その中でも私が面白く読んだのは、建築計画学の専門家として、全国各地の学校の設計やコンサルティングを手がけている上野淳・首都大学東京教授に話を聞いた「校舎」の項です。
学校の図面を描けといわれたら、小学生でもトレペと鉛筆があればできるんじゃないでしょうか。教室の窓は原則南向きなので、右利きの子どもがノートをとるときに手元が影で暗くならないようにするために、陽光は左から入るように、すなわち黒板は西側の壁にかかることになっています。教室は四間(7.2m)×五間(9.1m)=20坪(40帖)で机を正面に向けて並べ、黒板の前には教壇を描けばいい。その同じユニットをクラスの数だけ描けば出来上がりです。ついでにいえば、学校の校舎は外観図も簡単です。四角い建物の真ん中に時計を描いとけばいいんですから。でもこれらは今から110年以上昔の1895年(明治28年)に定められていたことなんだそうです。
「教室の『前』はどっち?」と問われたら、全員が全員「黒板のある方」と答えるんじゃないかと思いますが、かように黒板の存在がポイントになっているのです。前と後ろという空間概念と強い正面性が教室にはあるのです。廊下に壁のある閉鎖的な教室の正面に黒板があって、一段高いところに立つ王様のもとで、40人が一糸乱れず同じ目標に従って動いていく「学級王国」は日本の教育を象徴する光景です。でも、上野教授の話によるとイギリスや北欧の特に小学校には、権威の象徴のような黒板はなく、1クラス20~25人で個別のグループ学習が授業の中心らしいです。何かを一斉にレクチャーする必要のあるときは、教師が模造紙の束を挟んだ小さなスタンドを自分の横に持ってきて、その周りに集まった子どもたちが床に座って聞き、終わるとまた散っていくとか。色んな方向性と速度があるんですね。
高度経済成長期には人口も増えており、学校量産ニーズがありましたから、あらゆる意味で画一的な建築設計方式も時代に合っていました。でも、低い天井も硬い椅子もエアコンのない環境も、貧しかった昔の子どもたちは気にならなかったかもしれませんが、現代の子どもは、自宅で遥かに快適な空間を持っています。付け加えれば、親たちの教育水準が上がって、教師の優位性も相対的に下がっています。学校をとりまくあらゆるものが変わっているのに、校舎の設計だけが旧態依然なのです。
上野教授は最後にこう結んでいます。
「いちばん大事な社会資本である子どもの通う学校に、ちゃんと手を入れて、きちっとしたいい環境にしてあげるということを、日本はいままでやらなすぎましたよね。学校はずっと、公共施設の中でいちばんみすぼらしくて、いちばん安い建物でしたから・・・・」(2002年12月)
病院や図書館なども含めた公共施設の設計料の単価は、学校が最も安いという事実は、前述したように何の変哲もないレイアウトだから頷けるのですが、普通シンプルな建物は構造的に強いはずなのに、下は長崎県のように耐震化率が40%を切っているというのはなぜなんでしょうか。自治体の財政難で、どこもハコものを造ることが抑制的になっている傾向はわかりますが、建替えでなくとも補強はしていかないと、築40年なんて公立小中学校はざらにありますからね。どうしても経年劣化は避けられないし、建築基準法の耐震基準は、過去の大地震を節目にしてどんどんバージョンアップしていますから、もっと早くに政府は情報開示すべきでした。文科省は、中国大地震の惨状を見てから、おっとりがたなでこの資料を出してきたのであれば、小学生の子を持つ親として、一体どうなってんだという思いです。
和光市議のtakeyanさんは、文部科学大臣から発表された「学校耐震化加速に関するお願い」を冷笑しています。
「今まで、補助金の縛りで耐震化のスピードを遅めにドライブしてきたのは文部科学省なのに。」
狭い国土においてほとんど舗装化が済んでいるのに、真に必要とかなんとかいって、10年で59兆円もの金と異常なほどの情熱を注ぎ込む「道路」よりも、もっと大切なことが今そこにあることに、我々は声を上げていく必要があります。少なくとも中国に比べたら、言論弾圧はありませんから。
あとは、地方の財政的に苦しい自治体にどのような措置があるのかだと思います。
和光市では校舎の耐震化は終わっていて、体育館の耐震化が一部未済ですが、間もなく取り組みが始まるということでした。
さすが、和光市は進んでいますね。学校校舎の問題も常に発信されてきたtakeyanさんのような議員の存在が大きいのではないでしょうか・