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11月、紅葉は山から里に降りてきます

2011-11-05 06:02:12 | Weblog
10月の末に盛りを迎えた東北の山々の紅葉が、一月を掛けて麓の里に下りてきます。
例年、11月23日「勤労感謝の日」前後の関東北部の里は、紅葉の盛りを迎えます。
福島県との県境を沿うように走り、栃木県と茨城県の北辺の村々の中をドライブします。

東北道で矢板まで北上、大田原を経て黒羽に。芭蕉も訪れた雲巌寺は杉木立と紅葉の中にあります。ここから大子を経て水戸黄門も訪れたという紅葉が彩る袋田の滝を訪れ、久慈川沿いに下り、山方・大宮をへて那珂インターから常磐道で戻るという北関東を半周するおよそ300キロの日帰りドライブです。

 
出発 東京から東北道へ
1. 矢板IC 124キロ 
2. 国道4号線を白河方面に6キロ
3. 野崎橋 箒川を渡り、4号線沿いに左に下る。4号線のガードを潜るようにして、日光北街道へ。大田原市へ8キロ。芭蕉も歩いた旧陸羽街道。
4. 蛇尾橋 蛇尾川を渡り、旧陸羽街道は直進し、芦野方面へ。右折し、芭蕉も向った黒羽へ5キロ。
5. 大子・黒羽線を雲巌寺へ12キロ
到着 雲巌寺 見学
6. 1キロ戻り大子・黒羽線へ。明神トンネル、須賀川集落をへて、茨城県に入る。
県道大子・馬頭線と合流、大子町へ20キロ。
7. 久慈川を渡り国道118号へ。南下して袋田の滝へ3キロ。
到着 袋田の滝 見学
8. 118号に戻り、山方、大宮を経て、那珂インターチェンジへ50キロ。
到着 常磐道を東京へ  100キロ
                                       

  
大田原(おおたわら)から黒羽(くろばね)へ
那須連山の裾野の那須高原から、平坦な台地が、東を流れる大きな川、那珂川に 向って緩やかに傾斜する台地を下ります。この地は古代から人が住み着き、 黒羽の南にある湯津上(ゆずかみ)には古墳が幾つも見られます。また、那須与一で知られる那須一族が栄えた地で、大田原、黒羽、芦野など一族の末裔が江戸時代も続き、それぞれの地に城址が残っています。

日光北街道は真っ直ぐな道ですが、西那須、大田原の市街地となっており、人家も比較的多く、信号の多い道路です。大田原の市街を抜け、蛇尾川を渡り、真っ直ぐ進む道が旧陸羽街道(奥州街道)で芦野に出ますが、芭蕉一行もそうしたように、ここから黒羽へ右折します。

320年前はこの辺りに道らしい道はなく、困り果てている芭蕉一行を見かねた農夫が放牧していた馬を貸してくれ、馬任せに進んだ道です。農夫の二人の子どもが後を追ってきますが、その時の様子を『ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。独は小姫にて、名を「かさね」と云。聞きなれぬ名のやさしかりければ、“かさねとは八重撫子の名成べし 曾良”・・・』と詠んでいます。「奥の細道」の中で少女の話題が出るのはこの箇所だけ・・・それにしても「かさね」とは現代にも通じる美しい名です。

黒羽・雲巌寺
黒羽の町は、那珂川の西側に江戸時代の那珂川水運で栄えた商家が連なり、東側の小高い台地に黒羽城址があります。大田原から黒羽に近づくと、大豆田T字路の信号があり、右側から来る国道294号と合流します。294号は伊王野、芦野、白河に至りますが、直ぐの信号を右折し、那珂橋を渡ります。直ぐの黒羽神社下の信号を左折、大田原市役所支所近くで右折し、坂を登りきると黒羽小学校に出ます。この一帯が城址公園で、整備された美しい道路を北に進むと土塁、空掘、水掘が残る城址に至り、立派な記念館「芭蕉の館」があります。

黒羽は芭蕉の里を標榜していますが、奥の細道の旅で、芭蕉一行は最長の14日間もここに滞在しています。黒羽藩の家老でもある桃雪が一族を挙げて芭蕉一行を歓待したためでしょう。城に隣接する桃雪の屋敷跡に通ずる芭蕉の道と名づけられた歩道があります。

ここから雲巌寺までは12キロ、車で行けば15分足らずですが、芭蕉は歩いて往復しています。途中、唐松峠という小高い坂もあり、大変でしたでしょう。『・・・其跡みんと雲岸寺に杖を曳ば、人々すゝで共にいざなひ、若き人おほく道のほど打さはぎて、おぼえず彼麓に至る。』とハイキング気分で芭蕉に同行する人々の様子を記しています。

周囲から隔絶された、昼なお暗い大木の杉が生茂る山中に、忽然と姿を見せ、かつては越前永平寺と並び称される古刹は、一見の価値があります。『啄木も庵はやぶらず夏木立』と芭蕉は雲巌寺を詠っています。

雲巌寺から大子まで
雲巌寺から県道を大子に向かう直ぐに難所・明神峠がありますが、トンネルの開通で難なく越えることができます。福島県との県境にある茨城県の最高峰八溝山の南麗に連なる低山の間に点在する集落が秋の佇まいを見せており、ゆっくりとしたドライブを楽しめます。大子町の中を過ぎ、久慈川を渡ると国道118号線です。

袋田の滝と奥久慈男体山



八溝山から南に連なる山地は砂岩を中心とする古い地層の山が多く、巨岩、奇岩、奇峰が連なり、袋田から男体山に至る西側は断崖絶壁が連なり、東側は平坦な山地が広がるという独特の姿を見せています。その代表的な景観が、日本三名瀑の一つ袋田の滝です。春夏秋冬、訪れる人が絶えません。

袋田の滝へハイキングにでかけました。そのときのブログです。

 奥久慈で忘れてならないのはもう一つの景勝地男体山です。黄門様こと水戸光圀公も参詣登山をしたという茨城県では由緒ある山です。標高は653メートルと決して高い山ではありませんが、山頂に男体権現を祀り、奇岩・怪石・断崖からなる山容は古くから信仰を集めていました。初夏の新緑、秋の紅葉がベストシーズン、男体山を麓の集落古屋敷から仰ぎ見たときの初めての感動は忘れがたいものとなるでしょう。明治・大正時代に日本各地を旅行し、数々の紀行文を残した大町桂月は「久慈の奥男体山を仰ぎ見て画を学ばんとおもいけるかな」と紹介しています。
 しかし、数年前の山火事で男体山も被害甚大で、断崖を彩る木々も焼け、かつての紅葉の美しさが半減してしまったのが残念です。

男体山へは・・・
 118号を西金駅を過ぎ、西金大橋の手前を左折、湯沢川に沿って県道を進みます。急峻な崖に沿って切り開かれた道で、ようやく車がすれ違い出来るような細い道が続きます。まもなく湯沢温泉が右側に、温泉旅館が2軒ありますが、現在は両館とも休業中。温泉側に進まず直進、民家が点在する中を進むと左手に進む急坂があり、これを登っていくと古分屋敷集落に・・・高台に茶屋と小さな駐車場があり、ここが展望台。正面に忽然と男体山が聳えています。
 帰路は同じ道を118号まで戻ります。
 
 

盲帖の里:安寺・持方・・・
 男体山の東側に持方(もちかた)そして安寺(あでら)の二つの集落があります。ここは江戸時代初期に遡る歴史を持つ集落で、200年前、ここを訪れた水戸藩士岡野逢原が「阿(安)寺持方の記」を著し、文字でなく符号で年貢の台帳を記した盲帖(めくらちょう)の存在に触れています。昭和30年代にようやく電気が通じたという僻地ですが、旧家には古文書も多く保存され、南に開けた谷間の斜面に田畑を開き、200年前とほぼ同じ戸数の10数軒の農家が生活しています。 

観光情報です

*  例年、勤労感謝の日前後の休祭日は大渋滞となります。特に、袋田の滝周辺は駐車場の少ない、行き止まりの道ですから、順番待ちの状態となります。午前中に袋田の滝の見学を終えるようにします。
* 那須湯本温泉か、大子・袋田温泉に泊まり一泊旅行とすると、余裕のある旅となります。
* 黒羽には鮎を専門に扱う店があります。焼き鮎と鮎の甘露煮はみやげ物として人気があります。
*  袋田から2キロほど走ったところに奥久慈しゃも組合直営店舗が118号谷側にあります。生肉をパック詰めで販売しています。
*  東京ではあまり見ることのない山方の舟納豆の販売店が118号沿い左側にあります。広い駐車場があり、帰路の休憩所としても便利です。




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