インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

ドル安で日本は…

2011-07-31 23:55:34 | 経済
  ガソリンが151円(レギュラーℓ)になっていた。石油とて輸入品だから、1ドル76円の状況では少しぐらい安くなっていても不思議ではないのに、値上がりしているわけである。つまりドルが一方的に安すぎるだけで、円の値打ちが高くなったわけでもなく、しかしそれでも海外旅行はかなり安上がりになるだろう(意味不明な文だ)。ドル本位制が崩れているのか。

 何かアメリカで債務不履行(デフォルト)が危惧されているが、実際に格付けが下がって、米国債が売られれば、さらにドル安が進むだろう。確かに日本国債とて1000兆円以上発行されていてヤバイわけであるが、ほとんどが日本国民が所有しているため、いきなり一気に売られて破滅に陥ることは考えにくい(??)。

 しかし米国債はそうではないため、一気に売られる恐れがあるだろう。債券価格が下がれば、金利が上がるわけで、住宅ローンやら社債とかの金利も連動しているだろうから、ゼロ金利政策のはずのアメリカの金利が実質的に上がるわけである。

 金利が上がれば、カネを借りるのが苦しくなり、投資も減少し、ただでさえ悪いアメリカの景気が、絶望的なまでに悪くなっていくのであろう(増税をしても同じことなのか)。ドルは基軸通貨であるから、世界中に波及し、日本もとてつもない状態になるに違いない。

 まずアメリカを立ち直らせるために、ドルを究極まで安くして債務を帳消しにし、良くなったら徐々に再びドルが戻ってくるというシナリオであろう。大の虫を生かすために、小の虫を殺すような展開ということは…、日本はドル安で殺されるわけか??

 それでも、日本は韓国とかと違って内需が大きいし、内部で上手く凌げそうな気もするのだが…(しかし石油とか、小麦とか資源が少なすぎるし、やはり小の虫だったり…)。
 

感動!

2011-07-25 07:35:05 | 考えるインディオ
  相変わらずなカスタネダを熟読したりしているのだが、この本には感動させられる所が多々ある。中には、はなからでたらめだと見向きもしない人もいるだろうが、そういう個所に触れるだけでも、十分に元は取れると思われる。何がそうさせるのか、多分、人間がレベルアップしようとする努力というか、格闘の物語だろう。高尚な体験というのは、その成果というわけか。

 最近、なでしこジャパンが世界選手権で優勝したが、これもかなり感動させられる。日本ではそれほど人気がなく(?)、本来、アメリカやらヨーロッパの強豪に勝てるはずがないのに(?)、勝ち上がっていったからである。我々の世界は、やる前からすでに決まっていて、「どうせ…」というあきらめムードである。体格が良くて資本も桁違いのアメリカ女子「勝てるはずがない」という発想になるのだが、固定観念を打ち砕いてしまった。これは凄いことである。

 今、高校野球の地方大会が開催されているが、結局のところ、野球名門校が甲子園出場するわけである。聞いたこともないような無名高校が決勝で勝ったとしたら、これもかなり感動的であるには違いない。ピッチャー次第ではありえない話ではないかもしれないが、大抵はみんな伝統校へ行ってしまっているので、もはや世界が違うわけである。レベルの高いところで揉まれた方が、よりレベルが高くなるに違いない。そして、それより高いレベルに行くということは、普通では考えられないわけで、まさに呪術の世界なのかもしれない。、

 マンガとかでも、練習・練習で最後は涙しながら勝った!という「スポ根」物語が受けるわけで、やはり弱小集団が勝ち抜くのは、かなりの感動物語なのである。しかし現実はなかなか、そういう様子は見られない。民間企業にしても、優秀な人材は大企業に流れるし、安月給な中小企業に望みを託せないものだ(そんな感じではないか?)。小資本オーナーも大資本相手に勝とうとは思っていないのかもしれない。でかければ良いというものでもないし。

 ただ一方で、有名どころやら大会社に信頼を置き、盲目的であるところもあるし、人間とはなかなか難しい存在である。もっとも、最初はそれらも、全く無名であり、感動的なサクセスストーリーがあったのだろう。頂点に立てば、なでしこジャパンも勝って当たり前となってしまうところに、「本当の実力」というものが晒されるわけである。

 一発屋の歌手やら作家は、花火のような存在なのか。それでも十分感動させられるが。

 

経済の氷河期

2011-07-14 05:42:17 | 経済
 今、1ドル79円のようである。78円台にまで上昇したらしい。イタリアの財政不安で、ユーロが売られたようである。

 かつて、カスタネダの泥沼にはまっていなかった頃、ドル安の要因 ~70円台に突入か~なる記事を書いたが(これで結構アクセスされている!)、70円台に定着し、そのうち60円台に突入するのかもしれない。かといって、それだけ円の価値があるのかどうか、疑わしい。輸入品である?石油の価格は下がらないし(金の価値も高いし)、通貨の価値そのものは減っているようだ。

 輸出企業は海外へ逃げていくしかないのか。国内産業の悲鳴が至る所から上がっているのだろうが、朝、窓を開けても、他の動物の鳴き声しか聞こえてこない。人間は我慢強いし、「その先何とかなるかも」という楽観性も持っているため、何とか生きているのであるが、会社経営とかは借金に金利がついて雪だるまになるため、限界というものがあるだろう。

 赤字だから潰せるわけでもなく、ただ借金を返済するために事業が継続されていく。資本主義社会は、作ったり売ったりするのは勝手であるが、売れるかどうかは全く保障されていない。自由の代償といってしまえばそれまでだが、経済環境というのは自分の力ではどうすることも出来ない。

 日本経済の氷河期なのかもしれない。どんなに頑張ろうと、恐竜は絶滅し、一部の哺乳類だけが生き残れるというわけか。朝っぱらから変なことを考えているが、そんな苛酷な状況の中で、呪術というものが生まれて生きたのかもしれない(やっぱし話がこっちに進む)。

 「世界はまずエネルギーであり、物質であるということだ」とドン・ファンは語るが、我々は具体的な事物を追いすぎているのかもしれない。無限なる宇宙のエネルギーの一部を、せっせと物質化し、換金している我々は、いったい何ものなのだろう。

 よりよく生きるということは、より良い物質生活に浸るというように洗脳されているような気がする。最低限のものさえあれば、後は精神的なところによるのが大きいのではないか。人間は意識の生き物。

 もっとも、その最低限のものを手に入れるのがなかなか難しくなってきているのだろうが…。
  

不協和音

2011-07-12 06:18:53 | 考えるインディオ
5時過ぎから起きているが、既に蝉がじりじり鳴き始め、海辺のアパートはじわじわ温度が上がりつつある。昨夜も寝るときだけ冷房をチョットしたが、「もう勘弁してくれ」という感じである。早朝が一番快適で、何か書こうと思うが、カスタネダの読み込み過ぎで頭がおかしくなっているため、何か普通の文章が書けない。「呪術とは普通では掴めない何かを掴もうとする行為である」、とか上手い具合に表現されているが、砕いて言えば、「呪術とは頭をおかしくする行為である」、に違いない。

 呪術の道を行くということは、自分をおかしくする戦略を練ることであり、「いかに普通とは違った状態に自分を導くか」である。朝っぱらからこんなことを考えていると、毎日の生活の中で、「まさかこんなことになるとは…」と思わされるシーンが少しぐらい現れる。

 論じるなら、「奇妙な音」である。

 現代文明があるリズムを持った明るい音楽であるとするなら、我々はそれに耳を傾け、溶け込もうとしているし、楽しくそれで生活している人も多い。

 しかし、天邪鬼というか、偶然入ってきた不協和音に注意を奪われ、そっちに引き込まれていくケースもある。そうなるなら、現代文明の音楽は耳障りで、消してしまいたい衝動に襲われるかもしれない。しかしそれは無理なので、自分から遠ざかるわけか。羅漢寺のような山奥で、不協和音の芸術に浸り、ひっそりと生きていく…。

 カスタネダの書物がどこまで真実なのかは不明であるが、世界観としては完ぺきに近い呪術の体系で、「本当にエネルギーが見えるのではないか?」と思わされる。見るといっても目で見るのではなく(第三の目か?)、見ること自体はそんなに難しくないらしく(思うように集合点の移動や固定させるのが難しい?)、とにかくエネルギーを蓄えること、こうやってグダグダと考えないこと、である。

 エネルギーを蓄えるということについては、余計なことに神経を使わないだけでなく、仙道にある練丹法のようなことを実践しなければならないのかもしれない。

 不協和音の泥沼に足を突っ込み、ずぶずぶと嵌まり込んで行っているのかもしれないが、本人は楽しくて楽しくて仕方がなかったりするのだから、そういう世界にたくさん人が集まるのだろう。

 そんな楽園を異垣間見せてくれるナワールは存在しないが、そういう世界にただ気づいていないだけなのかもしれない。

田舎の夏

2011-07-11 06:20:50 | 身の回り

   週末は森林浴しながらカスタネダを読み、田舎で過ごすした。我が輩の部屋の真下は、農作業的な倉庫になっており、毎年ツバメが巣を作っている。蛇にやられることもなく(場所からして当然か)、今年も何匹も育ち、朝から鳴いているが、集団で並んでいる時の写真を近くで撮ろうとすると逃げられる。カスタネダの本にもあったが、野生動物は人間のいる所には決して近寄ろうとしないようで(巣作りだけ借りているのか)、気配を感じたらすぐに飛んでいくのである。何とか一匹撮れた。

 

 それにしても夏は清々しく、小学生の頃から夏の感覚は変わっていない。空に斑な雲が漂っていた。

 

 「集合点」が変わらなくとも、田舎にいれば都会にいる時とは違う世界を感じられる。森林浴に向かう途中、やはり今年のヒマワリが咲き乱れていた。

 

 退屈ではあるが、カスタネダの世界に耽っていれば、それで勝手に満足し、時間は過ぎていく。

 もっとも、田舎暮らしも決して楽園というわけでもなく、親父の作ったトウモロコシ(少々)は獣に食い荒らされたようだ(残念)。

 

 相当な山奥で、ひっそりと暮らしたいという願望を持ってはいるが、そこで作物を作って自給自足をしようとしたならば…、

 イノシシの餌を作っているようなものかもしれんわい(ショバ代を払うようなものですか)

精霊の旅③ 湯平温泉

2011-07-06 05:34:38 | インディオ号の足跡+旅・魚釣り
  昨日は18時に異常に閲覧されたようだ(1時間で550PV…)

 さて、精霊の旅というか、放浪の旅というか、ただの観光地巡りなのだが、羅漢寺→ 男池と行き、これ以上南下すれば戻って来れなくなるので、戻ってくる途中、「湯平温泉」に寄ってみた。「黒川温泉」を髣髴させるところがあるが、こっちはかなりレトロな感じがあり(ただ寂れているだけか?)、カネが回っているような印象がなかった。観光客は誰もいない。

 

 旅館が多く、かつては相当栄えた温泉郷だったのではなかろうか。

 

 景色は綺麗で、映画村として復活する手があるかも。

 

 帰りに寄った、豊後高田市にある「昭和の村」(全国あちこちにあるようだ)にならって、「昭和の温泉郷」にすれば…(懐かしい過去のトリップして温泉に浸る)とか思いながら坂を下りる。

 

 過去の郷愁に耽って、客が来るのを待つより、「独創性」が必要だ、いっそのこと、「インディアン村」とか「江戸村」とか「仙人村」にするとか云々考える。誰もいない中、ツバメが元気よく鳴いていた。

 生命力のない温泉街の中、ギャーギャーと二羽のツバメが、全生命力を振り絞ってホバリングしている。何事かと思い、ツバメの騒ぐ方向を見ると、とんでもないことになっていた。

 

 助けようにも、棒切れもなく、すでに腹の中に入っているのか…

 

 悲しいかな、これが今回の旅で一番印象に残ったことかもしれない。親ツバメは愛情を込めて育てていたのであろうが、その命は奪われてしまったのである。泣き叫ぶツバメの姿は、人間も、鳥も、同じなのだろうと思わされた。

 蛇に食われた雛鳥をみて、津波で死んだ子供を連想する。それはインディアンも同じで、大蛇を神と崇め、偉大なる力を感じ取っていたわけである。蛇=不吉=死神のシンボル、と遠ざけてしまえばそれまでだが、我々人間は皆死ぬわけで、遅かれ早かれ、死の蛇に飲み込まれる運命なのだろう。

 カスタネダは無限をイーグルと喩えていたが(古代メキシコの呪術師か?)、多分、ヘビにも喩えられていたのではないか。なにせ、ケツアルコアトル(羽毛あるヘビ)、コアトリクエ(蛇のスカート)…、ヘビだらけの文明である。

 こんな壮絶な、シンボリックな光景を目の当たりにすると、「もっと死について意識しろ」とでも精霊にささやかれているのかも。

 ただエネルギーの塊(ヘビ)が、小さなエネルギー(雛)を飲み込んでいるだけである、と冷めて考えられれば楽なのだろうが…

 あまりにも残酷な光景でした(旅の記事はこれで終わりです)

精霊の旅② 羅漢寺 宇佐神宮

2011-07-05 06:04:07 | インディオ号の足跡+旅・魚釣り
  九州の東側、国道10号線を少し外れたところに、観光の名所がある(耶馬溪)。行きにちょこっと寄ったわけであるが、まあ、大分県は見る所が多い(男池もそう)。

 さっそく、青の洞門が聳え立っていた。

 

 さらに、羅漢という修行僧の寺があり(曹洞宗)、どんなところで修行したのかとリフトで登ってみる(スキー場か)

 

 とんでもない隔絶された場所に寺があった

 

 祈願しゃもじを掻い潜って写真で羅漢仏を写す。

 

 格闘しながら悟りを開いていく姿??が表現されているのか。

 

 内的沈黙の中で、彼らはエネルギーを見ていたのだろうか。普通の目では、この光景を眺めていたのは確かなようだ。

 

 続いて宇佐神宮へ行く。韓国の団体観光客が押し寄せていた。

 

 えらい馴染み深く感じる。水晶の入った携帯ストラップを買った(本物か?)

 

 雷と雨が降り、空間が一気に神秘的となる。

 

 蒸し暑かったが、一気に涼しくなったわい

  

 神社だから何度も訪問客が来るが、たいがいの観光地は寂れている。温泉地もである。

 グローバル化とか時代の波に飲み込まれているわけで、そういう地域を目の当たりにした(精霊の顕示も)。

 次回は大変ショッキングな話になると思われます(とんでもないものを見てしまいました)

精霊の旅① 男池

2011-07-04 05:34:32 | インディオ号の足跡+旅・魚釣り


 また例の森林浴か、と思われるかもしれないが、これは違った場所の写真である。男池という原生林のところである。結局、最高、この辺りまで行った来たのであった。

 清掃費100円で入場し、富士樹海の自殺志願者のように、山奥へと歩く。ルートは整備されている。

 

 小川が澄み切っており、名水の滝へと流れていく。

 

 日常生活から解き放たれ、カメラ片手に散策する。カメラなんか持っていては、気が散るのであるが…。

 

 男池につく。水の色が神秘的に青い。

 

 ベンチがあったので、寝転ぶことにした。ピラミッド水晶を手のひらに乗せると、キラキラ光り、見つめると吸い込まれていく。

 

 辺りはこんな感じである。真上が、冒頭の写真。こういうところにテントでも張って住んでみたいものだ。

 

 精霊が呼んでいる。さらに進む。

 

 名水の滝があって、道路に続いていたのであった(しかし来た道をそのまま戻った)

 

 ちなみに場所はこの辺で→男池湧水群、ここまで来るのには覚悟がいるかも。拠点は、肩胛骨付近が痛いので、別府保養ランド付近の安宿である。二日ぐらい泥湯に浸かったら(紺屋地獄)、えらい肌がすべすべするようになったわい(広島の温泉?とは全然違うぞ)

 かくして、精霊の旅?の紹介は続くのであった