ひまわりママの脳腫瘍闘病記2

~ひまわりのように いつも おひさまのほうをむいて~
28才で発症した2人のママ。4度のオペを経て身障1級になりました

久しぶりの痙攣

2009年07月27日 | もとの地へ 5回目の再発(16~18クール中止)
木曜日、痙攣が起きました。すごく久しぶり!セルシン打たれたの1ヶ月ぶりくらいだったんじゃないかなぁ。
もうすっかり落ち着いて、そろそろリボトリール減量しようかと話してた矢先だったので、ビックリ&ちょっとショックでした。

このところ気が向いた時は、読書に耽り、読みだすと止まらなくて少々睡眠不足だったので、昨朝は遅く起きた上に、読書か睡眠か迷ったあげく、ガマンして読書を睡眠を取ったのにぃ…と悔しくもあり。

はじまりが今までと違いました。
お昼頃目が覚めた時が変で、「あ゛~、もぅどうにかして~」と叫びたくなるウズウズ感。
どうにもならない不快感に苛まれ、自分の両腕にギュッと締め付けて唸ってたので、見かねたダンナに「セルシン飲んでみたら?」と言い、飲んでみました。

そのうち正体顕る!というか、不快感の源が左腕に顕れ、だんだん左腕がビクビクビクッと釣られた魚が跳ねるように、すごく大きな力で衝動的につき動かされるようになりました。
こんなの初めて。

病棟直通電話にかけて主治医に指示もらおうとしたのですが、あいにくオペに入ったばかりで腫瘍チームの先生は誰もいない、とのこと。
今腫瘍チーム、手薄だからなぁ。。

次に頼るは地域医療の先生で、携帯に電話したら我が家からかなり遠いご家庭に往診中。
今から点滴入れるところだから、先生から訪問看護ステーションに連絡して看護師を寄越してくれると。

そのうち左手のビクビクは治まり、いつものというか、口と右手、お腹と首もつっぱって痙攣が拡がってきたので、これは絶対自然に止まらないと、セルシン2錠目を自己判断で飲みました。

訪問看護師が着いた時は右足にも痙攣が来ていてほぼ全身。看護師さんが往診中の先生の指示で、セルシン半投筋注しました。
最近セルシン使っていなかったからか、かなり効きましたが、右手の震えは残りました。

わたしの感覚では、、身体の芯、神経の内側に「痙攣の素」が残っていると、また必ず痙攣が出てきます。
手はだんだん止まったのに、案の定25分でまた口が大きく空いてきて首が反り、口顎などに痙攣が戻ってきました。
まるで麺を茹でてる「差し水」みたい。

よそのお宅に行っていて後から行く、と言ってくれていた先生が到着し、完全には止まっていない痙攣を完全に止めようと、セルシンをもう半投筋注しました。
今度はかなりキチッと止まった感じで、そのかわりすごく身体がだるくなり、ぐったり4時間寝ました。

起こされたら8時。
まだ起き上がるにはだるくて、ベッドアップして少しだけ口にしました。
あまりに少ない、もう少し何か食べなと言われたので、「小さいおにぎり作って」といーたんに頼んだら、全然小さくないラップに包んだ団子のようなごはんをドンとつき出されました。
「これがおにぎり?海苔もなし?いーたん、ちゃんと三角に作れるのに。小さくって頼んだのに」
まぁいいや。一抹の不安を抱きつつ、1口2口食べてみると、塩もついてないおにぎりとは言えない代物…
パパが「お前、ママにそれはないだろ。せめて塩にぎりくらいにはしてやれよ」
やり直して持ってきた時には塩だけはついてました。
…反抗期ですから…
はぁ…。

一昨日の外来にて

2009年07月20日 | もとの地へ 5回目の再発(16~18クール中止)
あっという間にコメントがたくさん!
驚きました。こんなにたくさんの方がなかなか更新できないブログを毎日チェックしてくださってて。それに反してわたしは…(-"-;)

わたしはその応援やお祈りに支えられていただいてきました。
とってもとっても感謝しています。

ひとつ気づいたことがあります。
更新する前に次々日にちがたって、丸々2週間かかってしまったけど、その間毎日開いてくださる方がいる。
更新に時間かかって2週間心配かけ通しよりは、受診日など内容が長くなる日は分割で書けばいいんじゃないかと。

これからは心配かけないように想いをちょくちょく更新しよう。
それが皆さんへのわたしのできる恩返しかなって。…できるかどうか、わからないけど(^_^;)


木曜日は元気に外来に行ってきました。
本来は水曜日が腫瘍外来なのですが主治医はオペだったので、わたしは木曜日に振り替えて診てくださることになっていました。
待っている間に具合が悪くならなくていいように、またゆっくり時間かけて話せるように、いつも最後の予約です。
ありがたい配慮。

木曜日は特別だから誰もいなくて受付に看護師さんだけが待っていました。
「体調はどう?先生は急に外勤になっちゃったから少し待っててって。横になってる?」
「ううん、大丈夫。この前もあの後院内で寄り道したけど、痙攣にもならなかったよ!」
「すごいじゃん!」

他愛ない時間つぶしのおしゃべりから、『あの後』つまり先々週の診察後の話題になりました。
わたしに告知し、診察終了後、誰もいなくなった診察室で主治医はぽつんと「これで本当によかったのかな…2週間ずっと考え悩んだ末だったんだけど…」と外来のナースに洩らしたんだそうです。
「そうだったんだぁ…先生…」
「珍しいよ。あの先生のほうからそんなこと口に出すなんて」
冷静な先生もずっと心の中で葛藤があったんだ。
教科書通りの経過にいかない患者に、何が最善かと先生もかなり悩んだんだ。
ふと、前の主治医だった先生で、今は別の病院で勤務医をしている先生から一昨年もらったあるメールを思い出しました。
4回目の術後に痙攣続きだった頃もらったメールです。

『だいたい医者の仕事ってたいていはお祈りですよ。手術して良くなりますように、とか、点滴して良くなりますように、とか…。以前E先生(わたしの主治医とは学生時代からの同期)ともそうよく話しましたっけ。祈ってでもよくなってほしいから、見に行く、考える、悩む…それがいい結果になると信じてます。それが僕らの脳外科医局の教育だったといま思います。
なんかいらんこと書いちゃいました。何しろ遠くから祈ってますよ。』

先生たちの患者さんに対しての姿勢、治療に対しての姿勢にとても心打たれて、保護している大切なメールです。

主治医も同じ想いなんだと思います。
テモダールでは必ず重積痙攣を起こしてしまう処置なしのわたしの今後の治療を真剣に悩み悩んだ末に『大切な時間を有効に過ごせるように、敢えて何もしない』ことがわたしのためと信じて強く言い切ったんだと思います。

カンファレンスでも教授に反対意見を言える勇気を持つ先生だからこそ、何もしないことが最善と判断し、断念したんだと思います。

もしかしたら、先生にも迷いがあるかもしれません。
でも主治医にいつまでも迷いがあると、患者はもっと迷走してしまうのではないでしょうか。だから主治医は言ったことを翻すことをしないのでしょう。

人生は一度きり、やり直しはできません。
診察台に寝ながら話しを聞いているわたしの角度からは、処置室に通ずる奥の通路で、昔脳外病棟で今パートで外来勤務してる懐かしいナースがそっと涙を拭っている姿も見えました。

話しが前後しました。

さて、外勤先に電話が鳴り、まだ終わらないから、先に昼食に行ってきて、と先生から。
先生もお腹空いただろうな。いつもそう思ってしまいます。い
約束の時間に戻ってほどなく、お待たせしてすみませんでした、と先生も来ました。
「今日になって行く人が誰もいなくてね。行きたくなかったんだけど」
「さて、2週間どうだった?」
前回に引き続き、1度も痙攣なかった!と言うと、先生もうれしそうでした。
「一度も。あ、1回車椅子に座ってしゃべってたら、突然左手が大きく揺れて、左手だと確認できました。すぐ消えたけど」
前回の外来で、夜中睡眠時に何度か手が大きく揺れて目が覚めた時があり、すぐに消えたから毎回どっちの手かわからなかったけど、たぶん左手だったと思う、と言っていました。
起きてて左手に起こったその一件で、寝ぼけや夢じゃないとわかりました。
でも手足の動きをみて「特に症状の変化はなさそうだね。この分なら次回くらいにリボトリール減量できそうだ」と言われ、喜んでたら、今日じゃないよ、と念押されました。(-o-;)
8月のMRI見てからのがいいか、とも。
早く1日7錠になれ~!だって眠いんだもん。

不安で眠れないとかないか、みたいなこと聞かれてわたしが「?」の顔したら、要は前回の告知を気遣い、精神科のケアが必要なら脳外科の後にかかれるように話しをつけてあるということでした。
わたしはそういう必要性はあんまり感じないかなと言っておきました。

1年

2009年07月15日 | もとの地へ 5回目の再発(16~18クール中止)
先々週は外来に行っていました。
言葉が出づらい、間違う、が気になっていたので、どうしても主治医と話したかったのです。

最後を狙って遅く行ったのに、まだ数人待っていました。
外来受付にファイルを出すと、看護師さんが即「ベッドで休む?」
ありがたいけど、何だか笑えてきちゃいました。
そうよね、待ってる間や診察終了後に具合悪くなって、診察台に寝かせてもらうこと多いもんね(^_^;)感謝感謝。

まだ大丈夫と言うと「今日はだいぶかかるよ~。しかもみんなひまわりさんと同じ先生の患者さん。1時間は待ちそう。食事に行ってきてもたぶん大丈夫だよ。行ってきたら?」
そこで院内レストランに行きましたが、わたしは朝が遅かったからか、まだお腹空かなくて売店でパン1つ。心理的に食欲がなかったのかもしれません。

1時間後に戻ってもまだ待っている患者さんが一向に終わらないので、肝心の時にガクガクっちゃったら何にもならない、と無人の診察室で横にならせてもらっていました。


横になっていたわたしに先生のほうが診察室を移動してきたのは1時半。先生もお腹すいたろうなあ。
「長くお待たせして申し訳ありませんでした。今日はじっくり話そうと思ったので」「長くなるから疲れると思うから横になったままでいいよ」と身を起こしかけたわたしを制し、寝たままで診察が始まりました。

問診ではセルシン飲むような回数にも週1回程度に治まっているし発作も弱くなってる。
微妙にいつまでも口内にあることもあるけど、下顎の震えに発展しないからいいかなと♪

でも、『前にならえ』のように両腕をまっすぐ伸ばしてみたら、入院中は左腕も3分の2の高さくらいは伸ばせたのに、左腕はせいぜい半分にしか上がらないことに気づいた。
そう言ってやってみせました。
こちらに戻ってからはリハビリもしなかったかもしれないけど、4月にテモダールで入院した時は左右差こんなになかった。…ように思います。


そして前回のブログにアップしたとおり、言葉の間違いや重複が多くなったことを、実例のメモを見ながら伝えました。
「失語だね」
「っていうことは…」
「そう。進行してると思う」
4月はじめと6月はじめに撮ったMRIでは、画像上と比較してほとんど変わらなかったのに、言葉が出にくい、間違うという失語の症状が多くなってきたのは、再発部位の運動野で言語野に隣接しているから腫瘍の動きが活発になってきているかもしれません。

言語野の症状が進行してる証だと自覚して心配になったのも、重複が急に増えたと感じるのも、定かではありませんが6月のテモダール中止後くらいからでなかったかと思います。
車椅子で生活していて、歩くリハビリもしてないから、運動野に目立った症状が分からないかもしれませんが。

ただ、ディロテップパッチ(モルヒネに似た作用がある)の量は変えないのに、左足(脚)がジンジン痛いとか突然激痛になるとか、冬になって寒くなってきたかなぁと強いて思ってきたものの、季節はすでに夏。痛みが増しているのは感覚野の状の進行なのかも。

もともとが左利きで小さいとき直した右利きと、初発のアンギオ(カテーテルの検査)で左右分業しているようだからか、病巣が左なのに言語障害が出ているのかも?と言われました。


主治医からはもう何もしないといわれ、その方針に従うのも納得していましたが、早々と症状が現れると心配になり、MRIはまだ先の8月だし、入院して痙攣を抑えながらテモダールを飲んで、万一重積痙攣が止まらなかったら、あのディプリバン(静注麻酔薬)を使うことまでも覚悟して進行を少しでも遅らせる方策を取るべきか悩んでいましたが、先生は重積痙攣が起こることがわかったんだから、テモダールはしない。
仮に入院でテモダールを1回だけしても、重積痙攣を抑えて落ちつかせるのに1ヶ月以上はかかってしまうだろう。
今回2日目で中止したけれど、次のクールやるとしたらもっと重積痙攣は強く出るだろうし、28日周期での投与はたぶん不可能だ。
それに病院のベッドに縛られ、おうちでご家族と過ごすことができなくなってしまう。

ひまわりさんもご存知の通り、テモダールは1回で効果はない薬。
無駄とわかっていることをひまわりさんの残された時間を病院でそんなことに費やすことは、たとえお願いしますと言われても僕にはできない。
今まで選択肢を出してご本人に選んでもらうとか、好きにしていいよ、とか言ってきたけれど、今回はそうはいかない。
これが僕の2週間考え続けてきた答え。
テモダールは僕にはできない。…説得でした。

そして「今さら言われてもよくわかってらっしゃるから」「ご本人を前にして、言いにくいことだけど」と前置きして、
「余命1年前後。それより長くなることも短くなることもわからないけれど。ある時期が来たらステロイド投与始めます」と言われました。
リンデロンだっけ?開始の目安って何だろう?

この病気の予後はわかってたことながら、あの先生らしくさらりと余命1年、有効な時間は数ヶ月と聞いて、さすがのわたしも動揺して質問できませんでした。

診察室から挨拶して廊下に出ると、隣の歯口科の長イスに、去年異動になった6年間もわたしの担当看護師さんがお休みで、親知らずを抜きに来たのをばったり会いました。

少し喋っていたら、9年のうち6年の闘病を支えてくれたかと思うと急にこみあげてくるものがあり、我慢しきれなくなって、彼女の腕につかまって、下を向いて黙ってポロポロ泣きました。
廊下に大粒の涙がいくつも落ちました。

しゃべりにくい

2009年07月02日 | テモダール(14~16クール)
しゃべりにくい。
4回目のオペ以降、なめらかにしゃべれなくなったわたしだけど、最近特にそう感じます。

つっかえる。
口が回らない。
言いたいモノが映像として頭に浮かんでいるのに、言葉が出てこない。

どんなところで間違うのか、何がパターンがあるのかと探りたくて、忘れないうちにちょっと書き留めてみたことがあります。

『辞めとこう』と言うはずが『辞ベとこう』
『明らかに』が『明レかに』
『しゃべれない』と言うところが『しゃべラレない』
『せんたくたためば』が『せんたイクたタマエ』
『もっと早く飲んでたらよかった』(セルシンのことでしょうね)と言いたかったのに『もっと早くヨットケバヨットケバ』
『何にもならないよ』と言うところに『何にもナンニモ』

語尾が2つに重なる、例えば『よかったよ』が『よかったよヨ』や『したのの』『したらら』は顕著で、以前にはなかった最近の症状。
『よよ』『のの』が増えてきて、自分でも気になりだしたら、『何にもナンニモ』のフレーズ単位で重複するようになったと思います。

少なくとも4月のテモダール入院では、しゃべる、つっかえるのは相変わらずの程度、6月に重積痙攣で中止になった頃から、痙攣がない時にも口の回り具合が気になるようになりはじめたと思ったように思います。

『よかったよよ』のように重複や言葉の言い違いが多く気になりだしたのは6月中旬頃からでしょうか、その症状は確実に増えています。

活用形がおかしくなって『~すれば』のはずが『~シれば』になったり、
『タオルはママが全部たたんだから、自分の物くらいはたたみな。パパが大変だよ』と言いたかったのに『タオルはママ(続きが出なくて)…たたむ…(続きが口言葉にできない)』
『えっと、あれ、何だっけ?』という物のイメージが頭にあって言葉にならないド忘れの類はばしば。ま、これは皆さんにもありますよね?

今までよりしゃべりにくくなった、と外来で言えば、「例えば?」ときっと訊かれます。
その時たぶんなかなか思いつかないな、と思ったから、書き留めておいた一部。言い間違った言葉なんてその場で訂正して「あぁまた。ハァ」思っても、よほどインパクトある間違いでない限り、後から思い出すのって難しいから。

共通性は重複程度しか見出せませんでしたが、昨日は2週間前から「今度は行きたい」と宣言していた外来だったので、書き留めていたメモを持って、テモダール中止後初めての外来に行きました。
重積痙攣から退院でまだ10日程度の外来は、痙攣もまだけっこうあり、「距離もあるし疲れるからまた痙攣起きちゃうよ。行くのはやめておいたほうがいいと思う」と訪問看護師さんにアドバイスされ、また主治医も退院時から「ご本人はこの距離を来るのが負担なんだと思う。また痙攣起きるかもしれないからどっちでもいい。ご主人さんは来て様子を聞かせてください」と言われていて行かなかったので、昨日の外来は考えることも時間もたくさんあって、その分悩ましくもありました。