社会復帰を目指して  クリスチャンのつぶやき日記  躁うつ病・高血圧・変形性ひざ関節症の病と格闘しています(*^_^*)

私はカトリックのクリスチャンです。キリストの目線で日々の津々浦々を愚痴ったり、感謝したりを綴っていけたらと思います。

インドでの経験

2015-10-27 13:07:59 | 信仰
 私がまだ二十代前半の頃、仕事場で知り合った友達に、インドのマザーテレサが創立した「神の愛の宣教者会」が行っている活動にボランティアで参加してみないかと誘われました。

 私はクリスチャンだったし、友人は英語が出来たので、即OKしました。私の初めての海外旅行です。けれども無謀にも、私は英語がからっきし駄目でした。

 インドは物価が安く、日本での100円は向こうでは1000円の価値になります。それに私は、カレーが大好き!毎日食べても飽きない人なので、食べる楽しみも旅行の醍醐味の一つとなっていました。
 
 機内で食べた、カレー料理は本当においしくて、10時間かかった中でベジタリアン用の食事とマトンカレーの両方を頂きました。とてもおいしかったです。

 独りのスチュワーデスさんが、何故か私に興味を持ったらしく、全く分からない英語でいろいろ話かけてきます。私は、異文化に触れるのは初めてだったので、何を言われても分からず、???だったですが、とても嬉しかったことを覚えています。けれど、何かすっとんきょうな事にYESと答えてしまったのでしょう。スチュワーデスさんは、びっくりして、大笑いしながら去っていきました。無念です。

 私達はツアーに乗って行きました。往復渡航日にちを入れて10日間の海外旅行です。全部で10万円ほどで行けました。添乗員さんが、ネパール出身の方で、日本語が堪能。明るくて親切で、気持ちよく旅行が出来ました。

 ツアーに参加したのは、全部で三人。私達二人と北海道から来たという学生さんが一人。とても良い方だったのですぐに打ち解けました。

 スケジュールとしては、午前中はボランティア活動。午後は観光となりました。本当は午後もボランティアしたければ出来たのですが、暑さに負けたのと、せっかく来たのだから、いろいろ観光したいと思ったのです。

 修道会の本部が、ホテルから歩いて10分ほどの所にありましたから、毎朝ミサに与ることが出来ました。本来ならば、マザーテレサが一番後ろの席で、観想にふけりながら、静かにミサに与る姿を見れるはずでしたが、体調を崩し、入院中とのことで、お会いすることが出来ませんでした。世界中のクリスチャンが心配している中、私達が滞在中に退院となり修道会に戻って来られましたが、安静を取られ、やはりお会い出来ませんでした。

 『死を待つ人の家』には、シスター方の厚い看護を受け、口だけは元気になった叔母様方がたくさんいました。言葉は分からなくても、私がどうしたものかと迷っていると、身振り手振りで、教えて下さいました。皆さんとても親切でしたよ。

 糞尿にまみれ、死にそうな半病人が運ばれてきたこともありました。一人の若いシスターが、顔をしかめる程の状態でしたが、マザーテレサの、『死ぬ時くらい愛を感じながら死なせてあげたい』という強い信念のもと運営されていました。

 一番印象に残っているのは、院内の大掃除です。私達は、必死になって床掃除を行いました。床はコンクリート。その上にシートを広げ、患者さんたちが寝ているのですから、凄いなと感心しました。貧しい人達はベッドなどに縁がありません。床に眠るのが基本となっています。生まれた時からそうでしたから、柔らかいベッドなんぞに寝る習慣がないので、ちょうど良いのだそうです。

 それにしても、英語が全く理解出来ないにも関わらず、よく一週間も多国籍の人たちと共に楽しくボランティア出来たなと自分でも感心してしまいます。休憩時間にヨーロッパから一か月ほど滞在している女性とおしゃべりする機会がありました。友達に通訳してもらいながらのおしゃべりでしたが、暑いね~・・・とか、しんどい・・・とか、自分が泊まっている部屋にはクーラーが利いていないとかの話題をしたのを覚えています。他にも、みんなで集まって楽しい時間を過ごしました。

 外国式の挨拶にも慣れました。自己紹介する時、頬とほほを寄せ合いますが、私はキスするべきなのか、それとも、触れ合うだけでいいのか分からず、ドギマギしました。結局、どちらでもいいことが判明するのですが、とても温かい気持ちになりました。

 他にもハンセン氏病患者の家とか、幼い子供達を育てている家とか、様々なところを添乗員さんが連れてってくれて、勉強になりました。彼は、ネパールに来ないかと誘ってくれたのですが、お金が無いのでご辞退しました。

 食事は、私達が宿泊しているホテルのレストランだったり、本格的なインド料理が食べられる高級レストランだったり、中華料理店にも連れて行ってくれました。朝ご飯は、基本、修道会の本部で提供してくれるバナナとパンとチャイを飲んで軽く済ませました。

 ある日、ボランティアの中心人物とも思しき人が何かぼやいています。何を話しているのか友人に聞いたら、「日本人は英語を勉強しているはずなのに、全く理解していない。」との不満をもらしていたそうです。思わず、自分のことだと悟って恥ずかしくなりましたが、そこは私、言いたい奴には言わせておけという感じでした。

 また、こんなこともありました。暗い部屋からヒンズー語の音楽のメロディーを歌っている声が聞こえてきました。添乗員さんに聞いてみると、亡くなった人がいて、その方がヒンズー教徒だったので、ヒンズーの儀式にならい、遺体をとむらっていたそうです。

 コルカタの町は本当に貧しい町で、家々に窓という代物は存在せず、家の中でたきぎをして、夕飯の用意をしている様子が確認できました。治安が悪いため、スーパーやホテルの入り口には、銃を持った警備兵が、しかめ面して立っていました。余りに貧しくて、電気なぞ使える家などありません。夜が来れば真っ暗闇です。夜明るい光を灯しているのは、お金持ち相手のお店のみです。

 貧富の差が激しく、お金持ちの人たちは、美しい絹のサリーを身にまとい、街中をかっ歩していました。ひと目で貧しい人達かそうでないかが分かりました。

 一週間のボランティアを終え、私は英語好きに変身していました。私も英語を勉強して、個人でインドへ行き、長期滞在してみたい。私のその夢は現在進行形です。でも、イタリアのヴァチカンにも行ってみたいし、フランスのルルドにも行ってみたい。気が多い私です。

 本当に充実した一週間でした。神に感謝です。通訳してくれた友人にも感謝!インドは私の第二の故郷となりました。


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2 コメント

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素晴らしい体験 (ろこ)
2015-10-27 13:26:10
こんにちは。
 素晴らしい体験でしたね。
 英語ができればなおさら良かったのかもしれませんが、真心は語学を超えます。
 英語はインドでは公用語でもあると思いますが、土着の人たちは、英語よりも地元の言葉で話すのだと思います。
 だから英語を話すのは階級の上の人か、ボランテイアの人同士の意思の疎通の手段で必要なモノでしかないと思います。
 ボランテイアの目的はマザーテレサの、『死ぬ時くらい愛を感じながら死なせてあげたい』という強い信念の元行われるものですから、語学は二の次三の次だと私は思います。
 ペトロさんの思ったが吉日とばかりにインドへ行ったのは素晴らしいと思います。
Unknown (イエズスのペトロ)
2015-10-27 14:26:37
ろこさん、コメントをありがとうございます。
確かにインドでは、英語は公用語です。貧しくて学校に行けない子供達は土着の言葉で事足りますが、学校に通える子供達は、貧しくとも、必ず英語を勉強するのだそうです。

インドへ行って思ったのは、ただ楽しいと思うだけでなく、多国籍の人たちと、もっと深い話しがしたいという欲求が私の中で芽生えたからです。ボランティアに来た人達は何かを求めてやってきます。愛を与えに来たつもりが、愛を与えられていました。そのような体験の話を様々な国籍の人達と分かち合うことで、信仰を深めることが出来たならば、本当に素晴らしいことだろうなと確信を得たからでした。

実はこの後、7年後にインドに2か月ほど、やはりインドで障害者施設のお手伝いボランティアに参加したのですが、一緒に行った人が英語とスペイン語がぺらぺらの人で、仲間の人達と、とても深い話しをしているのを見て、寂しさを感じてしまいました。

インドの人は良い人ばかりで、私が一人ぼっちにならないように、優しい言葉をいつも投げかけてくれました。何を言っているのか分かりませんでしたが、真心だけは伝わりました。私はインドの人達が大好きです。いつか恩返しが出来たらいいなと思っています。

コメントありがとうございました。
ろこさんが、先日ブログで教えて下さったように、まず基礎から初めて、文法をマスターしてから、スピードラーニングに挑戦してみようと思います。

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