埼玉 寄居町・深谷市・熊谷市 ピアノ教室Andante/アンダンテ

~「音楽は楽しい!」から「本物の音楽」へつながるレッスン~

心の脱力

2010年03月03日 | こころ
ピアノを弾くうえで、脱力できるかどうかは、
体にも心にも大きく関わってくる。

脱力できていないと、弾けば弾くほど体が硬くなり、痛みが出てくる。
そうなると、うまく弾けないし、弾いていても精神的に辛くなる。

でも、逆から考えてみると、

「弾けない」「辛い」と思って弾くから、体が硬くなる。
「脱力しなくては」と思うから、脱力できない。

体を変えれば、気持ちが変わるし、
気持ちが変われば、体も変わる。

まるで、鶏と卵の話


生徒たちでも、
練習していなくても全然平気な子は、言わなくても脱力できていて、
一生懸命練習してくる子のほうが、力んでいたりする。

私が、ボディ・マッピングの先生に言われた
「一生懸命練習したらダメ」とは、こういうことかと思う。



先日、私が自分のレッスンに行ってきた日のこと。

その日は、2曲のうち、1曲を見ていただいた。

見ていただいていないもう1曲に、どうしても弾けない左手の難しい箇所がある。

レッスンから帰って、それを試しに弾いてみたら、弾ける!


今まで、まともに弾けたことないのに

レッスンで見ていただいていないのに



レッスンで見ていただいた曲の応用ができたこともあったと思うが、
それよりも私は自分の“心の脱力”を感じた。



レッスンで腕が楽になる使い方を教えていただいたことで、
「これなら、思ったイメージで弾ける!」という自信が持てた。

楽譜に書かれている記号に支配されているので、多少無視してもいいから、
“自分の音楽”に耳を傾けるように言われた。

今まで直されていた“自分の音楽”を認めてくださった。

一音一音、体に響かせて、すべてを“自分の音”にする心地よさを味わった。

今までのレッスンや情報などで、私の心も体も縛られている教えてくださり、
それに対して、私を責めるようなこと、委縮させるようなことは一切おっしゃらなかった。


簡単にいえば、解放


心が脱力したのだと思った。


な~んだ、自分の音楽を弾いていいのね


実は私、先生の指示する音楽を弾くのが、嫌だった

でも、私の音楽は、認められることはないし、自信もなかったので、
先生の指示通りに弾くことに徹した。



なのに、私、生徒たちに、“先生の音楽”を押し付けている

生徒の音楽を引き出しているつもりでも、
結局は、生徒の音楽にあちこちケチをつけて、直していく。

「この曲は、そんなふうに弾かないで」と思う。
でも、それは、私の勝手。

生徒の演奏を聞きながら、
「あぁ、ここはマズイ…。どうやって直そう…。」と思いながら聞く。

そんな傲慢な話、ないよね

そんなふうに横で聞かれていたら、緊張するのは当たり前。
体が硬くなって当たり前。

それで、「力を抜いて~」なんて言うんだから…



これらも必要なことだけど、ほかにやるべきことがあると思えた。

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