昨日は、モーツァルト勉強会でした。
いつにも増して、深~いお言葉の嵐
終わりに「何か質問はありますか?」との先生の問いに、
受講生のお一人が、
「リピート記号がありますが、
繰り返すときに、よく同じことは演奏してはいけないと聞きます。
どういう変化をさせたらいいのですか?」という質問をされました。
普通だったら…というか私だったら
強弱やアーティキュレーションを変えて…なんて言うけれど、
W先生は違う
例えば、おいしいチョコレートをもらったときの感情と、
そのチョコレートを食後にとっておいて、
食事が終わった後に目の前にもう一度置いたときの感情は違う。
だから、同じものを2回見るにしても、同じ感情はありえない。
ピアノで演奏するときも、
同じメロディーを弾いても、2回まるっきり同じに弾けることはない。
自然に音色が変化したり、歌い方が変化したりする。
聞いているほうも、2回とも同じ感情で聞くことはありえない。
それを自然に変化させて、魅力的に演奏できる人が音楽家になっている。
音楽をしている人から見ると、
ただ楽譜通りに弾いているのは、「譜面を弾く」と言う。
「音楽を演奏している」のではない。
譜面からの情報に、“何か”を盛ると“音楽”になる。
二次元の「譜面」から解放されて、空間のものになり、
“どこか”とつながったときに“音楽”になる。
音楽は空間芸術だから、「残らない」という利点がある。
だから、1回目の演奏にとらわれずに、2回目を演奏すればいい。
練習でも同じ。
「昨日」の出来にとらわれずに「今日」の練習をすればいい。
昨日よりうまく弾けないことも、
昨日とは違う音楽になることもあるけど、
それが空間芸術。
「昨日」にはとらわれない、「今日の私」でいい。
2本の棒とちょんちょんって書いてあるだけのリピート記号なのに、
こんなにも深く語れるなんて!
こういう感性に触れられただけで、幸せ
「ね、弾いてみて」と言われても、弾けないけどね…
いつにも増して、深~いお言葉の嵐
終わりに「何か質問はありますか?」との先生の問いに、
受講生のお一人が、
「リピート記号がありますが、
繰り返すときに、よく同じことは演奏してはいけないと聞きます。
どういう変化をさせたらいいのですか?」という質問をされました。
普通だったら…というか私だったら
強弱やアーティキュレーションを変えて…なんて言うけれど、
W先生は違う
例えば、おいしいチョコレートをもらったときの感情と、
そのチョコレートを食後にとっておいて、
食事が終わった後に目の前にもう一度置いたときの感情は違う。
だから、同じものを2回見るにしても、同じ感情はありえない。
ピアノで演奏するときも、
同じメロディーを弾いても、2回まるっきり同じに弾けることはない。
自然に音色が変化したり、歌い方が変化したりする。
聞いているほうも、2回とも同じ感情で聞くことはありえない。
それを自然に変化させて、魅力的に演奏できる人が音楽家になっている。
音楽をしている人から見ると、
ただ楽譜通りに弾いているのは、「譜面を弾く」と言う。
「音楽を演奏している」のではない。
譜面からの情報に、“何か”を盛ると“音楽”になる。
二次元の「譜面」から解放されて、空間のものになり、
“どこか”とつながったときに“音楽”になる。
音楽は空間芸術だから、「残らない」という利点がある。
だから、1回目の演奏にとらわれずに、2回目を演奏すればいい。
練習でも同じ。
「昨日」の出来にとらわれずに「今日」の練習をすればいい。
昨日よりうまく弾けないことも、
昨日とは違う音楽になることもあるけど、
それが空間芸術。
「昨日」にはとらわれない、「今日の私」でいい。
2本の棒とちょんちょんって書いてあるだけのリピート記号なのに、
こんなにも深く語れるなんて!
こういう感性に触れられただけで、幸せ
「ね、弾いてみて」と言われても、弾けないけどね…
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