宇宙人の独り言

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キム・フィルビー

2015年08月09日 | 日記
キム・フィルビー
ベン・マッキンタイアー 著
小林朋則 訳
中央公論新社



本書の題名のキム・フィルビーとは、ソ連KGBの大物スパイのことです。近現代史を読んでいれば必ず登場する名であることに気づかされます。冷戦下の世界を震撼させた英国史上最も悪名高い二重スパイでした。

キム・フィルビーは英国の上流階級の出身で、名門校ケンブリッジ大学に学びました。在学中に社会主義協会に入り、生涯を共産主義に捧げなければならないとの確信をもって大学を卒業しました。

当時のケンブリッジ大学には、ケンブリッジ・サークルと呼ばれた二重スパイのグループがありました。これは秘密組織で大学を中心にしてソ連のスパイ活動をしていました。そのグループの一員にキム・フィルビーがいたのです。

英国に潜入してスパイ活動をしていたアルノルト・ドイッチュというソ連の諜報員がいました。彼が後にケンブリッジ・スパイ網と呼ばれることになるスパイ集団を作り上げた中心人物でした。フィルビーに大きな影響を与えた人物です。グループの他のメンバーにはフィルビーのほかに、ガイ・バージェス、ドナルド・マクリーン、アンソニー・ブラントらがいました。ドイッチュが彼らをスパイとしてスカウトしたのです。
本書の62ページから引用します。

……ドイッチュは、スパイ用語で言うところの「イリーガル」、つまり外交官の身分を持たずに活動するスパイだった。その任務は、やがて権力や影響力を振るえる地位に上るかもしれない若者が集まる最高学府で、(大学での研究を隠れ蓑にして)過激な学生をスカウトすることだ。ドイッチュが探し求めていたのは、長期にわたって正体を隠し続け、怪しまれることなくイギリスの支配階層に紛れ込むことのできる、思想的に堅固なスパイだった。ソ連の情報機関は長期戦を想定しており、今まいた種は何年も後に収穫できればいいし、場合によっては休眠状態のままでもかまわないと考えていた。実に単純かつ見事な戦略で、永遠に続く世界革命に取り組む国家でなければ始めることのできないような、長期にわたる作戦だった。これはやがて、驚くほどの大きな成果を収めることになる。……

この作戦は見事に当たったのです。キム・フィルビーのスパイとしての業績はいろいろありますが、イスラエルの情報機関「モサド」を育てたこと、イギリス情報部MI-6そしてアメリカのOSS(後のCIA)の対ソ連、対ドイツの諜報活動に大貢献したことなどが挙げられます。

1970年には彼はとうとうソ連のKGBのスパイだった正体を見破られることになり、71年にCIAをかわしてモスクワへ逃げ切ったのです。本書はフィルビーのソ連への亡命劇に新解釈を与えるものです。

以上


キム・フィルビー - かくも親密な裏切り
小林 朋則
中央公論新社
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