裏口からの参戦 上: ルーズベルト外交の正体1933-1941 | |
渡辺 惣樹 | |
草思社 |
ヒトラーは、できることならイギリスを相手に戦争をしたくはなかった。まして大国であるアメリカとは戦争する気などまったくなかった。だからルーズベルトの挑発には乗らなかったのである。
著者は、本書下巻の448ページに次のようの書いています。少し長いですが引用します。
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米国民が孤立を望んだのは、戦争に反対しているからであった。争い事は何もかも破壊する悪魔だった。米国民は、建国の父たちでさえ想像できないほど繁栄を遂げた国が、大陸の揉め事にわざわざ首を突っ込む必要はないと考えた。
1915年、ウィルソン大統領はアメリカ的理想と繁栄を世界と共有したいと思うようになった。そして二年後の1917年、世界の平和のためと称してヨーロッパの戦いに参入した。戦地に向かう兵士のパレードがあり、彼らを励ます音楽が流れた。そのテーマは「世界を平和に」であった。その理想にかられた兵士たちはフランスの地で死んでいった。しかしヨーロッパには和平は生まれなかったのである。
1933年にはルーズベルト政権が誕生した。かつてのように「世界を平和に」をテーマとする音楽が再び鳴り始めた。指揮者はルーズベルトだった。その楽曲はアメリカのどの家の中にいても聞こえてきた。死へのいざないであった。1941年、ルーズベルトの指揮する交響楽団は、新たな「死の曲」を演奏する次なる合図を待っていた。ルーズベルトは、そのシグナルをヒトラーに出させたかった。しかしヒトラーはその役を決して引き受けようとはしなかった。
ルーズベルトは、ヒトラーが拒否した役回りを日本の政治家にやらせることに決めた。彼らなら面倒なくその役目を引き受けてくれそうだった。駆逐艦ルーベン・ジェイムズの事件があっても、ヒトラーは微動だにしなかった。ルーズベルトは、シグナル役を東洋に見つけた。そして真珠湾攻撃が起きた。彼が待ちに待った死の曲を演奏するシグナルとなる事件を日本が起こしてくれたのである。真珠湾を攻撃する日本の海軍機の翼が空気を切る音がそのシグナルであった。
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以上